>>793
戦前こそ土木は底辺だったんじゃないの、下の救農土木工事はおそらく公共事業として行われたもので、一般の土方と比べて高かったのか安かったのか知らないが
日当75銭で月28日働いたとして、月21円
軍隊は、軍曹が月給23〜30円、曹長が32〜75円、少尉が70円
土方で少尉より高額がもらえてたとしたら、それは戦地手当が付いてたってことだろうな

>  救農土木工事の土方の一日の手間賃は男75銭ッ、女は50銭ッ、開通した上越線の新潟から上野まで339・5キロ、3等切符は4円9銭だったッ。ねェ、皆さん、女はちょうど半月、日一杯働かないと東京までの往復切符が買えなかったんですよ。
>  それがどうです、今、いちばん増えたのが女中の給料で1円50銭が4万倍の6万円ッ、鉄道運賃600倍ッ、バスが2000倍ッ、医者に看護婦では医者が2000ないし3000倍で看護婦は5000ないし8000倍ッ、大工の日当も1000倍になったのであります。1000倍以下はブロイラーの肉、卵、そしてセメントぐれえェなものだッ」 (田中角栄の演説)