パンターは後にドイツの国力(資源調達・生産力・ほか)には見合わない
高級過ぎる主力戦車だったといろいろな書籍や資料で言われている

いわゆるT34ショックが開発の発端だから
同程度の物を作りましょうと言う計画では総統閣下は納得しなかったのだろう

パンターの量産が動き出した以降も生産力の集中をせず
4号がJ型に至るまで生産されて
派生型も多くが運用されていた事には賛否があるようだな