>>433の続き

6月4日の天候について、公刊戦史(>>89)では

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「霧は夜半から次第に薄くなってきたが、なお部隊の行動は
自由ではなかった。

(6月4日)0500頃には霧も薄らぎ視界は15kmとなった。
そこで南雲長官は0600時、第五警戒航行序列を作り、
速力も小五には12節から24節に上げ、一路翌朝の
攻撃隊発進点に向かった。

霧も夕刻には晴れ上がった」