>>246
日本語の多様性というと語弊があったすまん
エリート層間で方言が許される特殊な空間と言うべきだった。

学術の場や芸術の場で、方言の使用が許されているってのが日本ぐらいのもんなのよ。
大学の講義や学術発表の場で、学術用語は別として、説明に九州弁や関西弁が許される様な国って本邦ぐらいのもんな訳よ。
なので、民族は一つだけれど方言の利用が地方の数だけあってかつ公の場でそれが許される本邦はそれだけ思考言語の多様性があるっちゅう話で。