10月から11月、昭和天皇が開戦について「覚悟」した様子を側近に示したととれる記述が、当時侍従長だった百武三郎(ひゃくたけさぶろう)(1872〜1963)の日記から見つかった。
開戦の是非をめぐって悩み、揺れ動く天皇の日々が記された中に、「すでに覚悟あらせられる様子」「ご先行をお引きとめ申し上げる」などの側近の言葉が記されていた。日記は遺族から東京大学に寄託され、12月8日で開戦80年となる今年、閲覧可能となった。

 戦後の連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)では、昭和天皇は開戦に慎重で平和を望んだが「政府や軍部の進言でしぶしぶ同意に至った」として不起訴とされた。しかし近年の歴史研究により、
開戦直前に開戦を前提に戦争終結策を思案したり、開戦後は戦果に満足し積極的な作戦を求めたりするなど、戦争に前向きな姿勢を示した時期もあったとする史料も見つかっている