47戦隊の改編は19年末頃だよ

第47戦隊 大石正三少尉の手記 より
(昭和19年12月頃:2式単戦から4式戦への転換に際して)

「この改変には別段トラブルは起きなかった。着陸の容易さは前とは比較にならなかった。
 何しろ座敷ほどの大きな主翼がついているので失速の心配はなかった。

 そのかわり、今度は昇降舵の効きが悪く、どんなに引いても3点姿勢にはなかなかならなかった。
  大東亜決戦機と期待された疾風ではあったが、増産機は試作機ほどの速度は出なかった。
 巡航速度は鍾馗の方が15km/hくらい速かった。突っ込みも液冷機のようには加速がきかなかった。
 操縦桿を押してもせいぜいが20度くらいしか頭が下がらないのである。

  プロペラのピッチ変更も今までは米国式の油圧式で故障はなかったが、今度はフランス式の
 ラチェの電気式で故障が多かった。B29の腹の下をすりぬけて降下旋回に移った途端に
 プロペラのガバナーの調節範囲を越えてしまい、エンジンのシリンダーが一本抜けて、
 真っ黒な煙を吐きながら辛うじて成増にたどり着いたことがあった。
 また無線機も真空管がパンクして故障だらけで満足に使えたためしがなかった。」