三菱は、それなりに層流翼に積極的だった。
帝研の基礎研究と、三菱独自の研究をブレンドしたのだろう。
中島の、艦攻/彩雲チームは、完全独自で、層流翼に積極的だった。
川西は、高速機に関し、LB翼に頼った。

そして、研三でLB翼を知り、キ64でも実験行った川崎は、
量産機への採用を「躊躇した」。