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その数日後の七月二十六日、東京横浜毎日新聞が一つの社説を掲載した。
北海道で政府が10年で1300万以上かけて作った施設を無利子30年ローンで39万円で関西貿易商会に払い下げ、開拓史の官吏も多数天下るという内容である。
翌日には郵便報知新聞が似たような内容の記事を掲載し各誌もこれに追随、国内世論は一気に政府批判の方向に膨れ上がる。
世に言う開拓使官有物払下げ事件の始まりである。

七月二十九日、黒田が伊藤に「大隈だ!大隈が払下げを潰すためにこの件をリークしたに違いない!あとこの手紙は見たら焼き捨ててくれ!」
という手紙を送る(手紙は焼き捨てられなかった)。

七月三十日、かねてより予定されていた明治天皇の東北・北海道への巡幸が行われてその先発隊としてまず松方と黒田が、
天皇の随行役として大隈・有栖川宮・大木が東京を出立する。
二ヵ月もすれば事態も沈静化するかもしれないしとりあえずこの問題に関しては十月十一日に帰ってきてから改めて話し合おうという事になるのだが、
それまでの約二ヵ月半はまさに激動の期間となる。