>>258
1分隊vs1分隊の火力戦ではアメリカ軍は日独軍に対して劣勢だった
なので大戦末期の1944年末か45年始め頃からテコ入れを始めた
分隊のBARを2丁に増やす
分隊で最優秀のライフルマンをマークスマンとし可能な限りスコープ付きの狙撃銃を支給する
等々
でも基本は上級の編制では米国の方が火力に勝っていたのでBARに代わる分隊支援火器あるいは真面な軽機を大戦中に開発採用する事は無かった
戦後の軽機としてM60が登場するのは1950年代の末になってから