https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_000217.html
我が国における砂糖の歴史
16世紀半ばの戦国時代の末期にマカオからポルトガル船が九州各地に来航していわゆる
南蛮貿易が始まると、おそらくは中国産の砂糖が安定的に供給されるようになる。
江戸時代に入ると17世紀から18世紀初期にかけて福建省から琉球・奄美に黒砂糖の
製法が伝えられ生産が始まった。しかし白砂糖や氷砂糖は、18世紀末の寛政年間に
国産白砂糖が上方市場に登場するまで、長崎に来航する唐船(中国本土や東南アジアからの来航船)
とオランダ船(東南アジアから来航するオランダ東インド会社の船)による輸入に依存していた。
今日、「江戸時代において砂糖は庶民の口には入らない貴重品であった」とか
「輸入された砂糖はすべて船で大坂に運ばれた」という理解が通説となっている。
しかしながら出島オランダ商館の帳簿や江戸時代の長崎や佐賀藩・福岡藩の史料、
あるいは江戸に暮らした人々の記録を見るならば、これらの通説が制度のみで
実態を反映していないことがわかる。
オランダ船にとって砂糖は当初は船の積み荷のバランスを取るバラスト(重り)商品に過ぎなかったが、
17世紀に台湾やジャワ島へ多くの中国人資本・技術・労働力が移転したことにより重要な商品となる。
たとえば江戸時代初期の平戸オランダ商館の時代には砂糖の輸入量は100トン程度であり
輸入品仕入高の1%にも満たなかった。しかし江戸時代半ばには砂糖の輸入額は輸入品
仕入高のおよそ30%に達している。出島オランダ商館の帳簿によれば、オランダ船による
輸入のピークは宝暦9年(1759)の約1375トンであった。
出島オランダ商館の医師であったドイツ人ケンぺルによると、元禄5年(1692)の京都における
輸入白砂糖の小売価格は100斤(60キログラム)あたり140匁(現在の貨幣にして1キログラム
あたり約1600円程度)であった。高価とは言っても現在のおよそ10倍程度の値段であったのである。

17世紀(つまり1600年代)から沖縄や奄美で黒砂糖の生産が始まってたので
料理や雑な菓子に使う砂糖は自給できた。京都の菓子屋で使う白砂糖は高かった。ということか。
サトウキビは薩摩や讃岐や阿波でも栽培していたみたいだし。