>>156
戦士叢書を見てるなら話が早い
日本軍の行動であれば、まず持ってこれが根拠になる
タラワなど中部太平洋への防備強化の時系列は下記の通り(参謀次長は確かに田辺で、田中と書いたのは自分の間違い)

420817
米海兵隊200人が潜水艦からマキン奇襲上陸
420820
日本海軍、ナウル、オーシャン占領命令
420903
タラワに陸戦隊揚陸
田辺参謀次長、伊藤軍令部次長以下の南東方面視察団派遣
田辺次長「海軍陸戦隊に陸戦を期待するのは危険」
420914
グアム、ウェークに独立混成21旅団派遣命令
420915
タラワに横須賀第六特別陸戦隊1,000名配備
4209中旬
築城本部長秋山中将の中部太平洋派遣決定

これまで放置に等しかった中部太平洋への防備強化が、陸海軍両次長というトップダウンの視察に始まり1ヶ月でバタバタと実行されていくのは、日本陸海軍の共同行動としては珍しくスピーディーな行動と言える

このきっかけになったのが8月17日の米海兵隊によるマキン島の奇襲上陸
米軍がこの頃やっていた嫌がらせのヒットエンドラン攻撃で、軍事的成果はほとんどない
それどころか、日本軍に中部太平洋全体の防備強化をさせるきっかけとなったと、評価は低い

つまり、ガ島上陸とマキン奇襲はたまたま10日間隔という短期間の間に起こったが、陸海軍の最上層部も巻き込んだ強い危機感をもたらしたのは、圧倒的にマキン奇襲の方だったということが戦史叢書から分かる
マキン奇襲の日は、前日に一木支隊がガ島上陸した日で、ガ島はまもなく奪還できると誰もが考えていた
ところがマキン奇襲はその瞬間に、陸海軍トップに凄まじい危機感を抱かせ、矢継ぎ早の対策に結びついた
で、それらの対策、つまり島嶼への陸海軍の配備と永久築城は、43年からの米軍の強襲上陸で多大な出血を強いる成果を上げている

なので、ガ島の事前防備をめぐるタラレバの話をするならば、もしマキン奇襲がガ島上陸前に起きていたら、飛行場設営をしていたガ島の防備強化も、陸軍を巻き込んで行われていた可能性はあったというのが、大きな流れを踏まえた考え方になる