>>972
>具体的に何が難しかったんですか?

かがみはら航空宇宙博物館で売ってた飛燕の冊子にあった川崎航空機のエンジン技師、田中英夫氏のメモによると。

シリンダーブロック、クランクケース、クランクシャフトといちいち長い部品ばかりで、これの鋳造・鍛造ができるのは住友金属と神戸製鋼、鍛造が日本特殊鋼しかなく、これらのメーカーの生産能力、イコールエンジンの生産能力となった。

アルミニウム製シリンダーブロックの水套(ウォータージャケット)の鋳造において「良品を得るのに手古づった」が「あまつさえ」戦局の悪化によって、精錬したてのアルミニウムバージンの入手困難によって再生塊の使用が増えるとともに水漏れが多発して合格率が極端に低下した。

クランクシャフトについては、機械加工に時間がかかり、浸炭硬化処理に時間がかかり、研磨仕上げに時間がかかり、軸ブレの修正に時間がかかるところへもって「更に」ニッケル不足に起因する代用鋼が問題に追い打ちをかけた。

とのこと。

1939年4月にドイツに派遣された川崎航空機の技術習得団が40年1月に帰国し、国産化の着手にあたって「原材料、鍛造品、鋳造品、部品、補機類」まですべて100%国産化という基本方針となったそうだが、海軍の熱田がニッケルの使用を「制限」したのに対して、ハ-40は「禁止」された。ドイツはドイツでニッケル抜きの実用できる代用鋼を作れる冶金技術があったが、日本にはそれがなかった。

メモからは、加工精度そのものは努力で解決(あるいは対応)できるメーカーの領分であると認識しているような印象を受けた。文脈が「あまつさえ」から再生アルミで水漏れ、合格率の極端な低下。「更に」から代用鋼、トラブルに悩まされた、となっているので。