>>610
モントゴメリの脳内計画だとそうできていたなら「クリスマスの前に戦争は終わる」ことになっていたけど、流石にそれはないだろう。
ただその場合ドイツ軍は1944年の冬に(史実では「ラインの守り」になった)最期の大反抗作戦を史実よりはやりやすい形で実行したと思われるので、その場合連合軍の損害も史実以上で、結局1945年の春くらいまで戦争の集結がもつれ込んだのは避けられないのではないだろうか。

アイゼンハワーは旗下の連合軍によるベルリン攻略は「困難が多く損害が大きすぎる」と考えていたので、史実よりも連合軍の進軍が順調だったとしても、史実で前進制圧した範囲を大きく超えて連合軍が「東進」はしなかったと思われる。
連合軍首脳が危惧していたのは「ヒトラー以下のナチス首脳がベルリンを捨ててドイツ南部-オーストリアに逃れ、そこで延々と抵抗してくる」ことだったので、MG作戦が成功していたら、次はライン川に沿ってドイツ南部に進軍したのではなかろうか。
結局ベルリンはソビエト赤軍が包囲して突入して絶望的な市街戦を戦った(その時ナチス首脳陣がどこにいるかはともかく)ことは変わらないかと。