小田実を巡る党内批判・新日本出版社からの追放

1980年の「文化評論」に事前に宮本顕治日本共産党委員長(当時)も了解した企画である上田日本共産党副委員長と作家の小田実の対談を掲載した。掲載号は完売した数カ月後に、小田実が公の場で「共産党を市民運動などを自党に系列化する既成政党」と批判した。この日本共産党批判を受けて、共産党と小田実の関係が悪化した余波で党内で有田までも批判された。日本共産党から長時間の「査問」(追及)を受けた末に自己批判書を書かされ、1984年に党籍剥奪はされなかったものの日本共産党系出版社である新日本出版社から追放されている[10]。後の2005年に小田実と上田副委員長が再び対談し、雑誌掲載されたが、日本共産党による対立の総括・和解経緯説明は一切なかった。そのため、2005年当時の心境について、有田芳生は「人生を変えられた者としては、どうしても解せなかった。」と語っている[10]。


いい歳したおっさんが長時間「査問」を受け自己批判させられるとかこの屈辱。俺は悪く無いと席を立って帰っちゃえば良いのに