ウクライナ戦争緒戦期、多くの過誤が重なって半要塞化されたキエフ正面に単独で分け入り、一瞬で壊滅したケメロヴォOMON&SOBRの物語。記事中では「無能」という言葉が頻出するが、それは彼らだけでなく彼らの存在を忘れ去っていたロシア全てに向けられている。以下要約。
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ケメロヴォはロシア東部シベリアにある町。ケメロヴォOMON&SOBRが「大規模軍事演習に参加せよ」との命を受け、遥か西方へ出発したのは1月のこと。ベラルーシ南部国境に近い森林でテント生活に入った彼らだったが、特に訓練らしい訓練は行なわれず待機の日々が続く。

彼らが本当の目的を知らされたのは、何とウクライナへの侵攻を開始した2/24当日。「ロシア連邦軍のウクライナへの特別軍事行動を支援し、それに反対するキエフ市民の抵抗の可能性を排除する」
冗談のようだが、部隊が受けた命令は本当にこれだけだった可能性が高い。

そして80名の部隊は装甲車とトラックに分乗し、南に続く長い車列の後方についた。彼らはキエフ前面で激しい抵抗に遭っており、いまだロシア軍がキエフに入っていない事すら知らない。ただキエフ市内で治安任務にあたる事だけを念頭に、南へ牛歩の歩みを続けていったのだ。
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