南雲忠一中将を再評価するスレ(46代)

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2022/11/06(日) 13:22:33.22ID:CaJiBy5N
南雲忠一中将はもっと再評価されるべき!(46代)

前スレ
[45代]南雲忠一中将を再評価するスレ(比)
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1661053459/
>>236~ニミッツ長官考察の章)

過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo
2022/11/06(日) 14:32:40.03ID:7HVMU66U
>>1
新スレ立て、敬礼!

スレタイ末尾が「(毛)」ではなく「(46代)」になっていますので、念のためご注意。
2022/11/06(日) 14:34:39.40ID:7HVMU66U
南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)
日本の海軍軍人。海兵36期。太平洋戦争初期から中期にかけて第一航空艦隊および第三艦隊(南雲機動部隊)司令長官を
務めた後、サイパンの戦いで自決。死後一階級特進により、最終階級は海軍大将。
正三位勲一等功一級。
2022/11/06(日) 14:35:58.44ID:7HVMU66U
当スレは、南雲忠一中将を再評価するスレです。
最終階級は大将ですが、機動部隊指揮官としての南雲長官を
対象としているので、あえて現役時の中将としています。

一般に、ダメリーダーの代名詞とされている南雲提督ですが、
南雲長官は無能指揮官でも、母艦航空戦の素人でもない、
それを戦史を通して明らかにすることを趣旨としています。
2022/11/07(月) 09:18:57.27ID:FsKwqogh
八ハ艦隊物語だと南雲さん良く書かれていたね
南雲さんの孫が陸自にいるらしいぞ
2022/11/09(水) 22:22:23.81ID:n9tZ9U3s
>>1乙です。

>>5
ヨコハマタイヤの南雲会長も時々名前が出てきますね
2022/11/09(水) 22:24:33.80ID:n9tZ9U3s
6月5日0000時(第一次攻撃隊発進の1時間半前)における南雲長官が下した情勢判断は以下の通り。

(1)敵艦隊は、我がミッドウェー攻略作戦が始まれば出動して反撃してくる算がある。
(2)敵の飛行索敵は西方・南方を主とし、北西方・北方は厳重でないと認める。
(3)敵の哨戒圏は約500浬と推定する。
(4)敵は我が企図を察知せず。少なくとも機動部隊は敵に発見されていないと認める。
(5)敵機動部隊が付近海面に行動中と推定する資料はない。
(6)我はまず、ミッドウェーを空襲し、敵の基地航空兵力を壊滅して上陸作戦に協力した後、
   敵機動部隊に対処し、これを撃滅することが可能である。
(7)敵基地航空兵力の反撃は、我が上空直衛戦闘機と対空砲火によって、撃退することが出来る。
2022/11/09(水) 22:25:31.76ID:n9tZ9U3s
前スレ埋まりました。

現在は、ミッドウェー海戦における南雲長官の情勢判断を検証しています。

>(6)我はまず、ミッドウェーを空襲し、敵の基地航空兵力を壊滅して上陸作戦に協力した後、
>   敵機動部隊に対処し、これを撃滅することが可能である。
2022/11/09(水) 22:34:22.14ID:n9tZ9U3s
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1661053459/985の続き

まぁ、後出し伝道師、もとい我らが総隊長がこのように
回想する背景には、

当時の搭乗員たちの間では、
「砲術や水雷出身に、俺たち飛行機乗りのことなんか分からない」
「航空出身の提督に航空隊や空母部隊を指揮してもらいたい」

と考えられていたことがあったと思われます。
2022/11/09(水) 22:35:05.95ID:n9tZ9U3s
>>9の続き

「指揮官についてもそうだった。
戦艦への魅力を十分ぬぐい切れない人々が、航空部隊を指揮する
ことが多かった。

そして航空戦の本質を十分理解しないためと、従来の艦隊戦闘の
観念に支配されるためにエラーも多かった」
           (『ミッドウェー』淵田美津雄・奥宮正武/著)p396
2022/11/09(水) 22:45:19.54ID:l14pTvpL
>>10
南雲長官に限らず機動部隊の指揮官=航空関係の経験があるってわけでもないよね。
2022/11/09(水) 23:35:11.93ID:lRSAI+vJ
アホ南雲は派閥は大本営派閥、親陸軍なのでハナから連合艦隊の言う事なんぞ聞く気が無かった
山本五十六閣下から「あくまでも目標は米機動部隊」だと命令されているのに、それを無視したわけだなw
この辺のところは日本型人事「年功序列、派閥は混ぜてしまう」というやり方の悪い面が顕著になったわけでw
まあアメリカ様の「周辺を自分の派閥で固めてしまう」というやり方にも一長一短があるけれど、
ミッドウェー海戦に関しては日本型人事の負の部分が足を引っ張ったのは明らかw
2022/11/10(木) 00:22:02.56ID:nqYw8rWv
艦隊が主体なのか、空母に搭載した航空部隊が主体なのか悩ましいところではある。
2022/11/10(木) 14:38:57.62ID:XyTzmNDZ
>>11そもそもまだ育ってない
2022/11/10(木) 21:21:21.92ID:Qn3YK26q
>>12
>アホ南雲は派閥は大本営派閥、親陸軍なので

ア○参謀殿は毎スレでよくこうかかれますが、そうなんですか?
南雲提督は佐官時代、艦隊派として積極的に署名を募ったり、井上課長と対立してたりしてますけど、
経歴を見る限り、軍令部本流でもないし、陸軍との交流も特にないようですが。

一応念のため、私は艦隊派が誤っていたと判断します。(粛清後の海軍は総艦隊派ですが)
2022/11/10(木) 23:32:07.16ID:Qn3YK26q
前スレ>990
>ラエ・サラモアのあたりには第四航空戦隊がいたのでしょうか?

厳密に言えばいますね。
同戦隊所属の祥鳳(軍隊区分は南洋部隊)が、2日違いでラバウルに零戦20機を空輸しています。
ラエ・サラモア攻略作戦には、祥鳳は直接参加はしていませんが。

前段に当たるラバウル攻略作戦に日本空母が4隻参加しているのだから、
(このラバウル陥落で連合国側は、一気にニューカレドニア島方面まで攻略されるかもと大混乱)
その延長線上のラエ・サラモア攻略作戦に日本側が空母を全く出していない、
と連合国側が断定するのは危険でしょう。

ブラウン中将はラエ・サラモア空襲時にポートモレスビー以西のパプア湾からオーエンスタンレー山脈超えの攻撃を行っていますが、
反対側のルイジアード諸島東端南方に増強したクレース隊(重巡4隻、駆逐艦4隻)を配置しています。
この辺はまだ勉強中ですが、ブラウン中将は日本側がラエ・サラモア方面だけではなく、
ポートモレスビーやニューカレドニア方面への同時攻撃を警戒していたのかもしれません。
2022/11/10(木) 23:35:40.17ID:ZN15y7ui
>>11
ここは大事なところですね。
これまで”公平で客観的な視点”から南雲長官の作戦指導を検証してきましたが、
今回は、その逆をやります。
すなわち「主観的でかたよった視点」で評価するのです。

搭乗員たちが「うちの長官は、航空のこと何も分かっちゃいねぇ」
と思っているのなら、それがかたよった見方であったとしても”正解”なのです。

なぜなら、彼ら搭乗員たちを動かすのが南雲長官の仕事なのだから。

航空出身で熟練搭乗員もその腕を認める提督なら、喜んで命令に従うでしょう。
しかしそうではない南雲長官が、どのように彼らを統率しようとしたのか。
それをさぐっていこうとする試みです。
2022/11/10(木) 23:36:29.23ID:ZN15y7ui
>>12
「米沢海軍」の南雲長官が親陸軍とな?

>>13
どっちも大事ですからね。

>>14
全く。
船を動かせて航空に精通している提督がどれだけ居ただろうか。

>>15
南雲長官の経歴なら軍令部勤めも有りだったでしょうね。
2022/11/11(金) 00:15:41.42ID:ZJ3tq1Gp
>>15
あの、もしかして生まれた時から派閥が固定されていると思っているんですかねw
2022/11/11(金) 00:19:09.52ID:Nkqmu6nr
>>10の続き

南雲機動部隊の陣容を見てみると、

第一航空艦隊司令長官 南雲忠一中将
海兵36期
砲術学校(普通科)
水雷学校(普通科/高等科/校長)

これぞ水雷屋という感じですね。
ただ昭和8年には「軍令部航空戦教範起草委員」を務めており、
全く航空に縁が無かったわけではない。
2022/11/11(金) 00:20:13.77ID:Nkqmu6nr
>>20の続き

第二航空戦隊司令官 山口多聞少将
海兵40期
砲術学校(普通科)
水雷学校(普通科/高等科)
潜水学校(教官)

航空の専門家とされる多聞丸も水雷出身です。
航空関係は、昭和15年1月第一聯合航空隊司令官が初めてで、
支那戦線での基地航空隊の司令官。
同年11月から二航戦司令官で母艦航空隊の司令官
2022/11/11(金) 00:21:01.89ID:Nkqmu6nr
>>21の続き

本編で言う「航空屋」とか「航空出身」の定義ですが、
米空母艦長は操縦士か偵察員の資格を持つ者とされるところから、
操縦もしくは偵察課程を修了したもの、とします。

なので多聞丸は航空屋ではありませんね。
2022/11/11(金) 00:21:48.01ID:Nkqmu6nr
>>22の続き

第五航空戦隊司令官 原忠一少将
海兵39期
水雷学校(普通科/高等科/教官)
砲術学校(普通科/教官)
通信学校(教官)

原少将も水雷出身で、航空関係は開戦直前の
昭和16年9月の五航戦司令官から。
どうして選ばれたんだろう?
2022/11/11(金) 04:58:50.37ID:JDBI5va+
そんな定義で航空屋を規定してたら当時の世界には視力検査誤魔化して飛行機を操縦したハルゼーぐらいしか居なくなる
2022/11/11(金) 05:41:09.09ID:tZKNpAGe
>>24
ちゃんといますよ、三航戦の桑原少将。
2022/11/11(金) 06:08:15.07ID:cmvH0+0P
ミッドウェーには離任していて航空畑には居ない
2022/11/11(金) 11:14:38.11ID:Nkqmu6nr
>>24
その通りです。
ハルゼーなんて空母艦長になるために資格取っただけの”なんちゃって航空屋”ですから。

当時の空母部隊指揮官に、航空屋はほとんどいない。
ただし当時、航空出身の提督がいなかったわけではないが、
彼らは空母部隊指揮官の「主流」にはなれなかった。

これは日米共通しているのが面白いところですね。
2022/11/11(金) 11:15:21.51ID:Nkqmu6nr
>>25
さすがですな
切り札にとっておいたのに・・・虎ちゃん

>>26
三航戦そのものが無くなってしまいましたからねぇ
29101
垢版 |
2022/11/11(金) 11:59:20.60ID:GmNFdGei
>>16
いないとは言ってませんよ。四航戦と南雲機動部隊では、7日前にいたのと1ヶ月前にいたのでは脅威度が段違いと言っています。
2022/11/11(金) 19:45:09.52ID:Nkqmu6nr
>>23の続き

続いて、一緒に行動することはなかったけど、
建制上は南雲機動部隊

第四航空戦隊司令官 角田覚治少将
海兵39期
砲術学校(普通科/高等科)
水雷学校(普通科)

昭和15年11月に第三航空戦隊司令官、
昭和16年9月に第四航空戦隊司令官として開戦

南太平洋海戦では二航戦司令官として気を吐いたところから
多聞丸と並ぶ勇猛果敢な母艦航空隊司令官として知られますが、
砲術長を歴任した”鉄砲屋”ですね。
2022/11/11(金) 19:46:35.33ID:Nkqmu6nr
>>30の続き

昭和13年、海軍兵学校の教頭だったとき、
支那事変帰りの源田実少佐が全校生徒の前で
「これからは航空の時代」と力説したのですが、

「われわれ海軍軍人は、飛行機がなくても戦わねばならない」
と、むしろ頭の堅い砲術家であったことがうかがえます。
2022/11/11(金) 19:47:52.26ID:Nkqmu6nr
>>31の続き

最後は、

第三航空戦隊司令官 桑原虎雄少将
海兵37期
砲術学校(普通科/教官)
水雷学校(普通科/教官)

大正4年  水上機母艦若宮乗り組み
大正5年  横須賀航空隊教官
大正6年  横須賀航空隊分隊長
大正10年 横須賀航空隊飛行隊長心得
大正12年 霞ヶ関l航空隊飛行隊長
昭和3年  横須賀航空隊副長
昭和4年  空母加賀副長
昭和7年  水上機母艦能登呂艦長
昭和8年  空母龍驤艦長
昭和10年 霞ヶ浦航空隊副長
昭和11年 海軍航空廠飛行実験部長
昭和12年 横須賀航空隊司令
昭和13年 第二聯合航空隊司令官
昭和14年 第一聯合航空隊司令官
昭和16年 第四航空戦隊司令官
        第三航空戦隊司令官
2022/11/11(金) 19:48:56.91ID:Nkqmu6nr
>>32の続き

どうです、このまぶしいばかりの輝ける経歴!
文句無しの航空屋ですよね!

飛行機からの魚雷発射試験、
水上機母艦若宮の滑走台からの艦上戦闘機発進、
戦艦山城の主砲塔に設置された滑走台からの陸上機戦闘機発進などなど

日本海軍航空の”初めて”に多く関わっているのですから。
2022/11/11(金) 19:50:59.29ID:Nkqmu6nr
>>33の続き

しかも海兵37期ですから、南雲長官(海兵36期)の一期下。
艦隊司令長官はまだ早いにしても、
二航戦や五航戦の司令官として最適の人事だと思いますが・・・

三航戦司令官というのは、空母鳳翔と瑞鳳から成り、第一艦隊に所属。
戦前の構想では、決戦夜戦部隊の一航戦、機動航空部隊の二航戦など
空母部隊の主力とは違って、

主力部隊(戦艦)の直衛、すなわち敵の弾着観測機を追っ払う程度の役割です。
どちらかと言えば補欠扱いですよね。

人選ミスでは?
2022/11/11(金) 20:07:41.26ID:HfktU7LC
三航戦解隊後なぜか青島に左遷?
2022/11/11(金) 21:07:17.90ID:qPvXuolP
>>34
しかも最初は

・第一航空艦隊 第四航空戦隊 桑原司令官

・第一艦隊   第三航空戦隊 角田司令官

だったのが後に、
部隊内容はそのままで、両司令官が入れ代わる、という変わった?人事ですね。

何かあるんですかね?(人事とか人脈は全く詳しくない)
2022/11/11(金) 21:45:31.15ID:qPvXuolP
昭和17年4月の聯合艦隊編制は色々変更されていますけど、
この時点で第三航空戦隊を廃止する必要があったんですかね?

ここまで日本空母の損失は無く、昭和17年末までに隼鷹、飛鷹、龍鳳、大鷹型3隻が就役予定。
第一戦空母として使用困難な鳳翔と大鷹型を除いてても、艦隊型空母が12隻になる。

従来どおり空母2隻を基本に空母航空戦隊を編制するなら、司令部は6個必要になりますから。
戦隊司令部をいったん廃止して、また設立するのは効率が悪いかと思います。
(この時点で既に、将来の空母航空戦隊を空母3隻で編制する腹案あったなら分かりますが)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています