>>205の続き

松永少将も砲術出身で、少将になってから第二聯合航空隊司令官を経て
二十二航戦司令官に。
開戦時マレー沖海戦で英戦艦を撃沈した立役者ですね。

昭和19年3月に二十七航戦司令官となり、本当は硫黄島に行く予定だったが
病気で解任となり、後任の市丸少将(>>166)が戦死することに

航空経歴なく、いきなり最前線の航空部隊を指揮とは
ちょうどそういう時期だったということでしょうね。