>>252の続き

昭和14年10月に漢口空襲により一聯空司令官だった塚原少将が負傷→>>49
その復讐のため、大西少将自らが隊を率いて成都爆撃に行くと主張したが、
奥田大佐がそれをなだめて自らが攻撃隊総指揮官として参加することに。

もちろん航空隊司令が空に上がること自体が異例なこと
そして成都上空で敵戦闘機により撃墜され戦死
砲術出身でありながら、壮絶な経歴の持ち主ですね。