先に触れた中口径砲用の新型射撃管制装置が九八式か九六式かについて、手元資料を更に探ってみました。

 九八式説‥「兵器を中心とした日本の光学工業史」、米軍調査資料「Japanese Seacoast Artillery」
 九六式説‥アジ歴のいくつかの文書

 どちらも一定の信頼性があって一方に断言が難しいですね。
 或は九六式として仮制式なりされてから九八式として制式化されたか、兵器の改正を経て改めて制式化されたか。
 米軍資料によると九八式には2形式、八八式同様に射撃諸元の入力送信が電気算定具で自動的に行われるAシステムと、電機算定具を持たず計算尺を使用する簡易的なBシステムがあったとしています。

 さて「日本築城史」には以下の記述があります。
「要塞兵備の進歩発展を予測して、砲塔カノン砲、88式海岸射撃具、水中調音機など新兵器の教育を実施しても、肝心の要塞には、この種の兵器の全くないものがあり、無駄であった。(中略)
 実弾射撃演習も、基準火砲について、年に1,2回、使用実績も1回10数発に過ぎず、目標は小蒸気船で曳航する浮匡動的で、時速2ないし3ノット、海軍の曳的船を利用しても最大速度は6ノットに過ぎず、こんな機動力の小さな目標を用いていては、射撃指揮技能の研磨上、大きな価値を期待することができなかったし、戦法戦技が進歩するはずもなかった。(中略)
 しかし第1次大戦後は、艦船の防御力、速力、艦砲の威力とも急増し、要塞整理に伴う砲塔砲台と、30センチ榴弾砲砲台のみがこれに対抗することができた。
 これら威力のある火砲設備のない多くの砲台は、駆逐艦以下の小艦艇に対してのみ、火砲の威力を発揮し得るに過ぎないようになった。また大口径砲塔砲台でも、敵が機動部隊を随伴し、爆撃を敢行すれば。これに対しては高射砲が少なく、上空に対しては殆ど無防備であった。(後略)」