https://biz.chunichi.co.jp/news/article/10/57318/

>普通の会社なら予算と人事と事業を掌握するのがトップの仕事でしょう。だが私にはなかった。現場を知らない親会社の三菱重工業(東京)が全ての権限を持っていました。構造的な問題もあり、三菱航空機の社長は、「お飾り」でした。

>特に、人事権がなかったことが苦しかった。



> 「日本人としてTCの取得経験がある最後の世代だ」と語る川井は自らの体験から、外国人を招いて西洋の先進技術を取り入れた明治初期の「お雇い外国人」にならい、「明治維新」のような大きな社内変革を狙った。

> 開発の中心を担っていた名航出身の40~50代の日本人技術者たちは、川井の目には「素人集団」に映った。それなのに、誰ひとりとして「先生」の助言に耳を傾けなかった。「根拠のない自信がまん延していた。『ピノキオ』になっていた」と川井は語る。

> 「どうして三菱航空機の技術者は言うことを聞かないんだ」。素直に教えを受け入れない現場を前に、元ボーイングの技術者らは、あきれて日本を後にした。 (敬称略)

いうことをきかない原因が組織構造や風土の問題だったのか本当に属人的な"根拠のない自信"だったのかいまいちわからないな