1853年、クリミア戦争の一環で
極東のロシア軍も英仏軍と戦闘になって
露助はカムチャッカから撤退
懸案だった国境画定が話し合われた際
ロシアのクリミア戦争での劣勢・敗北は
1855年の日露和親条約で日本の有利な交渉材料となった

しかしロシアの日本に対する領土的野心は潰えることはなく
条約を結んだにも関わらず
1861年のロシアによる対馬占領事件が発生し
対露感情は悪化
イギリスと日本は利害関係が一致し協力
イギリスが軍艦を派遣することで圧力をかけ
ロシアを撤退させるに至った

何がロシアは紳士的だよ