前回の話にも出ていたが実際長篠は山奥のクソ田舎であり今でもすぐ近くに木曽山脈を望む山奥の地である。
「そんな山奥のクソ田舎がそんなに重要なの?」という疑問が出ると思われるが、
この長篠の場合は山奥なので重要なのである。

当時東海から甲信に入るルートで代表的なのは甲斐から富士大宮を経由して駿河に入るルートと信濃から別所街道を通って三河に入るルートがあって、
後者のルートの三河の平野部に入る場所に置かれていたのが長篠城であり、
徳川的にはここを抜かれたら天竜川を防衛ラインとして戦力を集中している浜松側をスルーして三河になだれ込まれる超重要ポイントだったりする
ここらへん文でツラツラと書くよりも航空写真で見た方が分かり易いだろう
https://i.imgur.com/5yGzpsL.jpg

ついでに長篠の戦いが起きる4年前には長篠の近くの山で鉛が発見されていたりする。
奥平は短期間ではあるけれども武田に属していた頃もあったのでこの情報は武田も持っていたであろうから、
徳川からしたら位置的にも資源的にも武田を食い止めるために、武田からしたら徳川に止めを刺すための場所として
長篠は必争の地であったと言えるだろう。