よく勘違いされるがルーズベルト政権は
「こいつら交渉継続中なのに択捉島から真珠湾攻撃用の機動部隊出撃させやがった!」
って点で卑劣な騙し討ち扱いしてるので、宣戦布告文書が間に合ったか否かは当初は問題視してないのだ
ついでに
「日本政府からの最後通告文書、最後通告文書としての表現為してないじゃん。これ最後通告なしで攻撃開始したってこと?」
とも言ってる
(宣戦布告に関する条約以前の国際法上は最後通告後は宣戦布告なしでも攻撃開始してもよかったため日露戦争では問題になっていない)

この論理で東京裁判で日本側の不手際立証しようとしたのだが、それ以前にハル・ノートが最後通告的な性質を持ってることを突っ込まれ、さらに当のアメリカ議会が他国の資産凍結は宣戦布告と同義であると決議していたこともあって「どっちもどっちとか言われるのやだし」とこの最後通告の不備や宣戦布告の遅れは立件されず結局裁かれなかった