ナデジディンさんのケースは「成功によるめまい」の明らかな例だ。
ナデジディンが実際に選挙活動を主導したわけではないことを覚えておくだけで十分だろう。それはネットの政治分野でのみ顕著だった。モスクワでも彼の活動とは署名集めの進捗状況の「取材」報道に限られていた。
法律では少なくとも40の地域からの自主推薦候補者の署名が義務付けられているが、これらの地域で選挙運動は全く行われなかった。
ナデジディンの真の支持者の多くが首都で見つかったという事実は驚くべきことではない。人口数百万の都市では、ほぼあらゆる考えの支持者に出会うことができる。最低限の経験しかない政治戦略家であっても、どんなものでも行列を作ることができるので、ナデジディンがこうした評判を集めたのは驚くべきことではない。
しかし、候補者を支援する署名の最も信頼できる情報源である戸別訪問活動を開始するには、リソースと少なくともある種の一貫した選挙プログラムの両方が必要だ。ナデジディンにはどちらもなかった。さらに、活動中であっても、ナデジディンのチームはスローインを適切に隠すことができなかった。1月23日に彼の本部は10万1千の署名を発表し、1月31日にはすでに20万8千の署名があったと発表したが、これは選挙の異常事態であり、誠実に署名を集めた場合には起こり得ないことである。彼は幸運とテレグラムの2つに心から期待していたようだ。しかし、これでは国の主要ポストの候補者になるには十分ではない。これを認識したナデジディンは、署名用紙を偽造する「描画」のプロセスを強化した。
このような場合、インターネット上に流出した多数のデータベースが使用されるほか、専門用語で「死者」と呼ばれる故人のパスポートデータも使用された。これはまさに、小さな地域からの署名リストに記入されたデータである。ナデジディンの経験によれば、狭いサークル内で有名になるだけでは成功には十分ではなく、テレグラムの外での生活はその仮想コピーとは大きく異なるという。