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和泉式部さんの波乱の人生と素性の小まとめ

・生没年不詳
・歌がうまい
・和泉守・橘道貞と結婚(「和泉式部」という呼び名の「和泉」部分の由来)
・父親は大江雅致(大江匡衡の兄弟。つまり赤染衛門先生とは義理の姪関係/「和泉式部」の「式部」部分の由来説あり)
・とにかく歌がうまい
・「一首選ばれれば末代までの誇り」と言われる勅撰和歌集に245首選ばれる(女性部門ぶっちぎり第1位)
・道貞との子(小式部内侍)も歌がうまい(母が偉大すぎて「小式部」と呼ばれてしまうも周囲からの揶揄を跳ね返す代表歌あり)
・田辺聖子先生から(紫式部にも清少納言にも使わなかった)「天才」という言葉で称される
・つくづく歌がうまい、手紙もうまい
・紫式部から「歌は、いとをかしきこと(≒歌はめっちゃうまい)」と評されながらも「和泉はけしからぬかたこそあれ」(≒和泉は身持ちが関心しない)」とか言われる(『紫式部日記』)
・後年の研究者(清水好子先生)から上記部分を指して「(紫式部が和泉式部のことを)褒めたくなくて仕方ないのに、あまりに歌がうまいから仕方なく褒めている」と評される
・道貞と婚姻中に為尊親王(冷泉帝皇子)と熱愛関係になり親から勘当される
・疫病流行中にも関わらず遊び歩いた為尊親王、逝去
・恋人(?)の死を悲しんでいたらなぜか為尊親王の弟である敦道親王(帥宮)から熱烈な求愛を受ける
・敦道親王の正妻の家出の原因となり熱愛関係になるも、敦道親王も病没(この頃、道貞と離婚か)
・さすがに周囲から素行が話題になりつつも、抜群に恋歌がうまく、しかも古今の歌を勉強していたっぽい(引歌の範囲が広く技術が深い)
・中宮彰子の女房になる
・出仕先で知り合った(藤原道長の家司である)元祖武家貴族・藤原保昌と結婚
・上述のとおり紫式部からは一方的にdisられているが、なぜか(いや理由はなんとなく推察できるが)清少納言先輩とはちょくちょく親交があったっぽい(歌集にそれなりにフレンドリーな贈答歌あり)
・いろいろ言われるが誰が見ても歌がうまい
・満を持して今年7月、明治書院さんより『和歌文学大系 和泉式部集・和泉式部続集』発売、定価12,000円(+税)(白目)
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