>>35
主攻勢のヘルソン西岸では、ヘルソン市正面でウクライナ軍の大攻勢があったのだけど、ウクライナ軍は一方的な虐殺みたいになったんだ。その影響で、その後は3万くらいのロシア軍は、最初に避難民の渡河口を済ませて、ゆっくりと渡河した。退却したのは、橋がハイマースで落とされたのと、カホフカダムがミサイル攻撃されたからです。架設橋とフェリーでは冬期の補給に自信がなかったのでしょう。

助攻勢のハリコフの方は、ウクライナ軍の人海戦術に点在したロシア軍の守備隊はほぼ戦わずに逃げました。兵力差が大きすぎましたからね。ウクライナ軍はそれを追って道路上をどんどん進んだわけです。ロシア軍の殿にリマンやイジュウムな辺りで追いついて撃破して、その後ろのロシア軍の防衛線路でストップしたわけです。

ウクライナ軍の人海戦術はヘルソンでは失敗し、ハルキウ方面では大成功しました。

しかし、両方たも退却するロシア軍の主力を捕捉殲滅することはできなかったのです。これがウクライナ軍にとっては残念なことてした。その当時はウクライナ軍の兵力はたぶんロシア軍の数倍くらいでしたから、それができていたら、後の戦況は変わっていたでしょう。