>>47
ハルキウ方面のロシア軍は、すかすかだったので点在する部隊は、兵器や装備も捨てて戦わずにどんどん逃げたのです。ロシア軍は上からの指示があったと思います。

両軍の捕虜の数は、ウクライナ兵捕虜の数はロシア兵捕虜の数倍程度であり、その比率はハルキウ戦があっても特に変化はないです。

ヘルソン西岸での戦いでは、ロシア軍がある程度の密度で優勢な火力を持って待ち受けていたので、人海戦術のウクライナ軍は虐殺のような大損害を受けました。昨年の南部の大攻勢はザルジニーは3、4日で大軍での突撃を止めて、少数の歩兵の多数のグループによる浸透作戦に切り替えましたが、このヘルソン岸の場合は大規模突撃が続いたのです。

そのため、その後、ヘルソン西側のロシア軍が退却していく時に、ウクライナ軍は全く追撃ができなかったのです。ロシア軍はゆっくり退却していき、初期は目立ったロシア系住民の渡河をすませ、その後に重砲から何からほぼ無傷で渡河していったのです。

もし、ここで精鋭のロシア軍3万を捕捉できていたら、当時はロシア軍の兵力はかなり劣勢だったので、戦況はウクライナ軍にかなり有利になっていたでしょう。