>>72
そもそも>61の戦史叢書の引用が適当なキリトリだから、そんな結論にはならない

三川部隊(前にも書いた通り、三川艦隊は第八艦隊の鳥海とか第一艦隊の青葉らのかき集めだから、第八艦隊でなく外南洋部隊と呼ぶのが正しい。建制艦隊と軍隊区分による臨時編成の区別に鈍感過ぎる人がいるから、烏合の衆という状況が理解できない)は、各艦距離は1,000メートル、艦隊速度は26ノットと指示している

8隻の艦が7,000メートル長の一本棒になるので、各艦の速度を26ノットに統一しておかないと単縦陣すら維持できない
戦史叢書には回転整合をしたことのない各艦で部隊を編成したとは書いてあるけど、航路上でも回転整合しなかったとは書いていないから、戦史叢書からその答えは出ない

あと亀井宏の著書によれば、三川部隊が単縦陣になったのはサボ島南水道突入の1時間半ほど前に過ぎない
ラバウルからガ島まで馬鹿みたいに単縦陣で行ったと思ってそうだけど、途中単縦陣ではない対潜航行もしている