柚木砲術長が武蔵でも砲術長を務めた期間は1943年2月から翌年6月下旬までだが、宇垣が書き残してるところによれば
最後まであまりいい成績は出せなかったみたいだね。

実弾射撃訓練機会の少なさというのもあるかも知れないが、散布界改善の証言があるのは後任の越野砲術長になってから。