「パレスチナの攻撃対象は軍や入植者に限るべきで、民間人への攻撃は正当化できない」という主張は、一見もっともらしく聞こえるが、戦争の現実、特に非対称戦争の戦略構造を理解していない。

圧倒的軍事力差のもとでは、劣勢側が正規軍との正面衝突で勝利を得るのは不可能に近いため、軍事的打撃ではなく、敵社会の精神的・政治的持久力を挫くことを目的とする。

ハマスの行動はまさにこの論理に沿った戦略的選択の反映であって、イスラエルの市民生活に打撃を与えることで国内の動揺を誘発し、国際世論を反イスラエルに傾ける。これは暴力の乱発ではなく、弱者としての合理的な勝ち筋であり、過去のFLNやIRA、ベトコンなど、同様の状況にあった武装勢力と軌を一にしている。

一方で、イスラエルの戦略は致命的に非合理的である。毎回の衝突で空爆や地上戦を繰り返しながら、結果的にハマスの支持基盤や反発の構造を強めている。さらにはガザや西岸での軍事プレゼンス維持、治安統制、国際非難への対応といった占領統治コストがイスラエル国家に重くのしかかっており、これこそがハマスが仕掛ける「消耗戦」の本質。

ゲーム理論的に言えば、ハマスは「期待値の低いプレイヤー」として振る舞うため、何をしても国際的信用を失うリスクが小さい一方、イスラエルは「国家」という建前と道義的優位を前提とされているため、わずかな逸脱でも大きな外交的・道義的コストを被る。こうした期待値の非対称性そのものが戦略的レバレッジとして機能している。

加えて、ハマスが一方的な停戦に応じないのも当然で、停戦すれば国際世論の注目が薄れ、イスラエルによる封鎖や占領の構造が再び不可視化される。戦いを継続し、自らの「被害を受ける象徴」としての役割を維持し続けることが、彼らにとっての政治的合理性であり、自己の正統性を高める手段となる。

結論として、ハマスの行動は冷徹な合理性に基づいた長期戦略であり、イスラエルはその挑発に反応し続けることで、国際的信頼、軍事資源、政治的正統性を徐々に失っていく構造に自ら嵌っている。この戦争の帰結は、軍事的損失の多少ではなく、「誰が長期的に消耗に耐え、世論と正統性を握り続けるか」によって決まる。
そしてその視点に立てば、すでに勝敗の構図は明らかだろう。