>>91
ニューヨーク・ヘラルド紙は最後までユダヤ禍と戦い通した新聞として有名である、同紙の社長ジェームス・ペネット氏は敢然としてユダヤの財閥に挑戦し、死に至るまでジユーの軍門に降ることはなかった、彼はかってニューヨーク一流の百貨店を経営するユダヤ人社長から市長立候補についての応援を依頼された、氏はその時この手紙を紙上に公表してその策動を暴き断然拒否したのである、その結果ユダヤ広告主の経済封鎖を喰ってそのための損失は毎年二百五十万マルクといわれるほどの財政的苦痛であったという、しかし彼は非ユダヤ人の広告料を安くし顧客を吸収して死に至るまで経営を維持しユダヤと戦い続けたのであったが、この光栄ある孤立も彼の死後無残に蹂躪されて同紙は間もなくニューヨーク・サン紙と合併、ユダヤ財閥の交渉下におかれることことなった