日本がウクライナに「停戦を勧める」ことは、国益にも国際的信用にも反する。第一に、ウクライナが侵略を受けた被害国である以上、停戦を勧めることは加害国ロシアの軍事的成果を黙認する行為になる。武力で国境線を書き換える行為を事実上容認すれば、「実効支配を拡大すれば勝ち」という前例を残し、台湾・尖閣・南西諸島の安全保障にも直接悪影響を及ぼす。つまり、ウクライナ問題は日本にとって他人事ではなく、国境を力で変える行為に対して「妥協を促す」こと自体が安全保障上の自殺行為に近い。

第二に、国際社会の秩序維持の観点でも、日本が停戦を勧めれば「侵略側に譲歩を促す国」として信用を失う。日本はG7の一員として、国連憲章に基づく主権尊重と領土保全の原則を支持している。ここでロシアの既成事実を容認すれば、アジアでの発言力を失い、中国・ロシア・北朝鮮が連携する「力の秩序」に呑まれるだけだ。日本外交が築いてきた「法とルールの支配を重視する立場」が根底から崩壊する。

第三に、道義的観点からも、ウクライナに「諦めて停戦しろ」と言うのは被害者への二次加害に等しい。市民の拉致・拷問・民間施設へのミサイル攻撃・占領地での文化抹消といった行為が継続している中で、「妥協」を迫るのは道義的にも不当だ。停戦とは単なる戦闘の停止ではなく、侵略の固定化を意味する。しかもロシアは停戦合意を何度も反故にしてきた過去があり、「停戦」自体が戦略的な再攻勢準備の時間稼ぎになりかねない。

日本が取るべき立場は、戦争の早期終結を祈りつつも、「侵略を正当化する形の停戦」を認めないことだ。ウクライナが自国の主権と領土を守る戦いを続ける限り、それを支持することが国益にも合致し、世界秩序を守る唯一の現実的な選択になる。力による現状変更を許す国は、次に自らが狙われる。ゆえに、日本はウクライナに停戦を促す立場ではなく、「侵略の不当性を明確に拒否する側」でなければならない。