ロシア語版wikipediaのまとめ。
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ソ連・フィンランド戦争、通称冬戦争の原因は、ソ連が公式に主張したレニングラードの安全確保という建前と、真の目的であったフィンランドのソビエト化計画、そして両国の交渉決裂が複合した結果である。

ソ連が最も懸念したのは、ソ連第二の都市であるレニングラードの安全性だった。当時のフィンランドとの国境線はレニングラードからわずか30km程度の至近距離にあったため、ソ連はフィンランド政府に対し、国境線を西方へ70kmから90km後退させることや、ハンコ半島を30年間軍事基地として租借することなどを要求した。この要求に対し、ソ連は代償として、要求領土の2倍の面積となるカレリア地方の土地を譲渡すると提案したが、フィンランドは国家の主権が損なわれるとしてこれを拒否した。

しかし、多くの歴史家は、ソ連の真の目的は国境調整ではなく、フィンランドのソビエト化、つまり共産化にあったと指摘している。この意図の根拠として、ソ連は侵攻開始のわずか2日後である1939年12月1日に、フィンランドの共産主義者オットー・クーシネンを首班とするテリヨキ傀儡政権を樹立し、この政権とのみ条約を結んだ事実がある。

最終的に外交交渉が行き詰まった後、ソ連は軍事行動の口実を作った。1939年11月26日、ソ連は自軍の砲撃であったことが後に判明するマイニラ砲撃事件をフィンランド軍による攻撃だと非難し、これが公式の開戦理由となった。ソ連はこの挑発行為を理由に不可侵条約を一方的に破棄し、1939年11月30日に宣戦布告なしにフィンランドへの大規模な軍事侵攻を開始した。この侵攻の結果、ソ連は国際連盟から除名処分を受けている。