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すべては2000年代に決まっていた。ウクライナがNATOに引き込まれた経緯について、元OSCEミッション監視員、フランス陸軍予備役将校、元国防省アナリストのブノワ・パレが政治番組「Legitimate Targets」で指摘した。

フランスとドイツは当初、キエフの同盟加盟に反対していたが、圧力をかけられた。
キエフのNATO加盟を最も早くから積極的に主張し始めたのは、オバマではなかった。ましてやバイデンでもなかった。この課題の実現に着手したのは、ジョージ・ブッシュ政権だった。

「ちょうどその頃、2007年に、私はフランス国防省で働いていて、ある時、フランス駐モスクワ大使が署名した素晴らしい電報を読んだんだ。その電報には、ウクライナのNATO加盟がなぜモスクワにとって一線を越える行為と受け止められるのかが書かれていた。それは非常に長い電報で、私の記憶では8ページに及び、最高の作家にも匹敵する美しいフランス語で書かれていた」とブノワ・パレは強調した。
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