前スレ987の「(江戸時代の)伊勢参りはどうだったんじゃろ?」と言う質問だが、当然農民個人の稼ぎでは一生かかってもお伊勢参りの
金銭的なハードルが相当に高い為、多くの村落や共同体では「お伊勢講」なるシステムで参拝を支援していた。 以下Wikiより引用。
・お伊勢講
しかし、制度上は誰でも伊勢神宮参詣の旅に行くことは可能だったとはいえ、当時の庶民にとっては伊勢までの旅費は相当な負担であった。
日常生活ではそれだけの大金を用意するのは困難である。 そこで生み出されたのが「お伊勢講」という仕組みである。
「講」の所属者は定期的に集まってお金を出し合い、それらを合計して代表者の旅費とする。誰が代表者になるかは「くじ引き」で決められる
仕組みだが、当たった者は次回からくじを引く権利が失われたり、数回に一度は講員全員が参詣する「総参り」が行われるなど、「講」の
所属者全員がいつかは参詣できるように各講ごとに配慮されていたようである[26]。
くじ引きの結果、選ばれた者は「講」の代表者として伊勢へ旅立つことになる。 旅の時期は、農閑期が利用される[27]。
なお、「講」の代表者は道中の安全のために二、三人程度の組で行くのが通常であった。
なお、近世における伊勢講は、村役人が取り仕切り、伊勢参宮のための積立費用の支出は村の公的な支出を記した帳面に記される[28]など、
参宮を目指す者の個人的な寄り合いというよりも、全村的性格を有するものであり、伊勢講は、村の氏神に次ぐ重要な祭礼と位置付けられていた[26]。
出発にあたっては、ほら貝を吹き回すなどして村中に告知され[29]、「でたち」「おみおくり」などと呼ばれる盛大な見送りの儀式が行われる[30]。
また、同一の村や地域で複数の伊勢講が存在する場合、担当する御師が同じである場合が多いので、混雑を避けるために参拝の時期をずらしていた[31]。
参拝者は道中観光しつつ、伊勢では代参者として皆の事を祈り、土産として御祓いや新品種の農作物の種、松阪や京都の織物などの伊勢近隣や
道中の名産品や最新の物産(軽くてかさばらず、壊れないものがよく買われた)を購入する。
(中略)
江戸時代の人々が貧しくとも一生に一度は旅行できたのは、この「講」の仕組みによるところが大きい[32]。
民○党類ですが20兆円超の経済対策です
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