「早戻し」ではなく従来通り「巻戻し」と表示しる
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DVDやブルーレイは、「巻く」わけではないから、
「巻戻し」ではなく「早戻し」と言うけど。
これ、メッチャ分かりにくい。
VHS世代の俺としては、「巻き戻し」で覚えていたし、
パッと見た時に頭文字一つで「巻き戻し」「早送り」が分かったのに、
今は両方とも頭文字が「早」だから、瞬時に判断ができなくてメッチャ困る。 「2020年に全学校で情報端末1人1台」の理想と現実
学校教育のICT化は文部科学省が推進する一方、教師側の負担増、コストやリスクの増大など、多くの課題があります。現状ではどれくらい進んでいるのでしょうか。
[佐藤由紀子,ITmedia]
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1704/02/news010.html 「2020年に全学校で情報端末1人1台」の理想と現実
学校教育のICT化は文部科学省が推進する一方、教師側の負担増、コストやリスクの増大など、多くの課題があります。現状ではどれくらい進んでいるのでしょうか。
[佐藤由紀子,ITmedia]
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1704/02/news010.html
少し前に、米国のK-12(日本の幼稚園〜高校3年に当たる)教育市場でGoogleの「Chrome OS」のシェアが58%に増えたという記事を書きました。ちなみに、2位はWindowsで22%、3位はiOSで14%です。市場規模は拡大していて、端末の総出荷台数は前年比18%増の1260万台にのぼります。
この記事を書きながら、そういえば日本の学校教育のICT化はどこまで進んでいるのか疑問が生じました。文部科学省は2020年度に向けて「全ての学校で1人1台の情報端末を活用した学習を推進する」ことを掲げていますが、実際はどうでしょう。
Googleは教育関連サイトで「Chromebookが、日本の理系教育の水準を引き上げる」と主張して、日本での導入事例を紹介していますが、一部の私立校での話です。米国市場と異なり、日本市場でChrome OSの存在感はあまりありません。
ict 1
Googleの教育関連サイトでは、「Chromebookが、日本の理系教育の水準を引き上げる」とアピール
そこで、日本マイクロソフトが公開している「教育ICTリサーチ2016」というホワイトペーパーを見てみました。全国の教育委員会(なので公立の小中高校の話)を対象に、2016年1月〜4月に行った(有効回答数は1093件)調査の結果です。
この調査によると、PCの導入状況は「PC教室ステージ」(多分、PCを使える教室があるという意味)にある自治体が43%、それよりPCの数が多い「共有端末ステージ」の自治体が56%、そして「1人1台端末ステージ」はなんと1%でした。3年以内に1人1台端末ステージに移行する目標についての調査でも、たったの4%です。
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日本の公立学校におけるPC導入状況(資料:日本マイクロソフト)
共有端末ステージはさらに、「1校に80台未満」「1校に80台以上」「3.6人に1台」という3つに分けられていて、2016年時点での都道府県別グラフを見ると、ほとんどが80台未満であることが分かります。 ict 2
都道府県別導入状況(資料:日本マイクロソフト)
実際に教育現場でのICT化はどうなっているのか、某市で公立中学校の先生をしている友人に聞いてみたところ、管理者ではないのでシステムなどについては把握していないと断ったうえで、現状を教えてくれました。
まず、教師は1人1台、Windows 8.1搭載のデスクトップPCが職員室の机に置かれているそうです。インターネットには接続できるけれど接続先は規制されていて、マシンにはもちろん勝手にアプリなどはインストールできません。そういうところは一般的な企業と同じですね。
PCは教室にも1台あって、これはみんなWindows 7搭載のノートPCとのこと。OSが統一されていないことが少々気になります。ちなみに、このPCは休み時間に生徒が勝手に使っていい、というわけではなくて、授業で教材を表示するためにあるそうです。
その教材を表示するシステムは、地元の(これ大事)IT企業が教育機関向けに提供している「総合教育ICTソリューション」です。職員室にある配信サーバから構内LANを使って各教室のノートPC(教室にLANポートが1つだけある)にコンテンツを配信し、HDMI接続した大きめのディスプレイに表示します。
私は小学生のころ(すごい昔)、社会科や道徳の授業でNHKの教育テレビの番組を見せられたりしたものですが、それがPCになったという感じでしょうか。配信時間を選べるのは当時より便利ですが。
タブレットを導入する予定はないのかと聞いたところ、「来年度に10台導入するかも」との回答。1学年にではなく、1校に10台です。微妙な数ですが、どう活用するのでしょうか。もちろん、この公立中学校よりICT化が進んでいるケースもあるでしょうが、上記の調査結果も踏まえると、日本の教育現場のICT化はまだまだこれからと言えます。
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10/8(日) 7:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171008-00010000-norimono-bus_all
「国鉄の香り」ルームフレグランス。左は5mlのサンプルボトル。中央は25mlの製品版で、本を模したパッケージに納められる(高橋 竜さん提供)。
鼻をつく独特のにおい?
国鉄時代の車両における車内のにおいを再現したという、ルームフレグランスが登場。2017年10月3日(火)からインターネット上のクラウドファンディングサービス「Readyfor」にて、支援の返礼品という形で購入を受け付けています。
【画像】「国鉄青モケットクッション」とは
出品者は合同会社ビイエルテイ(東京都港区)代表の高橋 竜さん(※高は正しくは旧字体)。「国鉄スピリットを受け継ぐ」というブランド「COQTEZ」を立ち上げ、その第1弾として、「国鉄の香り」ルームフレグランスと、国鉄車両のシートに見られる青モケットを再現した「国鉄青モケットクッション」を商品化したといいます。
鉄道をテーマにしたフレグランス商品としては世界初だという「国鉄の香り」。どのようなにおいなのか、高橋さんに聞きました。
――「国鉄の香り」とはどのようなものでしょうか?
昔の国鉄車両に乗ったときに感じられる、少し鼻をつく、何ともいえない独特のにおいを再現したものです。聞くところによると消毒剤のにおいだそうですが、その正体はわたし自身もよくわかっていません。
わたしは、かつてブルートレイン「あさかぜ」の最後尾車両として使われ、現在は福岡市東区の貝塚公園に保存されているナハネフ22形客車の修復活動に携わっているのですが、1965(昭和40)年に製造されたこの車両もいまなお、そのにおいが残っています。
イベントでこの車両を公開した際には、昔を知る方々が口々にこのにおいを「懐かしい」とおっしゃっていました。ディーゼルカーなどでは軽油のにおいのほうが強いかもしれませんが、昭和30、40年代ころに製造された車両で、通勤電車や電気機関車に牽引された客車では、広く共通するにおいだと思います。
. 車内を再現、「国鉄の香り」商品化へ!? 制作者と識者に聞く、そもそもどんなにおい?
福岡市の貝塚公園に保存されているナハネフ22形客車、修復後の姿(高橋 竜さん提供)。
「もっとエグい感じ」 実態のわからないにおい、どう再現?
――具体的に何のにおいかがわからない状態で、どのようにそれを再現したのでしょうか?
自然由来の製品を手掛けるバリバリー(名古屋市緑区)さんに、フレグランスの製造を依頼しました。しかし、実態のわからない香りを再現するということもあり、2度断られています。
そこを何とか……とお願いし、調香師の須山麻衣子さんにリニア・鉄道館(名古屋市港区)で展示されている国鉄時代の特急電車内のにおいを嗅いできてもらい、その香りを作っていただきました。
最初に届いたサンプルは、ヒノキの香りを思わせるさわやかな感じでした。「もっと臭くてエグい感じです」と再製作をお願いし、後日、より臭くてクセのあるふたつ目のサンプルをいただきました。
ふたつのサンプルを持ってナハネフ22形の車内で嗅ぎ比べをしたところ、実際のにおいは、最初にひとつ目のサンプルに近いさわやかな感じがし、後からエグい感じがくる、というものだったのです。このため、両方のサンプルを掛け合わせたような香りを完成版としています。
――そもそもなぜ「国鉄の香り」を作ったのでしょうか?
「国鉄の香り」フレグランスは当初、クラウドファンディングで募ったナハネフ22形客車の修復活動支援において、返礼品のひとつとして作ったものです。
新幹線やブルートレインをこの世に生み出した旧国鉄の十河信二(1884〜1981)総裁と、島 秀雄(1901〜1998)技師長、このおふたりに敬意を表し、わたし自身もこの世にないようなものを返礼としたいという思いがありました。なお、今回は「国鉄の香り」を商品化しクラウドファンディングを行うものですが、売上の一部はナハネフ22形客車の修復基金に拠出します。
――フレグランスはどう使うのでしょうか?
「国鉄青モケットクッション」に吹きかけて嗅いでいただければ、列車のなかにいるかのような感覚になります。あくまでわたしの感想ですが。青モケットクッションでなくても、やはり家具やソファーに吹きかけて楽しんでいただくのがよいと思います。
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次ページは:結局どんなにおいなのか 京都鉄道博物館に展示されている国鉄時代の寝台電車583系。原口隆行さんは「ひと晩走って寝台から座席に切り替わったあとに乗車すると、何ともいえないにおいを感じた」という(太田幸宏撮影)。
結局どんなにおいなのか
実態のわからない「国鉄の香り」。その言葉から思い出されるにおい、あるいは記憶は、人によってもさまざまでしょう。
貝塚公園と同じナハネフ22形客車を展示している鉄道博物館(さいたま市大宮区)の奥原哲志学芸員によると、「確かに、当時の車両で共通するにおいをお感じになる方はいらっしゃいます」とのこと。「やはり塩素系の、消毒剤のようなにおいですが、当時の消毒剤について詳しくはわかっていません。
ただ展示車両について言えば、たとえばタバコのにおいが染みついていたようなものもあり、ひと通り清掃していますので、それぞれが当時のにおいを残しているわけではないかもしれません」と話します。
1938(昭和13)年に生まれ、数々の国鉄車両に乗車した鉄道研究家の原口隆行さんによると、「昭和30年代には都市部の電車で、検査から出場したばかりのときなどに消毒剤のにおいを感じました。しかしより印象に残っているのは、SL時代の客車に染み込んだ煤煙や、床が木造の車両で強かったニスのにおいなどですね」と振り返ります。
「電気機関車が牽引するブルートレインの客車や、電車特急などでは、車両のもともとのにおいというより『人』のにおいが思い出されます。ひと晩走って朝起きたときの車内は、もわっとした空気があって、何ともいえないにおいが漂っていた」そうです。
ちなみに「国鉄の香り」フレグランスを調香したバリバリ―の須山麻衣子さんは「Readyfor」のページに「クッションの肌触り、車窓から見える景色ガタゴト響く振動、旅の途中で食べたお弁当。この香りを嗅ぐと、ひとたびその光景が目の前に一瞬にして広がります」とのコメントを寄せています。
やはり、「国鉄の香り」といって思い出される記憶は、人それぞれ異なるようです。
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乗りものニュース編集部
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最終更新:10/9(月) 8:05
乗りものニュース 時事ドットコムニュース
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写真特集
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懐かしの携帯電話 写真特集
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懐かしの携帯電話 写真特集
https://www.jiji.com/jc/d4?p=ktd175&d=d4_ccc
TZ―802B
1987年4月に発売された日本初の携帯電話「TZ―802B」(右)。体積は500cc、重さは約900グラムだった。左は、据え置き型の自動車電話を改良し、肩から提げて持ち運べるようにした「ショルダーフォン」[松下通信工業提供] 【時事通信社】 AV機器・ホームシアター好きな人にオススメの稼げるブログ
グーグル検索⇒『立木のボボトイテテレ』
VWUZM 携帯電話の説明書も、
一時期は「辞書か」ってくらい分厚かったのが
いまや説明書内包(っていうのか?)か 東芝のメディアプレーヤがPCにはいってるがなぜか操作パネルに巻き戻し早送りって書かれてて草 仙台空港の“パタパタ”、21年の歴史に幕 最終便後、真っ黒に
10/27(土) 21:14配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181027-00000003-awire-bus_all
役目を終えた仙台空港の反転フラップ式案内表示機=18年10月27日 PHOTO: Yusuke KOHASE/Aviation Wire
仙台空港で、航空会社名や行先、出発時刻などを案内していた反転フラップ式案内表示機、通称“パタパタ”が、夏ダイヤ最終日となった10月27日で引退し、21年の歴史に幕を下ろした。冬ダイヤが始まる28日からは、多言語の新発着案内システムに移行する。
仙台空港の反転フラップ式案内表示機は、現在の旅客ターミナルがオープンした1997年から使用。2階出発階の保安検査場入口上の壁面などに設置し、初代を引退まで21年間使い続けた。
“パタパタ”は、直近の出発を案内する最上段の便が出発するたび、下段に向けてパタパタと音をたてて切り替わる仕組み。左から航空会社名、便名、行き先、時刻、搭乗口などを表記し、上から下に順次切り替わる。国内線は10行、国際線は5行表示する。
国内線でパタパタと切り替わる際には、2014年まで運航していたジャルエクスプレス(JEX/JC:日本航空に統合)の旧ロゴのほか、広島西など過去の就航地の表示も見られた。
27日の出発最終便となった、エア・ドゥ(ADO/HD)の午後8時45分発札幌行きHD111便の案内を最後に、役目を終えた。同便の出発後、すべての表示が消え、真っ黒な状態になった。国際線は、アシアナ航空(AAR/OZ)の午後6時40分発ソウル(仁川)行きOZ151便の案内が最後となった。
1日の運航を終了する午後8時台には、“最後の勇姿”をスマートフォンなどで撮影する航空ファンの姿が見られた。名古屋から来た男性客は、動画で撮影。名古屋への出発前に、名残惜しそうに再生していた。
空港を運営する仙台国際空港会社によると、“パタパタ”は当面、全表示が消えた状態で残すという。
28日からは、館内34カ所にデジタルサイネージを設置し、発着案内のほかに空港内の案内図や搭乗口の変更情報などを4言語で表示する。仙台空港では同日から、新旅客搭乗施設「ピア棟」の供用を開始。これに合わせて新発着案内システムに移行する。
反転フラップ式案内表示機は、開発した伊ソラリー社の社名から「ソラリー式」、表示がパタパタと音を立てて変わることから「パタパタ式」などとも呼ばれ、空港や駅などの発着案内や時計などに使われてきた。
しかし、空港では訪日外国人の増加や維持管理の関係で、近年は液晶パネルなどを使ったデジタル式への移行が全国的に進んでおり、施設リニューアルが進む伊丹空港や福岡空港、地方では札幌の丘珠空港などで姿を消しつつある。
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Yusuke KOHASE
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最終更新:10/27(土) 21:35
Aviation Wire 見かけなくなった「いちごスプーン」 メーカーが明かす現在の“意外な用途”
1/19(土) 6:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00000008-zdn_mkt-bus_all
懐かしのいちごスプーン
「あ、このスプーン懐かしい。子どものころ、いちごをつぶして食べていたっけ」
帰省した際、実家の食器棚で久しぶりにいちごスプーンを見たという人もいるのでは。一般的なスプーンと違い、いちごをつぶしやすいように皿の部分が平らになっており、力を加えた際につるんと滑るのを防止する突起がついているのがいちごスプーンの特徴だ。
いちごをつぶして練乳をかけるとこんな姿に
いちごスプーンを日本で初めて開発したメーカーを取材すると、現在も少量ではあるが生産を続けていた。そして、現在はいちごを食べる以外の用途にも使われるケースが増えているという。
消費者はいちごをどのようにして食べているのだろうか。食べ方によって、いちごスプーンの生産量にどのような影響を与えているのだろうか。
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何もつけなくても十分甘い
いちごスプーンの変遷を調べるにあたって、消費者がどのようにしていちごを食べているのか取材することにした。
とある地方都市で40年近く青果店を営む店主によると、かつては酸味が強く小粒のいちごが多く流通していたので、砂糖や練乳で甘くして食べるお客が多かったという。同店ではかつて、いちごと一緒に練乳を並べて販売していた。たまに練乳を切らすと、お客から「練乳はないの?」と聞かれることがあった。
しかし、最近では練乳と一緒に買うお客が減ったので、いちごだけを店頭に並べている。「最近のいちごは大粒になって、甘さが増しました。何もつけなくても十分おいしいので、そのまま食べる方が多くなったのではないでしょうか」と店主は分析する。
いちごの品種改良はどのように進んだのだろうか。国内有数の生産量を誇る栃木県で新品種の開発などを行う「農業試験場いちご研究所」(栃木市)の担当者によると、今から30〜40年前に広く流通していたいちごは、小粒で酸味が強かったという。しかし、品種改良が進んだ結果「食味がよいものが普及しました」(担当者)。
現在流通している代表的なものには、大粒で甘い「とちおとめ」などが挙げられる。
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次ページは:練乳を製造するメーカーの見解は? 練乳を製造するメーカーの見解は?
練乳を製造しているメーカーの見解はどうだろうか。1919年、缶入り練乳の販売を開始した森永乳業の広報担当者に話を聞いてみた。森永乳業は練乳市場のシェア約6割を誇る(同社推計)。広報担当者は「正確な調査をしたことはありませんが、当社ではいちごに練乳をかけるお客さまの数は減っていないと認識しています。
数十年から現在までの出荷量の推移を示すデータは公開できませんが、ここ数年は横ばいです」と説明した。
生産者はどう考えているのだろうか。記者はかつて子どもを連れていちご狩り体験に出掛けたことがあるが、農家の男性から「何もつけないで食べるのが一番おいしいですよ」と言われたことがある。いちご狩り体験を実施している農家のWebサイトをいくつか見ても、そのまま食べることを推奨している。
以上の情報を総合すると、少なくとも何もつけずにいちごを食べる消費者の割合は増えていると推測される。練乳や砂糖がからみやすいように、いちごをわざわざつぶして食べるシーンが増えているとは言い難い。
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いちごスプーンを発明した製造メーカーの見解は?
金属洋食器などの製造を手掛ける小林工業(新潟県燕市)は、現在でもいちごスプーンを製造している。同社の小林貞夫社長は「1960年に当社が日本で初めていちごスプーンを開発したと聞いています」と語る。当時、日本産のいちごが流通し始めていたが、酸味の強いものが多かったため、砂糖や牛乳をかけて食べるのが一般的だった。
しかし、皿の部分が丸い通常のスプーンでいちごをつぶそうとすると、つるんと逃げてしまう。そこで、同社が協力工場と専用スプーンの開発に着手することになったという。
小林社長が開発に携わった職人に聞いた話によると、最初の試作品はスプーンの皿の部分が平らなものだった。しかし、まだまだ改良の余地があると判断した職人は、いちごの種をヒントに突起をつけることを思いついた。試行錯誤を繰り返した結果、直線状に突起を並べるのではなく、微妙に突起の位置をずらして並べたものを考案した。
当時としては画期的なアイデアだった。
いちごスプーンは大ヒットし、最盛期には燕市全体で年間15〜30万本生産されていたのではないかと小林社長は振り返る。小林工業でもかつては年間5〜6万本生産していた。
現在、同社が生産するいちごスプーンは年間300〜600本にとどまる。小林社長は「いちごの食べ方が変わったので、いちごスプーンの役割は終わろうとしています。しかし、現在も当社の製品がほしいというファンの方がいらっしゃるので、生産を続けています」と語った。
もちろん、同社以外にもいちごスプーンの製造を続けるメーカーはあるが、生産量は最盛期に及ばないとみられる。
なお、小林社長によると、いちごスプーンは介護食や離乳食を食べるシーンで利用されるようになっているという。食品をしっかり固定し、つぶしやすい形状が支持されているのだとか。
すっかり姿を見なくなったいちごスプーンだが、意外な形で生き残りそうである。
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最終更新:1/19(土) 6:05
ITmedia ビジネスオンライン かかりつけの医院にVHSデッキ(一体型ではなく純粋なVHS)が置いてあって感動した 「そういえばあったね!」 昭和では当たり前だったクルマあるある5選
1/25(金) 6:20配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190125-00010000-kurumans-bus_all
ラジオ局の選局にも一苦労した時代
昭和のクルマには普通にあった、懐かしのあれこれ
2019年になり、平成も終わりを迎えようとしています。その昔、昭和のクルマにおいては一般的だった装備や日常的に行われていることがたくさんありました。
あの頃を思い出す「懐かしくなるもの」を画像で見る
時代や社会の変化とともになくなってしまった、または、なくなりつつある懐かしのあれこれ5選をご紹介します。
●5ボタンが並ぶアナログ選局ラジオ
1980年ごろから日本車のオーディオも欧州と同様に、「DINサイズ」と呼ばれた180mm×50mmサイズの規格に沿ったものが増えてきました。
それ以前は150mm×50mmのユニットサイズやとくに規格統一されていないものもあり、よく見かけたのはダッシュボードに左右に丸いダイヤルと間にプッシュ式5ボタンのカーラジオが埋め込まれていたクルマです。
多くのカーラジオは、右側の丸いダイヤルが電源とボリューム兼用で、一度押すと電源ON、もう一回押すと電源OFF、右に回せば音量が大きくなり、周囲にあるリングが音質の調整になっていました。
1970年頃からは、高級車や上位グレードの車両ではプッシュ式5ボタンラジオでもFM放送が受信可能なものも登場。当時は、首都圏のFM放送局といえば「FM東京」と「NHK-FM」しかなかった時代のため、FMは2つで十分だったと思われます。
選局方法などは、AMのみの5ボタンラジオと同じでしたが、左側の丸いチューニングダイヤルの周囲にあるリングが左右の音量バランスになっているものが多く存在していました。
●時速105kmを超えると鳴る速度超過警告音
日本で生産されて国内で使用するクルマには、1974年(昭和49年)から速度超過警告ブザーが装着されていました。普通乗用車では車速が約105km/h、軽自動車では約85km/hを超えた際にドライバーに警告するためのものです。
初期の頃は、メーター裏に装着された小型の鉄琴を鳴らす仕組みになっていて『キンコン』と軽やかな音を発するものがほとんどでした。
また、1980年(昭和50年代後半)頃からは電子音のブザーが鳴る車種も増えましたが、アナログ式のスピードメーター装着車は、ブザーに接続されているケーブルを簡単に外せる車種が多く存在。
メーター周りを分解できる人なら簡単に警告音ブザーを解除することも可能でしたが、1986年(昭和61年)に装備の義務付けが廃止されて終焉を迎えました。 日産 セドリックのメーターまわり
●エンジンの一発吹かし止め
昭和の頃は、エンジンを止める前にアクセルを踏んでエンジン回転数を上げる「ブリッピング(空吹かし)」をするドライバーが多くいました。
その理由のひとつとして、1960年代半ば(昭和40年代)頃まではキャブレターと呼ばれる機械式の燃料供給装置が主だったことです。
ブリッピングする理由は、次回のエンジンスタートの際に燃焼室にガソリン成分が残っていて始動しやすいようにするためという人もいます。
実際、高出力エンジン搭載車の場合には、大口径のキャブレターを装着されていた車種が多く、クルマを止める直前に低回転で走行していると供給される燃料に対する燃焼のバランスが崩れ『プラグがカブる(燃料やスラッジによってスパークプラグの着火が悪くなる)』ことを嫌っていたことがその始まりです。
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「そういえばあったね!」 昭和では当たり前だったクルマあるある5選
雪道の性能的には抜群だったが、デメリットが多かったスパイクタイヤ
クルマ業界は凄まじい進化を遂げている
●スパイクタイヤ
当時は、当たり前のように装着していたスパイクタイヤは、1991年以降に特別な状況やクローズドの競技以外での使用は法律で禁止されています。
スパイクタイヤの販売は1985年がピークでしたが、凍結路での走行ができるようにタイヤの接地面に金属製の鋲を打ち込んでいました。
そのため、路面標示の損傷やアスファルトを削って巻き起こす粉塵が地域住民の健康に悪影響を与えると判断され、1990年に「スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する法律」が発布されます。
凍結路でも氷に鉄のスパイクを履いて歩いているような安心感があったスパイクタイヤも、社会情勢によって存在を継続できなくなりました。 ●バッテリー補充液
最近では見かける機会が減りましたが、昭和の頃はカー用品店やホームセンターなどには『バッテリー補充液』のボトルが何種類も販売され、売り場の一角を占めていました。バッテリー内の電解液が減った場合は、精製水もしくはバッテリー用補充液を補充する必要があったからです。
その後、バッテリー液の減りが少ないメンテナンスフリーバッテリーが登場すると補充の必要が大幅に減りました。まして、昨今のハイブリッド車やアイドリングストップ車のように密閉型の専用バッテリーが搭載されている車種に乗っている方にはほぼ関係のない話になっています。
ただし、メンテンナンスフリーバッテリーでもバッテリー液が減らないことはありません。車両側の充電装置にトラブルがあればバッテリー液の著しい減少を招きます。
点検窓の確認や光に透かしてバッテリー液の減りがあると感じた場合は、故障している可能性もあるので早めに修理工場に相談した方が良いでしょう。
※ ※ ※
昭和を知る世代には、『あるある』と懐かしくなるものを紹介しましたが、いま当たり前のものも次の世代になれば懐かしくなるものに変わります。クルマを通して当時を思い出すのも良いかもしれません。
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くるまのニュース編集部
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くるまのニュース 平成に消えた鉄道風景 切符切り、食堂車、ポリ容器のお茶も
1/30(水) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190130-00000015-pseven-soci&pos=4
子どもも大人も憧れた「食堂車」(時事通信フォト)
あと3か月あまりで平成の歴史に幕が下りる。平成元年(1989年)にはよく見かけた街中や交通機関での光景は、今やすっかり「過去の遺物」──ということも実は多い。
【画像】あなたは飲んだ? 懐かしすぎるポリ容器のお茶
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東京─大阪間の新幹線の所要時間が短縮されたことも影響し、この30年間で消えたのが食堂車だ。
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「家族旅行で、息子にせがまれて『ひかり』の食堂車でカレーを食べさせました。“高いから”と自分は一緒に食事を注文せず、ビールだけ飲んでいました」(65歳・自営業)
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ちなみに、ペットボトルの登場以前はポリ容器に入ったお茶が定番で、駅や電車内でも売られていた。
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寝台列車や喫煙車も、多くが姿を消した。SuicaなどICカード全盛の現代では、切符切りどころか切符そのものに触れる機会も少なくなっている。
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※週刊ポスト2019年2月8日号
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