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「早戻し」ではなく従来通り「巻戻し」と表示しる
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2018/03/06(火) 20:29:22.39ID:6TGLFAzU0
携帯電話の説明書も、
一時期は「辞書か」ってくらい分厚かったのが
いまや説明書内包(っていうのか?)か
0157名無しさん┃】【┃Dolby
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2018/03/13(火) 17:30:49.41ID:KYiPgiYW0
東芝のメディアプレーヤがPCにはいってるがなぜか操作パネルに巻き戻し早送りって書かれてて草
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2018/11/03(土) 11:59:20.32ID:5jTxcmTN0
仙台空港の“パタパタ”、21年の歴史に幕 最終便後、真っ黒に
10/27(土) 21:14配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181027-00000003-awire-bus_all


役目を終えた仙台空港の反転フラップ式案内表示機=18年10月27日 PHOTO: Yusuke KOHASE/Aviation Wire


 仙台空港で、航空会社名や行先、出発時刻などを案内していた反転フラップ式案内表示機、通称“パタパタ”が、夏ダイヤ最終日となった10月27日で引退し、21年の歴史に幕を下ろした。冬ダイヤが始まる28日からは、多言語の新発着案内システムに移行する。

 仙台空港の反転フラップ式案内表示機は、現在の旅客ターミナルがオープンした1997年から使用。2階出発階の保安検査場入口上の壁面などに設置し、初代を引退まで21年間使い続けた。

 “パタパタ”は、直近の出発を案内する最上段の便が出発するたび、下段に向けてパタパタと音をたてて切り替わる仕組み。左から航空会社名、便名、行き先、時刻、搭乗口などを表記し、上から下に順次切り替わる。国内線は10行、国際線は5行表示する。

 国内線でパタパタと切り替わる際には、2014年まで運航していたジャルエクスプレス(JEX/JC:日本航空に統合)の旧ロゴのほか、広島西など過去の就航地の表示も見られた。

 27日の出発最終便となった、エア・ドゥ(ADO/HD)の午後8時45分発札幌行きHD111便の案内を最後に、役目を終えた。同便の出発後、すべての表示が消え、真っ黒な状態になった。国際線は、アシアナ航空(AAR/OZ)の午後6時40分発ソウル(仁川)行きOZ151便の案内が最後となった。

 1日の運航を終了する午後8時台には、“最後の勇姿”をスマートフォンなどで撮影する航空ファンの姿が見られた。名古屋から来た男性客は、動画で撮影。名古屋への出発前に、名残惜しそうに再生していた。

 空港を運営する仙台国際空港会社によると、“パタパタ”は当面、全表示が消えた状態で残すという。

 28日からは、館内34カ所にデジタルサイネージを設置し、発着案内のほかに空港内の案内図や搭乗口の変更情報などを4言語で表示する。仙台空港では同日から、新旅客搭乗施設「ピア棟」の供用を開始。これに合わせて新発着案内システムに移行する。

 反転フラップ式案内表示機は、開発した伊ソラリー社の社名から「ソラリー式」、表示がパタパタと音を立てて変わることから「パタパタ式」などとも呼ばれ、空港や駅などの発着案内や時計などに使われてきた。

 しかし、空港では訪日外国人の増加や維持管理の関係で、近年は液晶パネルなどを使ったデジタル式への移行が全国的に進んでおり、施設リニューアルが進む伊丹空港や福岡空港、地方では札幌の丘珠空港などで姿を消しつつある。
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Yusuke KOHASE


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最終更新:10/27(土) 21:35
Aviation Wire
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2019/01/19(土) 17:20:50.22ID:nXEpO2Aj0
見かけなくなった「いちごスプーン」 メーカーが明かす現在の“意外な用途”
1/19(土) 6:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00000008-zdn_mkt-bus_all

懐かしのいちごスプーン


 「あ、このスプーン懐かしい。子どものころ、いちごをつぶして食べていたっけ」

 帰省した際、実家の食器棚で久しぶりにいちごスプーンを見たという人もいるのでは。一般的なスプーンと違い、いちごをつぶしやすいように皿の部分が平らになっており、力を加えた際につるんと滑るのを防止する突起がついているのがいちごスプーンの特徴だ。

いちごをつぶして練乳をかけるとこんな姿に

 いちごスプーンを日本で初めて開発したメーカーを取材すると、現在も少量ではあるが生産を続けていた。そして、現在はいちごを食べる以外の用途にも使われるケースが増えているという。

 消費者はいちごをどのようにして食べているのだろうか。食べ方によって、いちごスプーンの生産量にどのような影響を与えているのだろうか。
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何もつけなくても十分甘い

 いちごスプーンの変遷を調べるにあたって、消費者がどのようにしていちごを食べているのか取材することにした。

 とある地方都市で40年近く青果店を営む店主によると、かつては酸味が強く小粒のいちごが多く流通していたので、砂糖や練乳で甘くして食べるお客が多かったという。同店ではかつて、いちごと一緒に練乳を並べて販売していた。たまに練乳を切らすと、お客から「練乳はないの?」と聞かれることがあった。
しかし、最近では練乳と一緒に買うお客が減ったので、いちごだけを店頭に並べている。「最近のいちごは大粒になって、甘さが増しました。何もつけなくても十分おいしいので、そのまま食べる方が多くなったのではないでしょうか」と店主は分析する。

 いちごの品種改良はどのように進んだのだろうか。国内有数の生産量を誇る栃木県で新品種の開発などを行う「農業試験場いちご研究所」(栃木市)の担当者によると、今から30〜40年前に広く流通していたいちごは、小粒で酸味が強かったという。しかし、品種改良が進んだ結果「食味がよいものが普及しました」(担当者)。
現在流通している代表的なものには、大粒で甘い「とちおとめ」などが挙げられる。
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次ページは:練乳を製造するメーカーの見解は?
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2019/01/19(土) 17:23:41.37ID:nXEpO2Aj0
練乳を製造するメーカーの見解は?

 練乳を製造しているメーカーの見解はどうだろうか。1919年、缶入り練乳の販売を開始した森永乳業の広報担当者に話を聞いてみた。森永乳業は練乳市場のシェア約6割を誇る(同社推計)。広報担当者は「正確な調査をしたことはありませんが、当社ではいちごに練乳をかけるお客さまの数は減っていないと認識しています。
数十年から現在までの出荷量の推移を示すデータは公開できませんが、ここ数年は横ばいです」と説明した。

 生産者はどう考えているのだろうか。記者はかつて子どもを連れていちご狩り体験に出掛けたことがあるが、農家の男性から「何もつけないで食べるのが一番おいしいですよ」と言われたことがある。いちご狩り体験を実施している農家のWebサイトをいくつか見ても、そのまま食べることを推奨している。

 以上の情報を総合すると、少なくとも何もつけずにいちごを食べる消費者の割合は増えていると推測される。練乳や砂糖がからみやすいように、いちごをわざわざつぶして食べるシーンが増えているとは言い難い。
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いちごスプーンを発明した製造メーカーの見解は?

 金属洋食器などの製造を手掛ける小林工業(新潟県燕市)は、現在でもいちごスプーンを製造している。同社の小林貞夫社長は「1960年に当社が日本で初めていちごスプーンを開発したと聞いています」と語る。当時、日本産のいちごが流通し始めていたが、酸味の強いものが多かったため、砂糖や牛乳をかけて食べるのが一般的だった。
しかし、皿の部分が丸い通常のスプーンでいちごをつぶそうとすると、つるんと逃げてしまう。そこで、同社が協力工場と専用スプーンの開発に着手することになったという。

 小林社長が開発に携わった職人に聞いた話によると、最初の試作品はスプーンの皿の部分が平らなものだった。しかし、まだまだ改良の余地があると判断した職人は、いちごの種をヒントに突起をつけることを思いついた。試行錯誤を繰り返した結果、直線状に突起を並べるのではなく、微妙に突起の位置をずらして並べたものを考案した。
当時としては画期的なアイデアだった。

 いちごスプーンは大ヒットし、最盛期には燕市全体で年間15〜30万本生産されていたのではないかと小林社長は振り返る。小林工業でもかつては年間5〜6万本生産していた。

 現在、同社が生産するいちごスプーンは年間300〜600本にとどまる。小林社長は「いちごの食べ方が変わったので、いちごスプーンの役割は終わろうとしています。しかし、現在も当社の製品がほしいというファンの方がいらっしゃるので、生産を続けています」と語った。
もちろん、同社以外にもいちごスプーンの製造を続けるメーカーはあるが、生産量は最盛期に及ばないとみられる。

 なお、小林社長によると、いちごスプーンは介護食や離乳食を食べるシーンで利用されるようになっているという。食品をしっかり固定し、つぶしやすい形状が支持されているのだとか。

 すっかり姿を見なくなったいちごスプーンだが、意外な形で生き残りそうである。
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ITmedia ビジネスオンライン
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2019/01/19(土) 17:23:54.16ID:nXEpO2Aj0
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最終更新:1/19(土) 6:05
ITmedia ビジネスオンライン
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2019/01/19(土) 17:33:52.86ID:nXEpO2Aj0
かかりつけの医院にVHSデッキ(一体型ではなく純粋なVHS)が置いてあって感動した
0163名無しさん┃】【┃Dolby
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2019/01/28(月) 00:22:05.89ID:JQSeHx+O0
「そういえばあったね!」 昭和では当たり前だったクルマあるある5選


1/25(金) 6:20配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190125-00010000-kurumans-bus_all

ラジオ局の選局にも一苦労した時代


昭和のクルマには普通にあった、懐かしのあれこれ

 2019年になり、平成も終わりを迎えようとしています。その昔、昭和のクルマにおいては一般的だった装備や日常的に行われていることがたくさんありました。

あの頃を思い出す「懐かしくなるもの」を画像で見る

 時代や社会の変化とともになくなってしまった、または、なくなりつつある懐かしのあれこれ5選をご紹介します。

●5ボタンが並ぶアナログ選局ラジオ

 1980年ごろから日本車のオーディオも欧州と同様に、「DINサイズ」と呼ばれた180mm×50mmサイズの規格に沿ったものが増えてきました。

 それ以前は150mm×50mmのユニットサイズやとくに規格統一されていないものもあり、よく見かけたのはダッシュボードに左右に丸いダイヤルと間にプッシュ式5ボタンのカーラジオが埋め込まれていたクルマです。

 多くのカーラジオは、右側の丸いダイヤルが電源とボリューム兼用で、一度押すと電源ON、もう一回押すと電源OFF、右に回せば音量が大きくなり、周囲にあるリングが音質の調整になっていました。

 1970年頃からは、高級車や上位グレードの車両ではプッシュ式5ボタンラジオでもFM放送が受信可能なものも登場。当時は、首都圏のFM放送局といえば「FM東京」と「NHK-FM」しかなかった時代のため、FMは2つで十分だったと思われます。

 選局方法などは、AMのみの5ボタンラジオと同じでしたが、左側の丸いチューニングダイヤルの周囲にあるリングが左右の音量バランスになっているものが多く存在していました。

●時速105kmを超えると鳴る速度超過警告音

 日本で生産されて国内で使用するクルマには、1974年(昭和49年)から速度超過警告ブザーが装着されていました。普通乗用車では車速が約105km/h、軽自動車では約85km/hを超えた際にドライバーに警告するためのものです。

 初期の頃は、メーター裏に装着された小型の鉄琴を鳴らす仕組みになっていて『キンコン』と軽やかな音を発するものがほとんどでした。

 また、1980年(昭和50年代後半)頃からは電子音のブザーが鳴る車種も増えましたが、アナログ式のスピードメーター装着車は、ブザーに接続されているケーブルを簡単に外せる車種が多く存在。

 メーター周りを分解できる人なら簡単に警告音ブザーを解除することも可能でしたが、1986年(昭和61年)に装備の義務付けが廃止されて終焉を迎えました。
0164名無しさん┃】【┃Dolby
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2019/01/28(月) 00:22:18.98ID:JQSeHx+O0
日産 セドリックのメーターまわり


●エンジンの一発吹かし止め

 昭和の頃は、エンジンを止める前にアクセルを踏んでエンジン回転数を上げる「ブリッピング(空吹かし)」をするドライバーが多くいました。

 その理由のひとつとして、1960年代半ば(昭和40年代)頃まではキャブレターと呼ばれる機械式の燃料供給装置が主だったことです。

 ブリッピングする理由は、次回のエンジンスタートの際に燃焼室にガソリン成分が残っていて始動しやすいようにするためという人もいます。

 実際、高出力エンジン搭載車の場合には、大口径のキャブレターを装着されていた車種が多く、クルマを止める直前に低回転で走行していると供給される燃料に対する燃焼のバランスが崩れ『プラグがカブる(燃料やスラッジによってスパークプラグの着火が悪くなる)』ことを嫌っていたことがその始まりです。
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「そういえばあったね!」 昭和では当たり前だったクルマあるある5選


雪道の性能的には抜群だったが、デメリットが多かったスパイクタイヤ


クルマ業界は凄まじい進化を遂げている

●スパイクタイヤ

 当時は、当たり前のように装着していたスパイクタイヤは、1991年以降に特別な状況やクローズドの競技以外での使用は法律で禁止されています。

 スパイクタイヤの販売は1985年がピークでしたが、凍結路での走行ができるようにタイヤの接地面に金属製の鋲を打ち込んでいました。

 そのため、路面標示の損傷やアスファルトを削って巻き起こす粉塵が地域住民の健康に悪影響を与えると判断され、1990年に「スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する法律」が発布されます。

 凍結路でも氷に鉄のスパイクを履いて歩いているような安心感があったスパイクタイヤも、社会情勢によって存在を継続できなくなりました。
0165名無しさん┃】【┃Dolby
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2019/01/28(月) 00:22:45.95ID:JQSeHx+O0
●バッテリー補充液

 最近では見かける機会が減りましたが、昭和の頃はカー用品店やホームセンターなどには『バッテリー補充液』のボトルが何種類も販売され、売り場の一角を占めていました。バッテリー内の電解液が減った場合は、精製水もしくはバッテリー用補充液を補充する必要があったからです。

 その後、バッテリー液の減りが少ないメンテナンスフリーバッテリーが登場すると補充の必要が大幅に減りました。まして、昨今のハイブリッド車やアイドリングストップ車のように密閉型の専用バッテリーが搭載されている車種に乗っている方にはほぼ関係のない話になっています。

 ただし、メンテンナンスフリーバッテリーでもバッテリー液が減らないことはありません。車両側の充電装置にトラブルがあればバッテリー液の著しい減少を招きます。

 点検窓の確認や光に透かしてバッテリー液の減りがあると感じた場合は、故障している可能性もあるので早めに修理工場に相談した方が良いでしょう。

※ ※ ※

 昭和を知る世代には、『あるある』と懐かしくなるものを紹介しましたが、いま当たり前のものも次の世代になれば懐かしくなるものに変わります。クルマを通して当時を思い出すのも良いかもしれません。
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くるまのニュース編集部



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くるまのニュース
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2019/02/02(土) 01:26:44.23ID:MhLQbz3Y0
平成に消えた鉄道風景 切符切り、食堂車、ポリ容器のお茶も


1/30(水) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190130-00000015-pseven-soci&;pos=4


子どもも大人も憧れた「食堂車」(時事通信フォト)


 あと3か月あまりで平成の歴史に幕が下りる。平成元年(1989年)にはよく見かけた街中や交通機関での光景は、今やすっかり「過去の遺物」──ということも実は多い。

【画像】あなたは飲んだ? 懐かしすぎるポリ容器のお茶
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 東京─大阪間の新幹線の所要時間が短縮されたことも影響し、この30年間で消えたのが食堂車だ。
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「家族旅行で、息子にせがまれて『ひかり』の食堂車でカレーを食べさせました。“高いから”と自分は一緒に食事を注文せず、ビールだけ飲んでいました」(65歳・自営業)
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 ちなみに、ペットボトルの登場以前はポリ容器に入ったお茶が定番で、駅や電車内でも売られていた。
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 寝台列車や喫煙車も、多くが姿を消した。SuicaなどICカード全盛の現代では、切符切りどころか切符そのものに触れる機会も少なくなっている。
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※週刊ポスト2019年2月8日号
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最終更新:1/30(水) 16:00
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