「早戻し」ではなく従来通り「巻戻し」と表示しる
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DVDやブルーレイは、「巻く」わけではないから、
「巻戻し」ではなく「早戻し」と言うけど。
これ、メッチャ分かりにくい。
VHS世代の俺としては、「巻き戻し」で覚えていたし、
パッと見た時に頭文字一つで「巻き戻し」「早送り」が分かったのに、
今は両方とも頭文字が「早」だから、瞬時に判断ができなくてメッチャ困る。 「そういえばあったね!」 昭和では当たり前だったクルマあるある5選
1/25(金) 6:20配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190125-00010000-kurumans-bus_all
ラジオ局の選局にも一苦労した時代
昭和のクルマには普通にあった、懐かしのあれこれ
2019年になり、平成も終わりを迎えようとしています。その昔、昭和のクルマにおいては一般的だった装備や日常的に行われていることがたくさんありました。
あの頃を思い出す「懐かしくなるもの」を画像で見る
時代や社会の変化とともになくなってしまった、または、なくなりつつある懐かしのあれこれ5選をご紹介します。
●5ボタンが並ぶアナログ選局ラジオ
1980年ごろから日本車のオーディオも欧州と同様に、「DINサイズ」と呼ばれた180mm×50mmサイズの規格に沿ったものが増えてきました。
それ以前は150mm×50mmのユニットサイズやとくに規格統一されていないものもあり、よく見かけたのはダッシュボードに左右に丸いダイヤルと間にプッシュ式5ボタンのカーラジオが埋め込まれていたクルマです。
多くのカーラジオは、右側の丸いダイヤルが電源とボリューム兼用で、一度押すと電源ON、もう一回押すと電源OFF、右に回せば音量が大きくなり、周囲にあるリングが音質の調整になっていました。
1970年頃からは、高級車や上位グレードの車両ではプッシュ式5ボタンラジオでもFM放送が受信可能なものも登場。当時は、首都圏のFM放送局といえば「FM東京」と「NHK-FM」しかなかった時代のため、FMは2つで十分だったと思われます。
選局方法などは、AMのみの5ボタンラジオと同じでしたが、左側の丸いチューニングダイヤルの周囲にあるリングが左右の音量バランスになっているものが多く存在していました。
●時速105kmを超えると鳴る速度超過警告音
日本で生産されて国内で使用するクルマには、1974年(昭和49年)から速度超過警告ブザーが装着されていました。普通乗用車では車速が約105km/h、軽自動車では約85km/hを超えた際にドライバーに警告するためのものです。
初期の頃は、メーター裏に装着された小型の鉄琴を鳴らす仕組みになっていて『キンコン』と軽やかな音を発するものがほとんどでした。
また、1980年(昭和50年代後半)頃からは電子音のブザーが鳴る車種も増えましたが、アナログ式のスピードメーター装着車は、ブザーに接続されているケーブルを簡単に外せる車種が多く存在。
メーター周りを分解できる人なら簡単に警告音ブザーを解除することも可能でしたが、1986年(昭和61年)に装備の義務付けが廃止されて終焉を迎えました。 日産 セドリックのメーターまわり
●エンジンの一発吹かし止め
昭和の頃は、エンジンを止める前にアクセルを踏んでエンジン回転数を上げる「ブリッピング(空吹かし)」をするドライバーが多くいました。
その理由のひとつとして、1960年代半ば(昭和40年代)頃まではキャブレターと呼ばれる機械式の燃料供給装置が主だったことです。
ブリッピングする理由は、次回のエンジンスタートの際に燃焼室にガソリン成分が残っていて始動しやすいようにするためという人もいます。
実際、高出力エンジン搭載車の場合には、大口径のキャブレターを装着されていた車種が多く、クルマを止める直前に低回転で走行していると供給される燃料に対する燃焼のバランスが崩れ『プラグがカブる(燃料やスラッジによってスパークプラグの着火が悪くなる)』ことを嫌っていたことがその始まりです。
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「そういえばあったね!」 昭和では当たり前だったクルマあるある5選
雪道の性能的には抜群だったが、デメリットが多かったスパイクタイヤ
クルマ業界は凄まじい進化を遂げている
●スパイクタイヤ
当時は、当たり前のように装着していたスパイクタイヤは、1991年以降に特別な状況やクローズドの競技以外での使用は法律で禁止されています。
スパイクタイヤの販売は1985年がピークでしたが、凍結路での走行ができるようにタイヤの接地面に金属製の鋲を打ち込んでいました。
そのため、路面標示の損傷やアスファルトを削って巻き起こす粉塵が地域住民の健康に悪影響を与えると判断され、1990年に「スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する法律」が発布されます。
凍結路でも氷に鉄のスパイクを履いて歩いているような安心感があったスパイクタイヤも、社会情勢によって存在を継続できなくなりました。 ●バッテリー補充液
最近では見かける機会が減りましたが、昭和の頃はカー用品店やホームセンターなどには『バッテリー補充液』のボトルが何種類も販売され、売り場の一角を占めていました。バッテリー内の電解液が減った場合は、精製水もしくはバッテリー用補充液を補充する必要があったからです。
その後、バッテリー液の減りが少ないメンテナンスフリーバッテリーが登場すると補充の必要が大幅に減りました。まして、昨今のハイブリッド車やアイドリングストップ車のように密閉型の専用バッテリーが搭載されている車種に乗っている方にはほぼ関係のない話になっています。
ただし、メンテンナンスフリーバッテリーでもバッテリー液が減らないことはありません。車両側の充電装置にトラブルがあればバッテリー液の著しい減少を招きます。
点検窓の確認や光に透かしてバッテリー液の減りがあると感じた場合は、故障している可能性もあるので早めに修理工場に相談した方が良いでしょう。
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昭和を知る世代には、『あるある』と懐かしくなるものを紹介しましたが、いま当たり前のものも次の世代になれば懐かしくなるものに変わります。クルマを通して当時を思い出すのも良いかもしれません。
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くるまのニュース編集部
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くるまのニュース 平成に消えた鉄道風景 切符切り、食堂車、ポリ容器のお茶も
1/30(水) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190130-00000015-pseven-soci&pos=4
子どもも大人も憧れた「食堂車」(時事通信フォト)
あと3か月あまりで平成の歴史に幕が下りる。平成元年(1989年)にはよく見かけた街中や交通機関での光景は、今やすっかり「過去の遺物」──ということも実は多い。
【画像】あなたは飲んだ? 懐かしすぎるポリ容器のお茶
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東京─大阪間の新幹線の所要時間が短縮されたことも影響し、この30年間で消えたのが食堂車だ。
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「家族旅行で、息子にせがまれて『ひかり』の食堂車でカレーを食べさせました。“高いから”と自分は一緒に食事を注文せず、ビールだけ飲んでいました」(65歳・自営業)
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ちなみに、ペットボトルの登場以前はポリ容器に入ったお茶が定番で、駅や電車内でも売られていた。
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寝台列車や喫煙車も、多くが姿を消した。SuicaなどICカード全盛の現代では、切符切りどころか切符そのものに触れる機会も少なくなっている。
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※週刊ポスト2019年2月8日号
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最終更新:1/30(水) 16:00
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