>>854です
答えてくれた方、ありがとう

あえて、されていやだったことではなく、こうされたかったこと、と断りいれたのは理由があるんだ。
毒の虐待を反面教師にして「私はこうしない!」っていう姿勢で育児してきたんだけど、どうもうまくいかなくて。

逆の毒になりやすいはもちろんだけど、否定形(Aは絶対しない)でなんどもAの様子を具体的にイメージするとむしろ脳に染み付いて心理学的にAに寄っていくというのもあるらしい。
あと、私はしてもらえなかったことをこれだけやってるのにと苦しくてメンタルきつかった。
かといって具体的に理想の親像もなくて、手探りで育児に限界を感じてた。

で、最近気づいたんだけど、そもそも「親にされたくないこと」ばかりで、距離をとることああならないことしか考えたことがなかったから、
具体的にどんな風に親にされたかったかっていうイメージが皆無で(望んでも無駄だから望みもしない)、そもそもイメージしようなんて思ったことがなかった。

今回毒親の愚行は記憶にあえて呼び起こさずに、こんなときこうされたら嬉しかったなぁってイメージしたら、へんにトラウマ呼び起こさずに、いままでなら毒っぽくなりがちなトラブルあっても自然に子どもに優しくできるようになってきた気がする。
長文ごめん。