『異史 明治天皇伝』を読んでいるが、福沢諭吉は実に開明的な人物だったんだな。
福沢諭吉は適塾時代に緒方洪庵からオランダ語で医学を学んだのだが、緒方洪庵は
フーフェラントの『医学全書』を『林氏医戒之略』として30巻の大著を翻訳した。
そのフーフェラントはショーペンハウエルにとってはゲッティンゲン大学医学部の先輩だ。
ローマン主義時代の欧州の啓蒙思想が幕末日本で福沢諭吉に伝わったのは興味深い。
254山師さん@トレード中2018/10/05(金) 01:53:00.23ID:IBAOAUqpp>>257
>>252
お前は適当すぎる、諭吉叩いてただろ
257幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 01:54:27.95ID:74THyRWz0
>>254
幸ちゃんは福沢諭吉の「百姓や車曳きに学問を教えたのは間違いだった」という晩年の言説を引用しただけだぞ。
福沢諭吉は封建制の身分制度が大嫌いだったんだがな。結局身分制度は必要だったと痛感したのであろう。
264幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 01:57:38.80ID:74THyRWz0
福沢諭吉は大坂の適塾で学んだが、最初は大坂で腸チフスを患って緒方洪庵の弟子の治療を
受けてから、本貫のある大分の中津に戻っているんだな。適塾は明治元年に閉鎖されて、
後に大阪大学医学部になった。それゆえ阪大医学部と慶応医学部は兄弟みたいなもんだ。