>>773
Wikiからだけど、30年前と言えばこれかな。1995年、師匠の南口九段が亡くなった時の話。
トラブル[編集]
当初の師匠は南口繁一九段であったが、1998年に、剱持松二八段の門下に変わった(変えた)。
剱持とは以前から懇意にしており、また、剱持の師匠である荒巻三之九段(1993年に死去)とは家族ぐるみの付き合いだったという縁もあった。
南口については「私が奨励会に入る時の師弟関係は親が勝手に決めた名目上のことで、私は師匠から一切世話にならなかった。
私の師弟関係は無効であるにも関わらず、あたかも関係があったかのように扱われて、不名誉な思いをしてきた。
また妻や妻の親戚の人達に長年にわたり不名誉で不快な思いをさせてきた。」との旨を述べている[67]。
なお、1934年生まれの剱持は加藤より年長であるが、プロ入り(四段昇段)は1956年であり、加藤より遅い。
(『将棋世界』1998年11月号)


ひふみん当時57才、「今さら師匠でもないだろう」と言ったら「師匠が居ない棋士は除名」みたいな事を言われたはず。
剣持七段を師匠にして、その後外れたと思ってたけど、Wikiではまだ師匠になってるね。
同い年の内藤九段の師匠藤内八段が1968年に亡くなってるけど、「師匠を変えろ」とは言われてない。
剣持七段が仲が良かったから名前を貸してくれたけど、普通なら、ひふみんの師匠なんてなる人はいないんで、
連盟に「加藤一二三除名」の動きがあった事を伺わせるね。(難癖の付け方が渡辺明事件と似てるね)

久保、渡辺明に関してひふみんは、「投了してからグダグダ言う奴は嫌いだ」と言ってた。(ニコ生)
この時は、阿部隆銀河戦の「待った事件」の流れだったけど。
阿部八段の話も、Wikiは私が知ってる話とちょっと違う。