シャドバのゲーム性や面白さを否定してるのではなくて、後発組という時点で、もう分の悪い勝負という話。
そういった伝統や歴史を覆せるのが実力主義、つまりゲーム性そのものが極めて優れていれば太刀打ち出来るのだけど
残念ながらシャドバは将棋や囲碁に比べて運や引きといった要素が介在する時点で、中身で勝負は出来ないんだよ。

それは将棋や囲碁のゲーム性に、麻雀が挑むのと一緒。麻雀なんて極端な話、天和を連発すれば素人でも
麻雀の最高峰の名人位になれるじゃん、って事になる。実際、天和を引きまくればなれてしまうんだから仕方ない。

記述式のテストで難関大学を受かった人はその学力や努力の総量に見合った尊敬をされる。

でも、択一式の四択問題で、勉強せずに運だけでエンピツ転がして難関大学に受かった人間を誰が尊敬できるのよ?
仮に勉強して実力で受かったとしても、勉強しなくても結局4分の1で受かる試験でエンピツ転がして受かった人間が
チャンピオンになる可能性のある試験なら、それに受かったところで世間的な評価は低いよ。結局、四択(運)でしょ?ってなる。

それよりも、実際に答えを書き込まないと点数取れないっていうテストで合格点を取った人間の方がよっぽど社会的な信用や評価は大きい。

将棋も囲碁も記述式。シャドバや麻雀は択一式。その時点で結果は見えてる訳よ。
そして、ゲーム性以外で社会的評価に太刀打ちできるのが歴史や伝統なんだけど
シャドバは将棋や囲碁のような数百年の歴史がないので、どっちみち無理なんだよ。

ここら辺の論理、競技人口が上だろうと賞金総額が上だろうと、それだけで将棋を越すことが出来ないってのを>>1は分かっていない。