>>352
少なくとも、いわゆる「済寧館の決戦」では使っている。

皇居済寧館で行われた名人戦で、フラフラして離席した木村に、
坂口が以前のようにゼドリンを勧めた所、
木村はそれと同じと思われる薬を医者からもらってきたと答え、
その時の木村の足取りは確かで、顔にも疲労が現れていなかった、
と「勝負師」には書いてある。

ちなみに、木村升田三番勝負は1947年、済寧館の決戦は1949年、
大山との名人戦は1950年、升田との名人戦は1951年5月29日に決着。
覚醒剤取締法の公布は1951年6月30日。
1952年に木村は王将戦で指し込まれ、名人も失冠した。

合法だから非難されるほどではないにしても、
とやかく言われてもおかしくない事実ではある。