木村義雄・十四世名人が強すぎて笑うしかないんだが
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昭和の大棋士 二上達也
A級在位二十七期、タイトル獲得五期、タイトル戦登場二十六回。
引退時五十八歳、順位戦はB級1組、竜王戦は1組。前年には王位リーグにも在籍。
木村義雄十四世名人より十歳ほど遅い引退だったが、「われわれの世代の手本」を踏襲した潔い身の引き方だった。 >>617
昔の棋士は早期に引退する人が多かった。
加藤治郎名誉九段は39歳、高柳敏夫名誉九段は43歳で引退した。
最近では大棋士でもC2を降級するまで続けることが多い。 大棋士とまでいかなくても中の上くらいの棋士でもこの潔さ。
順位戦参加権利をあと4期も有しながらも引退。
長谷部久雄
順位戦最高B級1組
優勝1回
対羽生1勝0敗
C級1組において降級点を1個抱え、C級2組への降級の危機に瀕した状態で臨んだ第51期(1992年度)順位戦では、
3勝7敗と不振ながら剣が峰で降級を回避するも、当期限りで引退。(59歳)
延べ36期参加した間、順位戦における通算勝率はちょうど5割であった。 板谷四郎もそうだな
昔は板谷一門では振り飛車禁止、みたいな掟があったらしく
関根や土居の時代の将棋の影響ってつい最近まではあったんだなぁ、と >>620
初めて知ったけど、連盟の理事を長く務めた功労者のようだね。
二上と加藤は会長、高柳は理事、板谷は東海本部長として、
棋界運営に長く貢献してきたというのが関係あるかもしれない。
運営に奔走している間は棋士としての活動は二の次だったろうし、
結果的に勝てなくなるし、対局への情熱も失われていったのか。 その点から言うと、連盟会長になって、対局中も相手が考えている間に連盟の仕事をして、
財界人を回って寄付のお願いをして連盟本部を建てて、それでも将棋に勝ち続けた
大山名人は何とすごい人であろうか 木村名人13年
大山名人18年
中原名人16年
谷川名人5年
森内名人8年
羽生名人9年 大山はパワハラで勝ってただけだろ
ライバルの升田が病弱だったから一人勝ち出来ただけ
そもそもまず木村以下だけどなこの雑魚は 江戸時代は皆さんが考えてる以上に大阪では出版が盛んだった。
ある大阪の商人は和綴じの将棋本をコレクションしてたが、
USAの爆撃で消失。 戦前は関西棋界は忌子の扱いだよ
坂田が名人になれなかった一因
だからこそ升田大山は名人の箱根越えを夢見て木村に挑み続けていた 阪田さんはようやく八段格として八段リーグに入って名人挑戦を狙ったときには、すでに
老齢だったのが残念だ
大正時代あたりに順位戦があったら、A級の常連で、名人にもなっていたかも知れない 坂田門下で有名なのは星田八段だな
その後は直系の弟子は途絶えてしまったのだろうか? >>631
なんで星田八段を知ってて神戸組の総帥藤内金吾を知らないんだ? 坂田関係の本読んでても藤内の名前出てこないこと多いよなぁ
弟子というよりも支援者の一人って感じだったみたいだし 阪田先生は弟子の中では星田八段のことをいちばん可愛がっていたんだよね
星田八段が長髪だったので、「わても星田みたいに髪を伸ばしてみようか」
などと言って、髪型まで星田八段の真似をしようとした
今で言ったら、森内九段が髪を伸ばして竹俣さんの髪型を真似するような感じか? 木村さんが今日、HNHK杯で森内名人に勝っていたな
この調子で行けば、優勝間違いない
いよいよ不敗の帝王・木村時代の到来だ >>637
若手棋士の間で「打倒木村」の声が澎湃として起こり、塚田・大山のような棋士が
敢然と挑戦するようになるんだろうな >>642
受けが強い棋風らしいね
粘り強いので、なかなか玉がつかまらない 受け将棋だけど、攻めに回ると猛烈に強いね
王位戦も攻めの強さが目立った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています