中原米長加藤の三国時代を振り返るスレ
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「三国時代」「三強」
といった言葉の響きがいいので、ファンに限らず関係者も安易にこのような言葉を使いがち
一強から三強へ 新しい強い力がいくつも出てきて戦国時代へ
変化がほしい人々はこのような表現を好んで使う
近年では中村太や高見がタイトルを取りタイトルホルダーが並び立った頃によく言われた
後年振り返るとただの過渡期であるケースがほとんどだ
実体はほぼ中原一強時代
その後の混戦時代も第一人者=先頭を走っていたのは常に中原だった 昔からの※ファンと最近急増した一二三ファンは、三国と言い張りたいだろうな
実績が違い過ぎてムリだけど この話と関係ないけど加藤の棋風も大きいと思ってる 今だと振り飛車「四間飛車とか三間飛車」って聞くと古い戦法ってイメージが有ると思うけど大山升田の時代はまともに振り飛車が指されてなくて、大山升田が指し始めて急激に定石が整備されてレベルが上がっていったよね さっきの続き
大山が振り飛車党に転向した事でそれまで全く振り飛車対策をしてこなかったトッププロは振り飛車対策をしなければならなくなったと思うんだけど、その最初の世代が加藤二上の世代なんじゃ無いかな?2人は急戦中心で加藤は棒銀中心 二上は4五歩早仕掛け 棒銀 山田定石など広く浅く色んな戦法を試してる あんまり上手くいってないけど 振り飛車というそれまでに無かった新しい戦法
(それまでの振り飛車は大野源一とかしかやってない)に対応が進まなかった加藤と二上は後から新しい振り飛車対策が出て来て試して見たけど上手くいかなかった。二上は玉頭位取り加藤は穴熊を何度も採用してる、二上は玉頭位取りが上手くいかず結局 森ケイニ 桐山 大内 辺りにもボロ負けしてる 加藤は二上よりは対振りが上手かったけど、相居飛車よりは明らかに苦手だったと思う 穴熊がしっくりこず加藤は結局元の急戦党に戻っていった 次に米長 米長は大山相手に初期は意外にも振り飛車穴熊や居飛車穴熊を早くから採用してる、でこれが上手くいってない 大山がまだピークを過ぎる前だからと言うのもあるけど最終的に玉頭位取りがしっくり来たのかそれを対振りの基本戦法に採用してる、最後の方は天守閣美濃とかも使ってだけど最後まで穴熊はしっくり来なかったんだと思う ただ急戦と5筋位取り中心の二上 棒銀中心の加藤よりは玉頭位取り中心なぶん大山に善戦してる、勿論米長の方が僅かに加藤二上よりは強くて若いのもあると思うけど 最後に中原 中原は元々の自力が抜けてて若い上に穴熊が普通に指せた 最も全盛期は急戦中心で晩年の大山からタイトルを片っ端から取ってるからあんまし関係無い気もするけど中原は衰えた後は天守閣美濃や穴熊見たいなシステム無しで勝つのが難しい戦法を大山相手に連投してぶつけて勝ってるから衰えた大山が勝つのは厳しかったと思う
それと最後に内藤は実力でも大山に大幅に負けてたから振り飛車が得意だったか苦手だったかはデータだと分かり辛い
森ケイニと桐山に負け越してて勝率3割台 何故か大内福崎文吾の2人に勝率6割越えで森安にも勝ち越してるから評価は保留しておきたい
二上は森 桐山 大内に勝率3割以下で森安にも勝率4割でわかりやすい 見てるか分かりませんが角将さんには対抗系別のデータも作って貰えればそれはそれで嬉しいですね 渡辺明も鈴木大介に5勝4敗 藤井猛に7勝6敗なので明らかに将棋の種類がガラッと変わる対抗系と相居飛車では対戦成績が変わってくる気がします。最後に人間は34歳と60歳を境に急激に老化が進むようです。急速な衰えに関係があると思います。 名人挑戦した頃の森て振り飛車党だったんだ
オレが知った頃は居飛車党の印象だったけど もしくはひねり飛車 What the eye does not see, the heart does not grieve over 加藤は1968年度つまり今から52年前に、大山十段から十段を奪取した
1982年度今から38年前に中原名人から名人を奪取した
若い頃は有吉九段にピンちゃん五月蝿いよと言われ、大山名人十段をライバルだったといい(図々しい)、内藤とも不仲
中原には全く勝てず、米長とは犬猿
マナー悪くて大内に文句言われ、年下の中原にも注意され
52年と38年前のことを未だにスカパー将棋で自慢する
まぐれて勝ったのに、ひつこい粘着糞デブだ
そのあと、加藤前名人無冠上座事件>>>>谷川当時名人下座事件米長王位王将棋聖三冠王下座事件
→回り込み事件→ネコ裁判→ヒフミン人気は昔を考えると理解不能
大山中原>>>谷川>>>升田米長>>>>>>加藤二上内藤有吉
>>73
> 加藤一二三は中原から名人奪った前後しか目立った活躍してないだろ
> 1980年代を三国時代と言うなら
> 中原、谷川、米長 7大タイトル全部含まれて無いよ、抜けてるのも有るから中原米長加藤のタイトル戦限定して調べたらと書くべき
要はこの期間は加藤が強かった加藤>>中原を書きたいだけであって…ひょっとして加藤本人か加藤のファンだな
>>26
> >>12 谷川の前にマジで中原米長加藤だけでタイトル争ってた三強時代があったのよ。
> 三強のタイトル戦(左が保持者、右が挑戦者)
> 1976名人戦 中原〇ー米長●
> 1976十段戦 中原〇ー加藤●
> 1977十段戦 中原〇ー加藤●
> 1977王位戦 中原〇ー米長●
> 1977棋王戦 加藤〇ー中原●
> 1978十段戦 中原〇ー米長●
> 1978王将戦 中原●ー加藤〇
> 1978棋王戦 加藤●ー米長〇
> 1979名人戦 中原〇ー米長●
> 1979棋聖戦 中原〇ー加藤●
> 1979王位戦 中原●ー米長〇
> 1979十段戦 中原〇ー米長●
> 1979棋王戦 米長●ー中原〇
> 1980名人戦 中原〇ー米長●
> 1980棋聖戦 中原●ー米長〇
> 1980王位戦 米長●ー中原〇
> 1980十段戦 中原●ー加藤〇
> 1980棋王戦 中原●ー米長〇
> 1981十段戦 加藤〇ー米長●
> 1982名人戦 中原●ー加藤〇
> 1982十段戦 加藤●ー中原〇
>
> タイトル戦の結果だけではわかりくいが、
> この期間だけは、実力 中原>米長 米長>加藤 加藤>中原 というジャンケン状態だった。 中原にだけ勝てない棋士は、中原一強と思い、
中原米長加藤に勝てない棋士は、三強と思うのだろうと思う。
しかし三強と言われていたのは、棋士・周囲含め後者が大多数だったんだろうと思う。
米長加藤大山だけは前者のように思ってたのかもしれないな。 嘘つけ
中原だけでなく米長加藤にもなかなか勝てない大多数の棋士たちから見れば三強に見えてるだろう 他棋士たちは米長と加藤からはタイトル奪えたが、中原からは難しかった
同業者ほど中原の存在が際立ってたのさ さすがに実績が違いすぎるからなぁ
米長加藤になかなか勝てないレベルの棋士からみたとしても、中原とその二人が同格には見えんだろ 見える訳ない
同時代棋士で「3強時代だった」とコメントしてる棋士1人でも挙げてみろw >>363 この中原一強のやつ、今の四強時代と言われてるのも
藤井一強だろwとか言ってそう 今年の今頃はそうなってる
その時将棋指せてればいいけどコロナが 77年度(6タイトル戦) ※名人戦は移管問題で開催なし
中原4(十段 王将 王位 棋聖後 /+名人) 大山1(棋聖前) 加藤1(棋王)
78年度(7タイトル戦)
中原5(名人 十段 王位 棋聖前 棋聖後) 加藤1(王将) 米長1(棋王)
79年度(7タイトル戦)
中原5(名人 十段 棋聖前 棋聖後 棋王) 大山1(王将) 米長1(王位)
80年度(7タイトル戦)
中原2(名人 王位) 米長2(棋聖前 棋王) 加藤1(十段) 大山1(王将) 二上1(棋聖後)
81年度(7タイトル戦)
中原2(名人 王位) 二上2(棋聖前 棋聖後) 加藤1(十段) 大山1(王将) 米長1(棋王)
34タイトル中で
中原18(2日制12 1日制6)
米長5(2日制1 1日制4)
大山4(2日制3 1日制1)
加藤4(2日制3 1日制1)
二上3(2日制0 1日制3) 3強というか5強
米長加藤の2人が中原のレベルに追いついたことによる3強ではなく
中原1人が衰えたから大山(50代後半)や二上(50歳前後)もタイトルキープでの5強
だから米長加藤は相変わらず大山に勝てない
(絶頂期の中原のレベルに追いついたのなら大山に勝てるようになるはず)
50歳前後の二上にも棋聖戦で負ける
そして中原は落ちたから今更大山ともいい勝負になってしまった
(58歳大山に王位戦4-3、59歳大山に王将戦3-4)
50歳前後の二上にも棋聖戦で負ける
この時期も第一人者はあくまで中原
中原>>>>大山>米長加藤 が
中原のレベルダウンによって差が詰まり
中原>大山米長加藤
になった時期
ここから大山(60代に突入)が、いよいよ脱落していく
60代となりさすがの史上最強も衰えを見せる
50代でも2番手3番手だったものが5番手6番手あたりに後退した時期
(といっても63歳名人挑戦、66歳棋王挑戦など一瞬のきらめきは見せる)
さらに二上も消えていく(50代半ばに突入していく)
そして加藤も衰えてタイトル戦から遠のく(40代半ば〜後半へ)
残った米長、中原も順に40代に入るタイミングで谷川や55年組の活躍があった
レベルダウンした隙間にうまく活躍できた世代なので次の羽生世代には分が悪かった 棋士が書いたものではないが、中原、米長、加藤を三強と書いている記事を見つけた。
https://shogipenclublog.com/blog/2018/11/25/ooyama-32/
河口老師は、当時、大山を含めて四強と書いていた記憶がある。 >>373 中・米・加とか国みたいな書き方でワロタ
後に棋士が書いたものでは、フリクラの石川陽生七段著の三間飛車名局集に
当時の3強米長中原加藤、と書いてある。 まだこんなスレがあるのかよw
加藤なんて瞬間2冠が2回あるだけで、タイトル数などたったの8期、人気や
知名度、棋士の評価も8期の木村7期の升田と比較にならない。
中原が衰えた後、米長は短期間とはいえ4冠時代を築いたが、加藤時代など
一度もない。単純にタイトル保持数で三強とか四強とか言っただけの話だよ。
80期の大山、64期の中原にボコボコにされた人の一人ってだけ。
木村、升田、大山、中原、米長、谷川、羽生、佐藤、森内、渡辺というレジ
ェンドクラスには入らない。そして、豊島、藤井にも遠からず追い越される。
加藤将棋を明快に表現した人はいない。何故なら、同業者には非常に言いに
くいから。すなわち、「偏狭な戦法選択と、無駄に膨大な読みの量」という
だけの人なんだよ。だから佐藤に「全く参考にしない、影響は受けない」と
断定されてしまった。棋力は一流だが、特異な個性が邪魔をして力を出し切
れなかった。いまでこそひふみんなんてもてはやされているが、現役時代加
藤を好きなんて棋士は一人もいない。マナーの悪さだけでも突出していたか
らね。 >>96
晩年は米長の方から寄って行った感じはある。
はさみ将棋とかやってたし。
加藤の将棋の解説で、後で米長が飲みにいくみたいな話してたことがあったけど、加藤はたぶん無視したろうね。 長生きとこのところのブレイクで現役の不遇?を取り返したともいえる加藤だけど、
あまり好きにはなれんねえ。 3強と言われた時期は確かにあったけどその期間が短いことと
力を落としながらも相変わらず中原が先頭走ってるのに2番手3番手との差が詰まったことで
期待を込めて3強と言っている感があった
いずれにせよ短期間の話で長い目で見ればタイトル数などが示すとおり3強などではない
あくまで中原の力量が落ちたことで生じた状況であったしそのため大山なども浮上しており
言うならば4強と言うべき 二上棋聖の時期は5強扱いもされた
現在の4強時代も長い目で見れば短かったということになるかもしれないが
4強と言われる文献は後世に多く残ることになる 中原が女遊びで衰えたとか言ってる人がいるけど女遊びに関係なく将棋棋士は2回衰える 1回目が33〜34歳
2回目が44〜45歳 一回目の衰えが実はあまり知られていない
34歳と60歳で急激に身体が老化するという研究結果があって自分はこれが将棋にも当てはまると思ってる 続き、残念ながら60歳で衰える方は検証しづらい
殆どの将棋棋士が60歳になるまでに大幅に衰えるからで60歳で棋力が分かりやすく落ちたのは大山くらい、加藤は62歳でA級陥落
他に有吉道夫60歳 花村元司 61歳がA級陥落 >>377
タイトル戦の戦績だと大山には歯が立たなかったが中原とは互角だった
大山のタイトル戦 二上18-2 升田15-5 加藤7-1
中原のタイトル戦 大山16-4 米長14-6 加藤5-4
羽生のタイトル戦 谷川16-6 康光17-4 森内8-8 33歳〜34歳で衰えた将棋棋士は多い その後戦い方を変えて復活した(衰えを補う戦い方を身につけた)
タイプが多いので気付き辛いだけ
大山康晴15世名人→32歳で升田に香車落ちで 敗北 33歳で全てのタイトルを5つ年上の升田に取られ無冠に転落
中原誠16世名人→33歳で一時期21勝1敗とカモにしていた加藤に1勝4敗で十段を奪われる 34歳で加藤に名人を内藤に王位を取られて無冠に転落
谷川浩司17世名人→33歳でフルセットの末羽生を下し王将を防衛したものの翌年34歳で羽生に王将を取られ無冠に転落 ここからは羽生世代だけどこれが分かりづらい
何故かと言うと同じ世代で固まってるので衰えが勝率とかに表れにくい 元々自力が高いので衰えた羽生世代に衰えた羽生世代が挑戦したりして
データとしては微妙になりやすい
森内俊之18世名人→6連勝中だった羽生に33歳になった名人戦で4ー0のストレート負けで無冠に
羽生善治19世名人→34歳でストレート勝ちした森内に竜王戦で4ー0のストレート負け その後
王将と名人を取られ1冠に後退
渡辺明三冠王→永世七冠を羽生が38歳と40歳の時に阻止したにも関わらず自身が33歳の年に47歳の羽生に1ー4敗で竜王を奪われる
更にA級から陥落
おまけ→藤井猛九段33歳の時の戦績は10勝18敗
以降終盤力が低下 丸山も33歳の時の勝率が5割4分
34歳の時は5割3分と高くは無い 丸山は32歳の時勝率5割9分で35歳の時は6割6分
こうして見ると衰えを補うでは無く大局観が上がって強くなってるケースも有る気がする 大山 森内 渡辺なんかは強くなってるとも言える、森内は勝率じたいは下がってるけど
完全にスレ違いだがこれらのデータから豊島も同じように33歳から34歳にかけて衰える可能性が高い、となると天敵が衰えるので藤井聡太は3〜4年後の21歳〜22歳には六冠王ぐらいなるんじゃないだろうか?
自分はこの予想は当たると思っている Eat to live, don't live to eat. 藤井くんは1番目
大山は2番目
中原は4番目
羽生は7番目くらいの強さらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています