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升田幸三が陣屋にキレて対局拒否した事件クソワロタ
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0001名無し名人垢版2020/05/05(火) 14:10:30.38ID:qcaEYLG+
【陣屋事件】

1952年の第1期王将戦第6局において、対局場であった旅館「陣屋」の対応に不満を抱いた升田幸三が対局を拒否した事件である。

この年からタイトル戦になった王将戦、升田は、名人・木村義雄を相手に第5局までに4勝1敗とし、すでに初のタイトル獲得を決めていた。
しかし、当時の王将戦の制度では、タイトルの行方が決まってからも新聞掲載のために番勝負を継続することとなっており、第6局は2月18日から神奈川県の陣屋で行われることになった。

2月17日、対局前日に升田は陣屋に赴き呼び鈴を鳴らした。
しかし、待てど暮せど誰一人迎えに来ない。
一説には、升田が大変粗末な身なりだったため、陣屋側は対局者だと気付かず、物乞いと誤解して無視したとも言われている。
怒り狂った升田は、近くにあった別の旅館に駆け込み、やけ酒をあおった。

やがて、他の棋士や主催紙の記者らが気付き、慌てて升田のもとを訪れ、必死になだめた。
しかし、いつの間にか升田は陣屋の非礼そっちのけで連盟や新聞社に対する積年の不満をぶちまけ始め、聞く耳を持たない。
非礼を知った陣屋の主も謝罪に訪れたが、升田は一向に収まらず、結局、そのまま翌日の対局をボイコットしてしまう。

これに怒ったのは連盟理事。
升田に事情も聞かず、棋士総会にもはからず、理事会の独断で、升田に対して一年間の出場停止という厳罰を下してしまう。
また、升田は七番勝負ですでに4勝を挙げていたが、王将戦が途中で中止になった以上、タイトル獲得とは認められないとして、王将位も認めなかった。
これに対して、「升田に弁解の機会も与えずに処分を下したのは強引である」「升田にも同情の余地があるのに、一年間の出場停止は重すぎる」「第5局までですでに王将位獲得は決まっていたのだから、タイトルを認めないのはおかしい」と世論は猛反発。
連盟理事全員が辞任し、将棋界は大混乱に陥る。
0002名無し名人垢版2020/05/05(火) 14:10:51.90ID:qcaEYLG+
ここで現れたのがときの名人、木村義雄。
升田がボイコットした対局の相手でもある。
理事が全員辞任している以上、将棋界で唯一の権力者が名人だ。
さっそく棋士総会で「解決を名人に一任する」という決議を得ると、とんでもない裁定を下した。
曰く、「升田と理事の双方に問題があったので、互いに謝罪する。升田の出場停止処分は3週間で解除する。第6局は升田の不戦敗にし、第7局に升田が出場すれば王将のタイトル獲得を認める。理事は復帰させる」という大岡裁きだ。

現代ならば様々な議論を呼びそうな大胆な解決策だが、木村の日頃の人望もあいまって、これがピタリとはまった。
升田、理事、他の棋士、陣屋、主催紙、世論のすべてが木村の裁定に納得して決着。
升田と陣屋も互いに申し訳なかったとの気持ちがあったのか、すっかりわだかまりも消え、升田の復帰戦は陣屋で開催された。

これ以来、同じような事件が二度と起きないよう、陣屋には陣太鼓が設置され、来客時にはこれを打ち鳴らして総出で歓迎するという今ではお馴染みの文化が定着した。
また、陣屋の主は升田と一緒に囲碁を打って遊ぶ仲となり、和解の印に升田が送った特別な色紙は、今も誇らしげに陣屋に飾られている。
0003名無し名人垢版2020/05/05(火) 14:14:55.05ID:xfXGbBJz
木村義雄ってガチで凄いよな
奨励会作ったのも、順位戦作ったのも、編入試験最初にやったのも、将棋大成会を将棋連盟に改称したのも全部木村義雄だからな
0004名無し名人垢版2020/05/05(火) 14:37:19.69ID:a+Br+zbm
強がりが 雪に転んで まわり見る
0005名無し名人垢版2020/05/05(火) 14:42:43.88ID:mr9K2soJ
実はこれ、重大な裏話がある

陣屋事件をきっかけに一部の棋士の間で「升田先生を出場停止にするならばこんな連盟にもう用はない。俺たちが新しい将棋団体を作って升田先生にはそこで指してもらうぞ」という動きが出ていたんだよね

これは決して荒唐無稽な計画ではなくて、家元制崩壊から1935年の実力制名人開始までの間は将棋界が色んな団体に分裂していたというのは有名な話だけど、当時はまだ火種が残っていたからこその話
1935年には関西出身で朝日新聞嘱託だった神田七段の八段昇段を認めなかった連盟に反発して、関西系の棋士、朝日系の棋士、連盟に不満を持っていた棋士らが一斉に連盟を退会して将棋革新協会という新団体を作った神田事件が起きている
結局神田の八段昇段を認めることで連盟と将棋革新協会は合流したがその後も革新協会系の棋士はかなり不満を持っていたんだね

陣屋事件の頃は前名人の塚田正夫(名誉十段)が革新協会系のリーダー格だったんだけど、関西系で朝日系の升田と協力して関係の近い棋士を大量に引き抜いて独立する計画があった
花形棋士の塚田升田が足並みを揃えて新団体を作れば連盟にとってとんでもない脅威になる

だから木村としてはなんとか彼らも満足できる(なおかつ連盟理事一派も満足できる)解決策を用意する必要があったわけ
升田本人は陣屋の非礼だとか木村名人相手に駒を落として泥を塗りたくなかったというような発言もしていてそれも動機の一つではあるんだろうけど、実は結構政治的な駆け引きで起きている事件でもあるんだよね
そういう意味で木村名人の裁定は将棋連盟を救った名裁定とも言える
これ以上の解決策はなかっただろう
0007名無し名人垢版2020/05/05(火) 15:02:53.22ID:a+Br+zbm
>>6
これが物乞いのおっさんの肖像画かw
0008名無し名人垢版2020/05/05(火) 15:04:52.54ID:fMmaw1EE
当時はいざ指すとなると名人に香車引いて指したくなくて〜みたいな話なかったっけ
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