大山、中原、羽生、藤井←1番人外なのは誰?
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大山 永世5冠 名人 13連覇 18期 九十 10連覇 14期 (27歳から) 王将 9連覇 20期 (28歳から) 王位 12連覇 12期 (37歳から) 棋聖 7連覇 16期 (39歳から) 棋王 0連覇 0期 (52歳から) 王座 0連覇 0期 (60歳から) 中原 永世5冠 名人 9連覇 15期 十段 6連覇 11期 王将 6連覇 7期 王位 6連覇 8期 棋聖 5連覇 16期 棋王 0連覇 1期 (28歳から) 王座 4連覇 6期 (36歳から) 羽生 永世7冠 名人 3連覇 9期 竜王 2連覇 7期 王将 6連覇 12期 王位 9連覇 18期 棋聖 10連覇 16期 棋王 12連覇 13期 王座 19連覇 24期 叡王 0連覇 0期 (47歳から) >>141 羽生は28歳までに5回優勝稼いでるんだよな。 初期のNHK杯は3〜4勝で優勝できたから、5勝が必要な時代と単純比較は難しいが。 年間勝率、年間大局数や、今までの勝ち数や勝率 タイトル戦連続獲得など全て羽生さんが上位か 一位に輝いてるんだけどな。 大山先生の名前は上位はともかくベスト10にもなかったぞ? >>151 どう考えても3、4勝の方が楽だろう 大山信者は本当に都合がいい事しか言わんな。 17歳時点なら藤井、40代後半以降は大山 20〜45くらいまでは羽生だけど、大山は戦争があったから比較しようがない 条件が違うから勝ち数やタイトル数で比較するのは微妙 勝率も制度が違うからかなり比較しづらい となると、当時の環境の中でどれだけ頭抜けてたかって比較になるんだけど その時代での飛びぬけ具合で言えば 大山>羽生>中原>藤井 かなぁ >>152 頭が悪いのか? 3、4勝の方が楽だが、出場機会そのものが違いすぎるから単純比較はできない話。 早指しの強い20代で大山は参加できなかったのだから。 それと大山の60歳優勝を羽生が更新できるとは思えないがね。 笑わせるね デビュー以来無傷の29連勝 中学生で全棋士参加棋戦優勝なんて 空前絶後の記録、これから出ないし 先人の実績をどんどん覆すのは確実なのに 信者フィルターがかかると 藤井が最下位になるんだ >>156 大山は周りと比べて明らかに群を抜いてたけど、藤井が周りと比べて群を抜いてるかっていうとそこまでかなって印象 いや、時代の問題もあるんだけどね、今は研究も深化してるし飛びぬけづらい >>157 藤井はまだまだ全盛期じゃないからなあ。 大山中原羽生並にこの先力を伸ばしたら手が付けられなくなるはず。 それはあんたの主観が入りすぎだ 誰もがソフトで研究できる時代に高校に通いながら これだけ頭抜けた棋士はいないよ 久保は棋聖戦の藤井の強さを神の域とまで言ってる 老害は新しい事象を追えなくなってるし、若い藤井の活躍もクソガキ扱いで認めたくも無いんだろう >>150 これ一目瞭然じゃん 議論する余地あんの? >>155 本当にこの人頭が悪いよね。 序盤研究しなくても簡単に勝てた時代の話を 羽生さんと比べてもさ。 強さやレベル層の厚さで、言ったら 羽生最強世代>現代>中原時代>大山時代なのにさ。 >>161 大山が50歳以降にできたタイトルで37期稼いだ羽生 羽生が衰えて出られない叡王+新設のタイトルで37期稼いで藤井がタイトル総数で羽生を抜いても羽生オタは認めないだろうね >>162 羽生世代がA級に上がり始めた時代は加藤が60前後にA級にいられたレベルの低い時代だよ。 頭が悪いから客観的なデータに反論できないんだね。 >>164 そんな昔の事なんて知らんしそれしか羽生さんに勝ち誇れるものがないからって 自分の頭の悪さを露出しちゃいかんな。 名人タイトルも読売タイトルも王将タイトルも大山が羽生より上 羽生が20歳の頃は1年間で( ア )回のタイトル戦が開催されていた。 大山が20歳の頃は名人(2年間で1期を争う)しかタイトルがなかった。 羽生が25歳の頃は、1年間で( イ )回のタイトル戦が開催されていた。 大山が25歳の頃は引き続き、まだ名人しかタイトルがなかった。 大山は1950年27歳のとき、将棋界2つ目のタイトル( ウ )の初代チャンピオンとなった。 このタイトル戦はのちに( エ )戦となり、その挑戦者は6人で先後計2局ずつ戦うリーグ戦で決定された。 ( エ )戦は発展的解消をして、1988年度から竜王戦となっている。 大山が28歳のとき、将棋界3つ目のタイトル第1期( エ )を升田幸三が獲得した。 大山は( エ )位を最長9連覇しており、通算では2日制タイトル最多となる( オ )期獲得している。 また59歳での( エ )位獲得は、将棋界での最年長タイトル獲得記録となっている。 大山が28歳から36歳の頃までは1年間で3回のタイトル戦が開催された。 しかし名人になった棋士は( ウ )戦には出場できない時期があり、 その期間は、名人である棋士が獲得できた1年間の最大タイトル数は「2」であった。 名人に関する出場制限ルールが撤廃されたのち、ちょうど絶頂期を迎えた升田幸三が 史上初の「三冠王」となったのは有名な話である。 大山が37歳のときには、4番目のタイトル( カ )戦が創設され、大山は第1期から第12期まで12連覇した。 これは現在も( カ )戦の最長連覇記録である。木村一基が( カ )戦で悲願の初タイトルを獲得したことは記憶に新しい。 さらに、第1期( キ )戦が将棋界5つ目のタイトルとして誕生した。 1日制番勝負、1年に2回タイトル戦が行われるというスピード感が特色であった。 1963年2月、大山が39歳で初代( キ )位についた後、同年の7月40歳にして早くも防衛戦を迎え連覇を果たした。 第1期のように冬にタイトルが争われるものは「後期」、第2期のように夏に争われるものは「前期」と区別された。 羽生が24歳の頃に、年1回の開催と改められ現在に至っている。 藤井七段が18歳になるかならないかで早くも初タイトルか、と騒がれているが 羽生は18歳から39歳までの間に、22年間で「161回」のタイトル獲得チャンスがあった一方 大山は18歳から39歳までの間に、22年間で「41回」のタイトル獲得チャンスしかなかった。 問:文中のア〜キに適切な語や数字を入れてください。 一部 エ が重複なので 答えを入れます 大山は1950年27歳のとき、将棋界2つ目のタイトル( ウ )の初代チャンピオンとなった。 このタイトル戦はのちに( 十段 )戦となり、その挑戦者は6人で先後計2局ずつ戦うリーグ戦で決定された。 ( 十段 )戦は発展的解消をして、1988年度から竜王戦となっている。 残りの エ で 解いてください 藤井七段が18歳になるかならないかで早くも初タイトルか、と騒がれているが 羽生は18歳から39歳までの間に、22年間で「161回」のタイトル獲得チャンスがあった一方 大山は18歳から39歳までの間に、22年間で「41回」のタイトル獲得チャンスしかなかった。 こんなに違うのか。。。 地球人に18世を譲った ひかえめな将棋星人な いいとこあるじゃん将棋星人w 将棋界の絶対王者クラスは20年〜25年に1回しか出てこない 羽生は過大評価だと思う 彼の評価は、彼の前の時代の王者、前の前の時代の王者の時代に比べて 「タイトル数が増えた」「棋戦数が増えた」「対局数が増えた」結果生み出された 「見かけの数字」が一番大きかったから、というだけに過ぎない すぐ次の時代の藤井がすでに、羽生と似たような、あるいはそれ以上のことを成し遂げつつある それは大山、中原と違い藤井は「最初から羽生と似たような環境だから」なんだよ 早くも羽生と似たような、あるいはそれ以上のことができつつある 羽生は前の王者、前の前の王者と比べて、名人の獲得数がかなり少ない 名人の獲得チャンスは3者とも「年に1回」で変わらない 同条件の比較で羽生は負けている チャンスの増加という恩恵を受けた見かけ上の数字が一番でも チャンスが公平な重要な比較で羽生は負けている 羽生のどこらへんが人外なのだろうか? 冷静に考えれば考えるほど、環境の恩恵でしか、ないのでは? 早指し新鋭戦も、オールスター勝ち抜き戦も、藤井の若手時代にはない もちろん中原、大山の時代にもない 勝ち星を若いころにどんどん稼ぎやすいのは羽生だった 勝ち数ペースも勝率も当然高くなる しかし重要な頂上決戦ではよく負けたのが羽生 人外なのかね?本当に 無理矢理羽生の人外さを表現するなら、こういうところだろうか 「重要な頂上決戦ではよく負けるが、他の比較的どうでもいい短時間棋戦では異様に白星を拾いまくるところ」 よく言えば打たれ強い 悪く言えば肝心な勝負で勝てず重圧のかからないところで鬱憤晴らしをしている 本物の人外は、重要な勝負でいっぱい勝って、他でもいっぱい勝って全体的にいっぱい勝つと思う 大山はそうだった 大山はあの時代の棋戦数にしてはあまりにもいっぱい勝ちすぎている これも冷静に計算すれば分かる 藤井はそういうレベルを狙える 20代から30歳過ぎまでの中原もそうだった 羽生は重要な勝負でいっぱい勝った時期が物足りない 名人は3連覇どまり、竜王は2連覇どまり 同時代のライバルがそれぞれ4連覇、9連覇したのに物足りない 1935年に名人戦がスタートしてから今年2020年で86年 まだ木村、大山、中原、羽生の4例しか絶対王者がいない プロ入り時に現行の7(すでに8)冠制度が確立していたのは羽生だけなんだからなあ 「史上初の7冠!」「史上初の永世7冠!」「だから最強!」みたいなノリはおかしいんだよ そりゃ史上最強だろうよ、それを狙えるレベルにあった過去の王者3人は 7冠時代じゃなかったんだからさ笑 「史上最多勝!」「史上最多タイトル!」これも当然、対局数もタイトル数も羽生時代が一番充実しているのだから しかしその一方で 4者の時代に共通する「将棋界の頂点名人」に在位した年数は 木村13年(ただし31歳までは絶対に在位できないハンデつきで) 大山18年 中原16年(15期) 羽生9年 藤井?年 という現実 真の姿はどちらなのか、そう遠くないうちに分かる それだけ大山時代のレベルが低くく、お山の大将井の蛙と言うのが何故わかんないのか不思議で しょうがない。 通算A級在籍44期。1949年に26歳の時の第3期順位戦でA級に上がり、 1992年の第51期に69歳で死ぬまでA級から陥落なし。 この大山の人外さに現状28期の羽生がどれだけ近づけるか、それに興味がある。 >>180 大山時代のレベルが低いなんて言ってるのは低級だけで、永瀬は大山の棋譜を並べて強くなったんだよな その時代の突出度で大山が抜けてるのは否定しないけど >>4 を見ると中原が凄く、大山はそうでもないんだなと 藤井君は若くしてソフト研究が出来る分 純粋な人対人の時とはまた違う指針になりそう 全体のレベルは明らかに低いよ大山時代 大山が弱いとかではなく 中原も晩年そこそこ強かっただろ 羽生世代全盛期に60前で竜王挑決まで行ってるぞ >>186 中原は56歳で久しぶりのチャンスだったからなあ。晩年って年齢でもないし。 60歳までタイトル戦常連だった大山とははっきり差がある。 >>176 大山とか升田とか中原とか米長の活躍でスポンサーが増えてタイトル戦も増えた。 同時に、隆盛を迎えた棋界には優秀な若者が参入して全体の底上げがあった。 与太者のようなプロやヤクザのような一門が少なくなり、アスリートのようなプレイヤーが個々にフェアにやり合うのが主流になった。 その時代の中でのタイトル99期にはそれなりの意味がある。 A級からC2まで徐々に降っていった加藤一二三は引退後に言った。 現代のプロはC2にくすぶっているなかにも強い若者が多数いる。上位と下位のレベル差は少ない。 将棋指す子が減ってるのに(というか少子化が進んでいるのに)そんな優秀なのが集まるわけないし プロに入ってくる人数も大して変わってないしね (プロ棋士の人数が増えているのは優秀な子がどんどん入ってくるのではなく衰えたロートルが辞めにくくなっているから) あまり幻想で物を語らないほうがいいよ >>176 気色悪い文章だな こんなこと毎日考えてなんとか羽生を貶めたいと思ってるのか 内容で反論しないと まあ的確に反論できないのは分かるが レスが異常に速いのも気色悪い ずっと監視してるのか >>189 幻想とか言うなら加藤一二三に言ってよ。 現代の若手プロは下位でくすぶってても結構強いと言ってた張本人だから。 むしろこれより信憑性のある証言あんのかと。 >>180 藤井聡太聡太に質問 「修業時代に影響を受けた本は?」 「大山全集です。2級から二段ぐらいの頃に並べて重厚な熱のこもった将棋が多くて勉強になりました」 https://togetter.com/li/1314467 >>194 年取って弱くなったのを認められない人だったからな。 自分が弱くなって落ちたのではないと主張していた。 人間なんだから40後半以降衰える一方なのは当然なのに。 『渡辺明の思考』(2014年)58P 要旨抜粋 ──羽生世代として生まれていたら、羽生さんの七冠制覇を阻止していたと思いますか 渡辺 わからないんですよ。あの頃の時代のからくりは。 ──からくり? 渡辺 羽生さんが七冠を制覇しましたよね。でもその後に森内さんや佐藤康さんはタイトルを奪った。七冠を阻止できなかったのに盛り返した。そのからくりがわからない。 ──七冠を制覇するくらいだから突出した力があったはずなのに。 渡辺 そう、七冠達成前と達成後の力関係がわからないんです。 ──言われてみればそうですね。 渡辺 七冠達成のあと、羽生さんは次々にタイトルを失いました。一番悪いときは王座一冠まで後退したわけですよ。それだけタイトルを独占していた人が、一気に失うなんて。 ──七冠達成が奇跡的な巡り合わせだっただけで、その後の取ったり取られたりが自然なのか。それとも七冠達成時が棋力、体力ともに最高到達点で、徐々に力が落ちていっているのか。 渡辺 しかし2014年現在の羽生さんを考えると、力が落ちたとも思えない。 もちろん周囲の人々の成長など兼ね合いもありますが。 あのときだけ何かあったのかなぁ。逆に七冠のときには何があったのか知りたいですよね。 将棋ライターの方々にはそのあたりを調べて書いてほしいな 一気に失ったわけでもないと思うけど 6冠5冠4冠の時期もそれなりにあった気が 名人戦の歴史 大山15世名人 0勝3敗 中原16世名人 中原16世名人 2勝1敗 谷川17世名人 谷川17世名人 1勝0敗 羽生19世名人 森内18世名人 5勝4敗 羽生19世名人 佐藤天彦名人 2勝0敗 羽生19世名人 羽生が史上最弱の永世名人なのは確定いたしております www 藤井君は大山 中原みたく名人 竜王戦で無双するのが大切 名人戦 森内18世名人 5勝4敗 羽生19世名人 8勝4敗 勝率 9勝8敗 4連覇 連覇数 3連覇 0人 負け越し相手 3人 36歳 永世名人獲得年 37歳 同じ年の奴に名人戦で負け越すとか 藤井君は汚点残さない事 www >>197 (´・ω・`)何があったのかって そりゃ谷川の頑張りでしょ 将棋だってモチベーションなんじゃないの 七冠一年前の王将戦で谷川に負けて もう一回全て防衛してから挑戦のモチベーションたるや て感じだと思う 一瞬脱け殻になったんでしょ 7冠(1996年の初め)達成は羽生オタがよく言う「レベルが低かったから」の時代だったからでしょ。 ようするに「実力にしては出来すぎ」だった。 羽生は4冠程度がデフォなんだよ。 2日制タイトル4つをずっと持ち続ける力はそもそもないから(大山中原と比べて2日制4タイトルを持ち続けた期間が短い。) 周りのレベルが落ちて実力以上のものが出たのが出来すぎの7冠。だからすぐ崩れる。 レベルが落ちた原因は 69歳にしてA級で1位タイとなる大山の死去(1992年) 3強の高齢化(1995年時点 加藤一二三「55歳」 米長「52歳」 中原「48歳」) 羽生以外の羽生世代が未だ完成しきらず(20代半ば) そしてその結果唯一対抗馬として残った谷川の「年下コンプレックスによる不調」 ここらへんだよね。 羽生は谷川1人を倒せばどんどんタイトルを増やせた。 あとは自分より経験の浅い同世代や、今更の49歳森けいじ(王座に挑戦)などを退けていればよかったから。 若き三浦に切り崩され、7冠達成されたことで開き直った谷川が逆襲して あとは30代にして森内の本格化、渡辺の台頭とつながる。 渡辺が言うほど一気に落としたわけじゃない、羽生は4冠がデフォ。 7冠は出来すぎだけど、王座1冠にまで落ちたのも悪すぎだった(原因は森内だけど)。 2日制タイトルと1日制タイトルが4:3なのに羽生のタイトル獲得比率は46:53だから。 1日制タイトルのほうがはるかに得意。 4冠がデフォでも、2日制4つ中2冠、1日制3つ中2冠の4冠なのね。 1日制のほうが多くなる時期も多いから46:53。 若き日の中原とかは4冠でも2日制4つ中4冠、1日制1つ(年2回)中0とかそんな感じ。 大山5冠王も年6回タイトル戦で2日制4つ、1日制2つ(棋聖2回)での全冠。 羽生は2日制タイトルを4つ維持し続ける力はなかった。3つも厳しい。 2日制は2つがデフォ。 さらに1日制タイトルが3つもあったのが手助けになって4冠5冠に出来た。 名人竜王含まない5冠とかもあったでしょ、これは2日制2、1日制3の5冠だからね。 >>205 ぬるま湯で井の中の蛙の大山時代と 羽生時代は全然違うからね。 羽生時代の7冠時代は周りの環境や体力や気力が 大山時代と全然違く難度が高いんだろう。 大山時代の5冠は周りのレベルや環境もぬるいのであまり疲れたり疲労も溜まらず常に万全の状態で望めたが、羽生さんが7冠時は 自分がどこにいるか泊まってるかもわからない 程のキツキツな日程と環境だったんだろうな。 一瞬でも同日4冠以上とれた棋士は少ないけどな 現時点で 羽生 大山 中原 米長 谷川 のみ 渡辺明も最高3冠だし、森内とかいうのは約3カ月くらい3冠だったが、ほどんど1冠がやっと 4冠がデフォって褒め言葉でしかないやろ 谷川米長クラスの棋士が最大瞬間風速で取れるのが4冠なのに 一般の棋士はタイトル挑戦すら一度もなく、最高でもB2あたりで、40くらいで衰えて消えていくのが大半なんだがな 現に昔は羽生のライバル確実と言われていた同年代棋士もタイトル挑戦すら一度もなくA級にちょい上がった思い出を抱え消えようとしている なんだ結局は大山が圧倒的な実力で次が中原なのか もう議論する余地無いやんけw あとは何も考えず言い張るだけの奴が意地で言い張り続けるしかないのな 谷川の最年少名人の時は新聞一面にデカデカと報じられたから良く記憶してる そりゃ突撃しちゃう人じゃない? いやむしろ一番人間的か? 木村 セントライト 大山 シンザン 中原 シンボリルドルフ 羽生 ナリタブライアン 藤井 ディープインパクト 現役時は強すぎて人気がなかった大山はシンボリルドルフがしっくり来るし 歴代最強を期待されながら早くに衰えた中原は故障で早く衰えたナリタブライアンポジがしっくり来る 木村 シンザン 大山 シンボリルドルフ 中原 ナリタブライアン 羽生 ディープインパクト 藤井 オルフェーヴル or まだ見ぬ名馬 1922大山1953〜1972 1947中原1973〜1992 1970羽生1995〜2016 2002藤井 1905木村1937〜1951 1922大山1952〜1971 1947中原1972〜1992 1970羽生1994〜2016 2002藤井202X〜 便宜上タイトル戦創設以降(1937〜)で区切ってるが それ以前から既に最強だった木村が第一人者の期間は一番長いかもしれない 中原や羽生なんて最後の2〜3年は一タイトルホルダーでしかなかったろ。その定義なら大山は82年まで含めるべき。 1970 羽生1994〜2016 この期間に羽生は名人戦でも竜王戦でも 谷川や森内に負け越してるからね w 大山や中原と比較するのはおこがましい w でも藤井はセックスを覚えたら、急に弱くなる可能性もある。 まだ解らないぞ >>217 これのほうがしっくりくる みすたーしーびー… ミスターシービーものすごく後ろにポツンと居たもんねハラハラしながら見ててでも三冠馬あの時間差 全盛期を数値化するとこんな感じかな 藤井はまだ全盛期は先なので+αで 大山 棋力90 メンタル99(番外戦術を臆面もなく実行できる、 フルセットのタイトル最終局勝利も多い) 中原 棋力92 メンタル93 羽生 棋力96 メンタル85(手のプルプルやここぞという一番での勝率悪かったり、 1手詰め3手詰め見落としなど、やっぱり一段落ちる これでも甘い評価かも) 藤井 棋力97+α メンタル96+α >>197 勉強法なんだよね 羽生は3回くらい勉強法を変えて復活している 成果が出てないが、今4回目勉強法変えている最中とみる 4回目は将棋AI への認識変更か 永瀬のくじ運と振り駒運、羽生の振り駒運の異常な良さが実力に比べて実績を一割以上上げてる やっぱり大山と藤井が人外だと思う 羽生の記録は藤井のような人外が出てきて環境が羽生と同等以上なら抜ける類のものがほとんどと思う むろんこれからタイトルが年に6つや5つになったり棋戦数が減れば優勝数勝ち星勝率などの面で厳しい あくまで環境が同等であることが条件 現時点では大山だろ 藤井が全盛期になったときに、7年近く全てのタイトルに出続けて、44勝6敗(大山が50回連続タイトル登場したときの成績)を超えることができるかを楽しみに待つのが、このスレの本旨だろう 羽生のタイトル数は将棋の才能プラス運が大きいだろ。 かなりの廻り合わせがないとこのタイトル獲得数は容易ではない。 羽生はNHK杯とかほとんど先手引いてたな 藤井が後手番だらけだったのとは大違い 藤井は後手番でも勝率高いけど 羽生さんわ政治力と盤外戦術にわぬかりないからね 藤井の若造も速くそのレベルに達しないとね 全盛期の羽生より遥かに強いよな既に藤井くん 藤井くん国民栄誉賞おめでとう △31銀は余して勝つ藤井七段の新しい試み 木村、大山にはこうした勝ち方が多かった 羽生、谷川にはなかった名人の極意を見させてもらった デビューされた後、29連勝の史上最多記録を樹立された頃は終盤のキレ味が鋭く、一発で仕留めるような将棋を指されていた印象でした。ところが、今は絶対に間違えないために手厚く指す将棋に移行している印象があります。 里見香奈 https://news.yahoo.co.jp/articles/2b2ef5ec9111da253b9c409cd2fa5cc54255e948 「通算200局時点での戦績」と達成時の年齢 藤井聡 168勝32敗 勝率 .840 17歳 ====超えられない壁==== 羽生 158勝42敗 勝率 .790 18歳 中原 156勝44敗 勝率 .780 22歳 大山 150勝50敗 勝率 .750 26歳 ====超えられない壁==== 永瀬 144勝56敗 勝率 .720 21歳 豊島 144勝56敗 勝率 .720 21歳 渡辺明 143勝57敗 勝率 .715 20歳 森内 142勝58敗 勝率 .710 20歳 佐藤康 142勝58敗 勝率 .710 21歳 谷川 141勝59敗 勝率 .705 19歳 >>247 ちょっと前までは終盤に大悪手指して頓死負けとか結構あったから、 そういうのをなくすため? >>248 羽生の200局はデビー3年目で弱い相手が多い 大山の200局はデビー10年目で強い相手が多いから対局数での勝率比較はおかしい 中原の相手も羽生の相手より上の棋士が多かった 年齢で見ると羽生より中原のほうが凄い 大山はもっと凄かった 10代の勝率 大山 中原 羽生 藤井 50-8 39-9 215-60 175-33 0.8621 0.8125 0.7818 0.8413 >>250 戦前は低段は高段と戦わなかったはずなので 10代の大山の相手も弱い それを差し引いても.8621は驚異的 しかし対局数はわずか58局。実は藤井聡太の最初の58局も50-8である。 負けの中には菅井、豊島、稲葉の高段3人が含まれているので俺は大山より上と見る よって10代の強さは 藤井>大山>中原>羽生 あくまで俺の意見だが 俺の意見では(まだ実績が確定していない藤井は除きます) 大山が最強 次に木村義雄が続く その次に羽生と中原が横並び(ここの優劣は個人の好みだと思う) 全盛期は中原>羽生 活躍した期間は羽生>中原だろう 羽生、中原に次ぐのは升田幸三で、その次が渡辺明かな 塚田正夫の評価が難しいが渡辺よりは下かな 羽生+森内+佐藤康+渡辺でやっと大山のタイトル占有率に並ぶ感じ >>251 ->>252 谷川が入ってないことを除けばほぼ同意 渡辺と谷川の序列は個人的には谷川を持ちたい タイトル数(占有率)で渡辺が谷川を超えるのは時間の問題だが、(実質8タイトル期間は谷川の方が長かった事を考慮すればすでに追いついてる) 谷川は17世名人だし2年程度とはいえ頭一つ抜けていた期間もある(90年:竜王含む3冠 91年:竜王含む4冠) 渡辺は名人経験がないし、明確に頭一つ抜けて最強だった期間もない(現在3冠で最多冠だが竜王名人は豊島なので) 永世とまでは言わずともせめて3年名人になれば渡辺>谷川の評価をしてもいいと思う だから今年の名人戦は超重要、渡辺自身も当然分かってるとは思うが 大山>木村>羽生≧中原>(時代の覇者の壁)>升田=谷川>渡辺=塚田>米長>森内>加藤>康光 藤井はここまでは歴代最強のペースで頭角を現してるし 一時代を築く棋士になるのはほぼ確定だろうが 序列を付けるにはまだ材料が足らないのでもうちょっと様子見だな 森内康光と加藤一二三は大体同格くらいってのは俺と同意見だな 升田はA級順位戦での勝率や名人挑戦8回(羽生と並んで最多タイ)という数字を見たら超強いよね 今のルールなら名人挑戦9回だからな(1回A級1位で挑戦できなかった年がある) 大山さえいなかったら名人10期は行った 加藤二上もそこそこ S級棋士 常勝木村 無敵大山 (5年後の藤井) 1ランク下の棋士 青年大山 升田 中原 羽生 2ランク下の棋士 中年大山 塚田 米長 (渡辺) (豊島) 3ランク下の棋士 二上 加藤 谷川 森内 康光 (永瀬) 4ランク下の棋士 丸田 有吉 内藤 郷田 藤井猛 久保 (広瀬) (天彦) 5ランク下の棋士 晩年の大山 ※括弧内の棋士は暫定評価 青年大山より羽生七冠のほうが実績は上だが、評価は同等にした 青年大山の場合はタイトル戦が名人戦と九段戦だけだったのと、S級の木村名人がいて、実力伯仲の升田、塚田がいた 羽生七冠の時代はS級の棋士が不在で、升田に相当する中原は峠を越していたし、渡辺はまだ四段前であるから、最強の相手で2ランク下の谷川だった したがって羽生が獲得したタイトル数や勝率などは割り引いて評価する >>260 丸山が抜けていた S級棋士 常勝木村 無敵大山 (5年後の藤井) 1ランク下の棋士 青年大山 升田 中原 羽生 2ランク下の棋士 中年大山 塚田 米長 (渡辺) (豊島) 3ランク下の棋士 二上 加藤 谷川 森内 康光 (永瀬) 4ランク下の棋士 丸田 有吉 内藤 丸山 郷田 藤井猛 久保 (広瀬) (天彦) 5ランク下の棋士 晩年の大山 ※括弧内の棋士は暫定評価 常勝将軍時代の木村はまさに無敵だったようだな 記録があるのか分からないが、年間全勝とかあるのかな 木村名人がどれほど強かったは今のようにタイトル獲得数では比較できない しかし、名人になってからの10年間で、平手での負けは1局のみという戦歴が凄い 40年の現役生活で公式局1300局を越え、しかも勝率8割を下らなかったともいわれる 戦前、名人戦で木村に屈した花田長太郎は木村将棋を評して、「私の考へ及ばない手まで彼は読んでゐる」と完敗を認めるしかなかった 木村は14歳11ヶ月で四段、20歳で七段になった その年の9月に八段の昇段点を獲得したが、まだ年が若すぎるという理由で七段に留まった 翌年、再び昇段点を確保して八段になっている 加藤一二三の最年少八段の18歳3ヶ月、谷川の19歳11ヶ月には及ばないが、前例のない若い八段だった 以上、『日本将棋大系15巻』から引用したが、もちろん、当時の棋士のレベルが低かったというようなことはない 段級は江戸時代から継承されてきているもので、むしろ今より厳しいといってよい 江戸時代の名人の中でも特に強いといわれるのが、七世名人の三代伊藤宗看と九世名人の六代大橋宗英で、これに幕末の「棋聖」天野宗歩を入れて江戸の3強と称されている 三代宗看は現代でも名作と謳われる詰将棋作品集『将棋無双』が有名だが、指し将棋のほうも強く「鬼宗看」と恐れられた。その棋譜は第十五世名人大山の解説よって再評価されてもいる 六代宗英も「名人中の名人」「近代将棋の祖」と言われるほどで、後世に大きな影響をもたらしたとされている 伊藤印達という12歳にして伊藤家の代表となった、今の藤井七段のような天才少年もいた 大橋家代表の宗銀(16歳)と次期名人の座を賭けて足かけ3年で57局対局し角落ちの差まで指し込んだが、惜しむことに15歳で他界している この印達の弟が伊藤宗看と伊藤看寿だ 彼らの二百年後の天才少年が木村であり、大山であると理解すれば、技術だけでは及ばないトンでもない才能というものが歴然と存在するようだ >>263 >しかし、名人になってからの10年間で、平手での負けは1局のみという戦歴が凄い >40年の現役生活で公式局1300局を越え、しかも勝率8割を下らなかったともいわれる やっぱ常勝将軍凄いわ 突出度で木村は大山を超えてるな 実力制名人の制度はまだ無かったが20歳頃に第一人者になってるようだし 木村は八段(当時の最高段)に昇った21歳時点で間違いなくトップ棋士ではあっただろうが その頃から第一人者と呼べるほど突き抜けてたのかは正確な記録が残ってないので何とも言えない というのも木村の前時代の第一人者だった土居市太郎がまだ40歳前後でそんなに衰えてはないだろうし 木村より一足早く八段に昇ってた兄弟子の花田長太郎も30歳前で全盛期に突入してるような年齢だろう ここらへんの強豪相手を圧倒してたんだろうか >>264 戦前は香落ちとか平香混じりの手合割も多くこなして勝率8割以上だった 名人になってからは平手でも名人は後手というのが決まりだったから勝ちっぷりで最強は木村 次が大山(大山も後手番での対局が多い) >>265 花田長太郎36歳、木村義雄28歳の相掛かりの棋譜(1932年4月13日)が残っている 36歳というのは今の渡辺三冠と同年齢で全盛期であり、二人の年齢の8歳差は谷川と羽生と同じである この棋譜を解説した大山は「全盛期の花田八段をこれだけ叩きのめすのだから、やはり強い」と感心している よく知られているのは昭和十年(1935年)に始まった第一期名人戦で、下馬評どおり木村・花田の両八段がリーグ戦を勝ち進んで、この二人で昭和十二年(1937年)十二月に初の名人位を争うことになった 木村八段33歳、花田八段40歳、立会人は関根金次郎十三世名人で、持ち時間は各12時間、二日制の対局だった 最近スタンダードになっている41手目以降の逆順解析でこの2局を解析しても木村の強さは折り紙付きの強さで、花田が木村将棋を評して、「私の考へ及ばない手まで彼は読んでゐる」と完敗を認めたのも宜なるかなだった そりゃあ既に全盛期に入ってる年齢と言える28歳の木村が圧倒的に強いのは当然だろう こっちは(まだ成長段階かと思われる)20歳そこそこの時点で既に第一人者扱いされるほど木村は頭抜けていたんだろうか?と言ってるんだが… 人の文章を読めないのか君は 21歳で八段昇格の木村が20歳前後で既にトップ棋士だったのはさすがに間違いない その頃から木村が既に一強状態だった可能性も当然ある ただ土居や花田がピークを保ってるであろう年齢からして 戦後の木村(木村、塚田、升田、大山の四強体制)のようにトップ棋士の一人の可能性もあるだろう 何せ詳細な記録が分からないからこの時代の力関係がよく分からない 木村が他の八段陣を全員指し込んだのは何歳の頃なのか? 木村が常勝将軍と言われるほどの最強棋士になったのは20歳なのか25歳なのかは評価の上でも大きく関わってきそう >>267 >最近スタンダードになっている41手目以降の逆順解析 なってねーよ >>268 21歳で最高段位の八段になり、生涯勝率が1300局で8割以上なら当然どの年代でも最強棋士だったという理解でいいよね 多分、主な棋士には全て勝ち越しているだろうしね 1931年(26歳)、文藝春秋社主催の土居市太郎(44歳)との五番勝負で四勝一敗 1933年(28歳)、読売新聞社主催の金子金五郎(32歳)との十番勝負は木村の四連勝で打ちきり わからないのは、木村全盛期の相手がどの程度に強かったのかだが、江戸時代から段位の手合割は続いているため、戦前の八段も江戸時代の八段も最高段位に相応しい実力と見なすことに特段反対する理由はないね 単純な強さでは圧倒的に藤井。 60代まで強かった大山は人外。 木村義雄の時代は競争相手のレベルが低かったから微妙。土居、花田、阪田より江戸時代のトップの方がはっきり強い。 江戸時代の260年の間に木村や大山のような天才棋士がいなかったわけがないだろ 江戸時代のトップ棋士の棋力が木村と同じなら土居、花田、阪田より強くて当たり前だよ 藤井は中原や羽生のように衰える可能性もないとは言えないから今後次第。人外は木村と大山。 >>275 確かにそうだけど、兄弟子に升田がいて何番も稽古をつけてもらったことは、かなりプラスになったと思う。 中原も 羽生の将棋は名人の将棋でない と正確に預言した芹沢に 鍛えられたからな www 羽生がイマイチなのは良き兄弟子がいない事やろ www >>272 幕末〜明治期の将棋界は、江戸幕府の衰退の中で家元制も崩壊し、棋士の生活基盤が不安定でプロ組織が衰退しかかってた時代やからな 天野宗歩以降、木村義雄まで強い棋士はいなかったと思う 実力名人戦が開始されるタイミングで木村のような実力名人に相応しい強さの棋士が出ていたことは幸運だったと言える 実力を計る制度がなくて強さが見えなかったという面もないかね また明治時代の棋士が弱かったとしても、制度がないから努力が難しかったのもあるだろうし 四人の現役時代全てリアル見れて幸せ 大山は晩年だったがNHK杯優勝は今でも記憶している 順位戦デビュー時の順位戦参加人数 大山1946 58名 中原1966 72名 羽生1986 118名 藤井2017 135名 羽生のプロ入りあたりはフリクラ創設前で引退レベルのロートルがC2にゴロゴロしてたんだっけか。 いまのところ、10代の藤井、20〜30代の羽生、50代以上の大山 じじいが勝てた昔はレベルが低い そしてそのじじいに負けてた羽生 昔の将棋界はぬるかったんだな つきつめればチェスや碁みたいに若いやつしか勝てなくなる時代がくる 結局パズル解読能力だし 10代は藤井 20代は中原(一時的に七冠達成のときの羽生) 30代、40代、50代、60代は大山 >>287 木村(義雄)を入れるなら30代は木村だが、スレタイ通りならそれで間違いないだろうね 大山の記録が一番人外なのは誰もが認めると思うが、まったく知られていない人外記録も大山にはある それは、タイトル局の連勝記録だ たとえば、羽生なら2010年に名人戦、棋聖戦、王座戦と続いた10連勝がある 大山の連勝記録は羽生を上回る17連勝だ 大山のタイトル局連勝記録 1961年12月~1962年10月 17連勝 1961-12-02 九段戦第3局 二上 1961-12-14 九段戦第4局 二上 1961-12-23 九段戦第5局 二上 1961-12-30 九段戦第6局 二上 1962-01-16 王将戦第1局 加藤 1962-01-27 王将戦第2局 加藤 1962-02-11 王将戦第3局 加藤 1962-02-21 王将戦第4局 加藤 1962-04-13 名人戦第1局 二上 1962-04-27 名人戦第2局 二上 1962-05-11 名人戦第3局 二上 1962-05-25 名人戦第4局 二上 1962-07-28 王位戦第1局 花村 1962-08-11 王位戦第2局 花村 1962-08-24 王位戦第3局 花村 1962-09-11 王位戦第4局 花村 1962-10-27 十段戦第1局 升田 どのくらい人外かというと 棋聖戦3-0、王位戦4-0、竜王戦4-0で三冠 次に棋聖3-0防衛、王位4-0防衛 これで、タイトル局18連勝で大山を抜く新記録になるということだな 三段リーグから半年に一人しかあがれないようにすればいい 大山時代までは減らなくても中原時代までは雑魚が減る 最強論だと絶対棋力と傑出度がごっちゃになって絶対結論がでない ただ、人外という物差しでは傑出から一線維持の期間が長かった面でやはり大山ではなかろうか >>293 敵なしで引退してしまったから壮年以降の比較ができないのが惜しいよね 木村のように今回の対象外から選ぶなら小野五平を推す 木村義雄を最強候補に挙げるのはまだ分かるが小野五平とか名前しか知らない奴が挙げてみただけだろw 純粋棋力で見ても大橋宗英や天野宗歩より断然下だわ 大山>羽生>>中原で藤井は未知数だけど羽生越えはすると思ってる そもそも木村以前と以降で分けられるほど将棋界の環境が異なるからなあ (もちろん、大山時代と羽生時代でもタイトル数などの環境は異なってるが) 大山時代以降は将棋連盟という全国統一組織の元、奨励会や順位戦などの現代に繋がるシステムで競争してるが、 木村の時代は各地で様々な将棋団体が乱立して、離合集散を繰り返してるような状態。奨励会や順位戦のような仕組みも当然ない。 関根名人が実力制名人の道を開いたように、旧来の悪しき風習を打破するために順位戦や奨励会等の棋界の近代化改革を成し遂げたのが木村名人だから 突き詰めると戦争の影響なんかも加味しないといけなくなるし、木村と大山以降の棋士の比較は難しい 羽生との比較に大山が挙げられることはあっても江戸時代の名人が挙げられることはないように、木村もそれに半分片足突っ込んでる時代の棋士と言える >>298 歳を取っても高い棋力の棋譜を残しているし、政治力含めて盤外で最強。 長生きだけなら丸田祐三に劣るが、人外度は最強だと思う 人外度 棋力:中原 盤上での勝利に特化 革新性:羽生 棋界の常識を打破 勝負術:大山 盤内外の全てを駆使して勝つ 異質性:藤井 AIが無ければ誰も理解できない大局観 >>3 大山オタさん、単発自演までして必死だね 鬼の形相で必死に大山の勝ちを主張するということはつまり…w 強さを維持した期間の長さでは大山。 絶対的な棋力では文句なしに藤井だな。 木村義雄 第1期 1位と2位で名人を決める番勝負をする予定も木村が当時の公式戦勝率8割超えの圧倒的な強さを見せたので番勝負を取りやめて木村が名人に 第2期 八段リーグ(現在のA級順位戦に相当)を13勝0敗という空前絶後の成績で勝ち上がってきた土居市太郎を4勝1敗で下し危なげなく初防衛 第3期 関西棋界の期待を一身に背負い神田辰之助が挑戦者に名乗りを挙げるも4勝0敗でストレート防衛、神田辰之助は心労がたたり1年後に死去 第4期 2年に1回、名人戦の番勝負で4〜5局しか圧倒的人気の木村が指さないのは将棋界にマイナスという判断で、半年ごとに挑戦者候補が木村と平香混じりの三番勝負を戦い勝ち越した者が挑戦するというルールに変更されたが、4人の挑戦者候補相手に平香混じりで合計8勝1敗と圧倒(平手では4勝0敗負けなし)し挑戦者なしという結果に 第5期 戦争によって名人戦中止、でもどうせ木村防衛でしょってことで特例で防衛扱いに >>303 大山が66歳で棋王戦に出場した1989年度は羽生が竜王をとった年 レベルが低かったというなら羽生が竜王になれたのはレベルが低い時代だったからということになる 実際、羽生の20代はレベルが低いね 中学生棋士になった10代も60代の大山が王位戦予選全勝するほど相手が弱い時代だし (王位戦予選はベスト4以外は全棋士が予選から参加する棋戦) 羽生が20歳前後の時代は68歳の大山でもA級棋士だった時代 そして羽生が25歳から30歳の時代は60歳の加藤でもA級に残れた時代 大山や加藤が全盛期の頃とは比べようがないほどレベルが低い時代だな >>303 これもパワハラのせいにするの? 王位戦予選(28期〜30期)の成績 大山康晴 28期 4-0 63歳 29期 1-1 64歳 30期 4-0 65歳 勝率9割 二上達也 28期 0-1 54歳 29期 0-1 55歳 30期 4-0 56歳 勝率6割6分 加藤一二三 28期 0-1 46歳 29期 3-1 47歳 30期 3-1 48歳 勝率6割 有吉道夫 28期 1-1 51歳 29期 3-1 52歳 30期 0-1 53歳 勝率5割7分 羽生善治 28期 0-1 16歳 29期 2-1 17歳 30期 1-1 18歳 勝率5割 68歳(1991年)の大山が30年前の38歳の年(1961年)にタイムスリップしても四冠王には絶対なれないどころか、A級棋士も絶対無理 つまり、レベルが低いのは大山が38歳のときの将棋界でなく、大山が68歳のときの将棋界のほう 60歳(2000年)の加藤一二三が32年前の28歳の年(1968年)にタイムスリップしてもA級棋士は無理 それどころか、28歳の加藤ですらB1に陥落するほど当時のA級のレベルは高い その加藤くんが60歳(2000年)でもA級棋士でいられたわけだから羽生世代の活躍は相当割り引いて評価しないとダメだろうね じゃあそのレベルの低い時代に羽生世代にボコボコにされた55年組、劣勢だったポスト羽生世代、さらに全く勝てなかった山崎あたりの世代 この辺が史上最低レベルなのか 羽生世代はかなり強い上に前後の世代が弱かったからあの結果だったんだろうな。 対渡辺を見ると羽生世代が束になっても藤井以下ってことになるかもだが。 S級棋士 常勝木村 無敵大山 (天才藤井) 1ランク下の棋士 青年大山 升田 中原 羽生 2ランク下の棋士 中年大山 塚田 米長 (渡辺) (豊島) 3ランク下の棋士 二上 加藤 谷川 森内 康光 (永瀬) 4ランク下の棋士 丸田 有吉 内藤 丸山 郷田 藤井猛 久保 (広瀬) (天彦) 5ランク下の棋士 60代の大山、高橋、55年組 ※最強時でランク分け ※括弧内の棋士は最強時の見込み評価なので下方修正あり ※無敵大山は36歳〜43歳 ※青年大山はそれ以前 ※中年大山は44歳〜59歳 ※55年組は谷川に勝率3割台なのでこの位置 羽生世代は第二次ベビーブーム世代なので出生数が多かったのと、谷川人気で子供の将棋人口が増えた 羽生世代の前後は出生数も、子供の将棋参加率も少なかったため、歴代のトップクラスの棋士があまり出ていない 大山は威圧感があったろうけどね 二上、加藤、有吉の成績が羽生よりいいのもパワハラのせいなんだろうか >>311 44歳の久保から36歳の渡辺の間でタイトル戦に出場したの山崎ぐらいじゃないの A級に上がったのも橋本と阿久津ぐらい >>318 氷河期世代で就職が難しいとなれば、 将棋で生きようとする人間も多いだろうから 本来ならレベルの高い人らがたくさん出るはずなんだが。 好景気の時の方が棋士は豊作なんだよな。不思議。 >>320 出生数が違うからね 出生数 1923年 203万 大山 1962年 162万 谷川 1970年 193万 羽生 1984年 149万 渡辺 1990年 122万 豊島 2002年 115万 藤井 おまけに谷川世代の少年期はカラーテレビの普及、渡辺世代の少年期はファミコン、ゲームボーイに夢中だった 景気はまったく関係ない 天才でも、5歳頃に将棋に触れる機会がないとね 年度別 タイトル数/獲得可能タイトル数(大山 中原 羽生 藤井) 00-00歳 大 中 羽 藤 17-18歳 0/0 0/5 0/7 ?/7←棋聖戦、王位戦番勝負中 18-19歳 0/0 0/5 1/7 ?/7 19-20歳 0/0 0/5 1/7 ?/7 20-21歳 0/0 2/5 1/7 ?/8? 21-22歳 0/1 1/5 3/7 22-23歳 0/0 2/5 5/7 23-24歳 0/0 3/6 7/8 24-25歳 0/0 4/6 7/7 25-26歳 0/1 3/6 5/7 26-27歳 0/1 4/6 4/7 27-28歳 1/2 4/7 4/7 28-29歳 1/3 4/7 4/7 29-30歳 2/3 4/6 5/7 30-31歳 2/2 5/7 4/7 31-32歳 2/2 5/7 3/7 32-33歳 1/2 2/7 2/7 33-34歳 1/3 2/7 4/7 34-35歳 1/3 2/7 3/7 35-36歳 2/3 2/8 3/7 36-37歳 3/3 2/8 2/7 37-38歳 4/4 2/8 4/7 38-39歳 4/4 2/8 3/7 39-40歳 4/5 1/8 3/7 00-00歳 大 中 羽 40-41歳 6/6 2/8 2/7 41-42歳 6/6 3/8 3/7 42-43歳 6/6 1/8 3/7 43-44歳 5/6 1/8 4/7 44-45歳 4/6 1/8 4/7 45-46歳 3/6 0/8 3/7 46-47歳 4/6 0/8 2/7 47-48歳 4/6 0/7 0/8 48-49歳 3/6 0/7 0/8 49-50歳 0/6 0/7 ?/8 50-51歳 1/6 0/7 51-52歳 2/6 0/7 52-53歳 2/7 0/7 53-54歳 2/7 0/7 54-55歳 1/6 0/7 55-56歳 0/7 0/7 56-57歳 1/7 0/7 57-58歳 1/7 0/7 58-59歳 1/7 0/7 59-60歳 0/7 0/7 48-49歳年度まで 大山 獲得チャンス96回中69回獲得 (名人18期ほか) 中原 獲得チャンス214回中64期獲得 (名人15期ほか) 羽生 獲得チャンス227回中99期獲得 (名人9期ほか) ※中原は元気で若いころにタイトル獲得チャンスが年5〜6、30代以降7〜8での214回 ※羽生は元気で若いころからタイトル獲得チャンスが年7 ※49-50歳年度以降に大山は11タイトル獲得、合計80期 >>320 小学校低学年の少年が15年後の就職氷河期を予測して奨励会に入るわけないだろ 毎度の結論としては大山が別格の人外である 中原は羽生と同じ獲得チャンスがあれば、70期台前半程度のタイトル数かと予測される (チャンスが増えるとしたら強い20代のときにチャンスが増えるので、獲得可能性も上がる) 中原羽生の比較ではタイトルの量を稼ぐ能力は羽生が上と思われる 1日制将棋で勝ちを拾う能力が羽生>中原と思われ、1日制5番勝負や 2日制タイトルへの挑戦権争い(1日制)で羽生が優位に立つと予測されるため 一方で2日制重要タイトルを勝ち取る力は中原>羽生と思われる 羽生は米長の強化バージョンで中原は森内の強化バージョンと考えるとおおよその見当はつく 羽生中原の優劣はどのポイントを重視するかで違ってくるがほぼ同等 現代は量の記録を重視する風潮があるので羽生>中原とする人が多いかもしれない 藤井七段は羽生と似たような環境で過ごすと考えられ 羽生が48-49歳の年度までに227回タイトル獲得チャンスがあったので 叡王があり8タイトル時代が続くなら藤井には240〜250回程度のチャンスがあるはず そのうち半分取ると、120〜130期ということになる 大山が最初から羽生藤井と似たような環境であれば いくらか取りこぼし支配率が落ちるにしてもこのくらいの数字になると考えられている 藤井はこの域を狙える強さがあると思う 棋聖戦が年2期の年数がそれなりにあったから同じくらいじゃね 名人戦 森内18世名人 5勝4敗 羽生19世名人 8勝4敗 勝率 9勝8敗 4連覇 連覇数 3連覇 0人 負け越し相手 3人 36歳 永世名人獲得年 37歳 羽生は除外するのがお情けだけどな www 最強でなく人外という記載の時点で現役生活を全うしてからしか比較出来ない気がするわ 中原が頭から血を出して復帰できずドロップアウトしたので大山>中原は確実 また現時点では羽生>大山だが、10年後に羽生の評価が下がっている可能性がある。 最後に藤井は稼働年が少なすぎて評価不能 名人戦の歴史 大山15世名人 0勝3敗 中原16世名人 中原16世名人 2勝1敗 谷川17世名人 谷川17世名人 1勝0敗 羽生19世名人 森内18世名人 5勝4敗 羽生19世名人 佐藤天彦名人 2勝0敗 羽生19世名人 現時点で 羽生は史上最弱の永世名人は確定いたしております www 藤井君は他山の石として精進したまえ 羽生が第一人者の頃は 羽生が史上最強ってことにしとかないと興行的にマズかった訳で いくら名人戦で森内に勝てなかろうが竜王戦で渡辺に勝てなかろうが 史上初の七冠王ってことで讃えてたわけだが 藤井聡太という新たなホープが生まれた以上 羽生を神格化する必要はなくなったのよね 鷹取が中3の4月にプロ入りすれば菅井は20代で弟子がプロ入りする事になるが 鷹取も伸び悩んでるから無理か 藤井が人外かどうか証明するのはこれから 大山中原羽生が人外なのは証明済み あっと驚く手が出るのは藤井で見ていて楽しいよ。 中原は自然な手だけで勝っている印象しかない。 >>342 自然流というけどどうだろう 若い頃からかなり独特な手から攻めを組み立ててる印象がある 自然に指せばよくなるためのオリジナルな仕組みを最初に作っておくのが中原将棋という感じがする 40代以上で羽生と原田の激闘を知らない将棋ファンはニワカ 申し訳ないけど 「大山は凄すぎる」「羽生は評価ほどでもない」「藤井は凄すぎる」で考えると 大抵の事象が説明できてまう 大山は凄すぎるから名人18期 大山は凄すぎるから40代半ばから70歳手前までに20代から40代半ばの中原相手に1勝2敗ペースを維持 大山は凄すぎるから60代後半に10代後半から20代前半の羽生相手に3勝5敗 大山は凄すぎるから20歳年下の米長に生涯勝ち越す 羽生は評価ほどでもないから名人9期どまり 羽生は評価ほどでもないから60代後半の大山に5勝3敗どまり 羽生は評価ほどでもないから40代後半で10代後半の藤井に0勝4敗 羽生は評価ほどでもないから27歳年上の米長相手に22局戦った時点で12勝10敗どまり 藤井は凄すぎるから名人20期前後取りそう 藤井は凄すぎるから10代後半にして40代後半の羽生相手に4勝0敗 アホみたいなことばかり書いてないで棋譜でも並べてろよ 将棋のルールすら忘れんぞ 大山か藤井 後世の棋士が追い抜くのが困難な記録を残している(残しつつある) 羽生の記録というのは彼以前の王者たちにチャンス(タイトル数、棋戦数、対局数)が少なかった結果 羽生が一番となっているだけなので(チャンスが同じ名人獲得数などでは羽生は埋もれている) 後世の棋士が追い抜けると思う 後世というか藤井が抜くと思う タイトル数、棋戦数、対局数がプロ入りからほぼ同じなのは羽生と藤井だけ チャンスの違いで大山中原らにマウントを取っていた羽生だが藤井相手にはそうはいかないのが厳しいところ 「羽生以前の王者たちにチャンス(タイトル数、棋戦数、対局数)が少なかった結果 羽生が一番となっているだけの記録」に該当するもの タイトル総数記録(99期) 年間最多冠記録(7冠) 最多永世記録(7冠) 以上、プロ入り時から年間タイトル戦開催数が7の時代の恩恵を受けたもの ※連続タイトル保持、連続年間最多タイトルなどと言った記録もタイトル7時代の恩恵を受けている ※年少でのタイトル獲得にも影響を与えている 一般棋戦優勝記録 一般棋戦開催数が過去最多の時代の恩恵を受けたもの 最多勝ち星記録 上記より対局数が増えた恩恵を受けたもの 生涯勝率など勝率記録 上記より強く若い時期に対局数が多く勝ち星を稼げた恩恵を受けたもの これらは羽生よりそもそもチャンスの少ない大山や中原が羽生以上の数字を出すことはほぼ不可能だが 羽生とチャンスの数が似ている藤井は更新する可能性がある 現にすでに藤井の勝率は羽生より高い数値で推移している タイトルも羽生より若くして取りそうである 若くして取るということは羽生以上のペースでのタイトル量産体制に入ったということ 羽生対藤井 01 ●羽生47歳−藤井15歳○ 第11回朝日杯準決勝 02 ●羽生49歳−藤井17歳○ 第69期王将戦リーグ 03 ●羽生49歳−藤井17歳○ 第61期王位戦白組リーグ 04 ●羽生49歳−藤井17歳○ 第28期銀河戦Cブロック11回戦 🐙●🐙●🐙●🐙● お見事!! 羽生はテイエムオペラオーって感じだな 数字は立派。 でもコレっていう光るものが無いのよ残念ながら 木村 シンザン 大山 シンボリルドルフ 中原 ナリタブライアン 羽生 テイエムオペラオー 藤井 ディープインパクト こうか 20代羽生60代大山 これだけ年が離れていても3−5だからなあ 正直羽生の時代は強者が存在しなかった時代でしかない 羽生の実力がそれほどではなかったから森内や渡辺にもチャンスがあっただけ 本物の藤井がきたら0−4で完敗して改めて羽生世代のレベルの低さを露呈したね >>353 羽生世代のレベルが高いんじゃなくて すぐ上の55年組とすぐ下の久保〜渡辺間の空白世代がドン引きするくらい弱いだけだからな >>354 実際羽生世代は強いだろ。佐藤森内郷田だって渡辺相手に十分戦えたんだし。上の世代が弱過ぎたのは確かだが。 大山はたくさん勝てる20〜30代に今よりずっと少ない対局数で 全盛期を過ぎた50代以後に棋戦が現代並みに それで生涯勝率.645なんだから化け物だよ ちなみに.700切ったのが49歳だが、羽生もそろそろ切りそうだったりする 大山の若い頃に今くらい対局あったら、生涯勝率、通算勝数ともにとんでもない数字だったと思うよ ちなみに大山が一番たくさん勝ったのが50代。 羽生さんは今後29勝29敗で通算7割を切る。 今期の成績次第だが、7割を切るのは最短でも2021年度の前半ぐらいになりそう。 1970年9月生まれなので、取りあえず、50歳7割の達成はほぼ確実と思う。 もう少し勝率が高ければ、例えば今後45勝35敗 (勝率.5625) までなら7割を維持できる。 いずれにせよ、満52歳時点では、7割を下回ることは、ほぼ間違いないだろう。 年代別に比較すると羽生より大山のほうが勝率がいいのがわかっている 大山 中原 羽生 10代勝率 50-8 39-9 215-60 0.8621 0.8125 0.7818 30代勝率 292-129 378-222 449-199 0.6936 0.6300 0.6929 40代勝率 304-146 331-212 366-189 0.6765 0.6096 0.6571 50代勝率 404-234 144-171 0.6332 0.4570 60代勝率 203-185 13-18 0.5232 0.4194 なお、20代勝率は羽生より中原が上 大山 中原 羽生 20代勝率 180-79 403-151 426-160 0.6950 0.7274 0.7270 勝利数も40代の羽生の勝利数(366勝)より50代の大山の勝利数(404勝)のほうが多いのが何かと示唆的だな 羽生と同じだけ対局数が40代や30代にあったら勝利数も大山が多いのか 当時のタイトル数の少なさと、戦争で足を取られた影響で、タイトルを量産し始めた年齢が遅いせいか 晩成タイプに見られがちな大山だが若い時から普通に天才なんだよなあ 昇段スピードは当時としては最速だし10代勝率も藤井を上回ってるからな(もちろん環境が違うから両者の比較は出来ないけど) 香落ちだが全盛期の木村名人にも10代の頃から一発入れてる 木村、大山、中原、羽生、藤井 時代の覇者は皆早熟の天才 (木村名人は22歳8段だし、中原以降は説明するまでもないだろう) 奨励会を見ると 伊藤匠3段は羽生にとっての森内のように藤井対策特化した同い年の天敵になる可能性ある 藤井の100期達成はまず確実として150期をできるかどうかのキーマンになるだろう 羽生のライバルも羽生が17歳のときはまだ奨励会だった棋士のほうが多かった 森本18、伊藤17、上野16、狩山17、古賀19、吉田19などはいつ四段に上がってきてもおかしくない いわば、羽生にとっての康光、森内、郷田、丸山、深浦、三浦になりうる素質をもっている 藤井の器は羽生と比べても明らかに上なのに伊藤や上野みたいな高校生三段で森内ように対抗できるかね? 最低でも中学生棋士の谷川ナベクラスの才能じゃないと無理だと思うが 現に円熟期のナベと成長途上の藤井が戦って藤井優勢だし 全盛期の藤井には谷川ナベクラスでも対抗できんかもしれん 藤井が全盛期大山レベルの無敵状態に達したら加藤みたいに中学生棋士をも蹂躙する図が想像できる 仮に伊藤上野が康光森内クラスの棋才だったとしても そもそも森内康光レベルの棋士では羽生の時のように対抗馬になれない可能性が高い 谷川ナベクラスですら飲み込まれる可能性も考えないと >>363 30年前にはこう言えただろう まあ少し待っててくだされ 羽生の器は中原と比べても明らかに上なのに佐藤や森内みたいな高校生三段で米長ように対抗できるかね? 最低でも中学生棋士の谷川クラスの才能じゃないと無理だと思うが 現に円熟期の谷川と成長途上の羽生が戦って羽生優勢だし 全盛期の羽生には大山中原クラスでも対抗できんかもしれん 30年前は55年組も強かった 永瀬が南(大山風)、豊島が高橋道雄、的なw なにかと羽生さんの信者は羽生が大山に負けてる言い訳に 昔はレベルが低かったからと強弁するが 40以上も離れた大山に挑決で敗れたのもそうだし 大山以外のその年代の棋士と羽生の対戦成績見たら とても大山の時代はレベルが低かったからなんて言えんよな 昔はレベルが低かったと言うなら 羽生時代はAIが人間より弱かった時代だしな 藤井聡太が18でタイトル獲得したり 名人10期以上獲得したり 60代でA級残留したらなんて言い訳するんだろう まあその頃には信者はいないか(俺は生きてたらまだ70の年だが) その頃藤井と羽生の比較は意味を為さないだろうし 藤井の次の覇者が誕生したらやはり比較対象は藤井か大山なんだろうな 羽生、大山はいい勝負。 ちょっと落ちて中原。 藤井は出てきたばかりでまだこれからだが、17歳の段階での強さではぶっちぎりトップ。 >>352 木村 シンザン 大山 シンボリルドルフ 中原 ナリタブライアン 羽生 ディープインパクト 藤井 コントレイル こうでは? 羽生は終盤逆転が多かったのも後方一気のディープと被る。 藤井はまだ2歳馬だが横綱相撲で底が見えず ディープより強くなりそうなのがコントレイルに被る。 無職引きこもりが永世名人を捕まえて「弱い」だのなんだの 見苦しいからやめとけ 大山時代 1952〜1974 中原時代 1975〜1987 羽生時代 1988〜2016 藤井時代 2017〜 大山時代 1952〜1974 中原時代 1975〜1989 谷川時代 1990〜1991 羽生時代 1992〜2016 藤井時代 2017〜 >>373 谷川時代があるなら渡辺豊島時代があってもいいわ 木村時代 1937〜1951 大山時代 1952〜1971 中原時代 1972〜1981 羽生時代 1992〜2017 藤井時代 2020〜 2017から連盟は藤井で持ってるわけだから既に藤井時代も四年目となる 羽生7冠2期戦優勝 勝率0.84 人外すぎると思う 藤井29連勝した年より勝率上ってありえん >>377 それを言ったらやはり大山のほうが人外 1961年4月14日〜1962年6月1日の期間での勝率が35勝6敗(0.854) 名人、王位、九段、王将、名人と5期連続して全タイトルを獲得 2棋戦で優勝もしている 東京新聞杯優勝、NHK杯優勝 これを超える勝率は羽生のどの時期にもない 大山には前年1960年からタイトル局17連勝という記録もある 羽生を人外と言う人は羽生以前の記録を調べようともしないミーハーだからな 人外というと晩年の活躍で大山かなぁ 50代後半でも7割最多勝 今の羽生みてるとできるとは思えない 中原時代までは名人になった棋士が最強棋士とハッキリとしている 戦前から1949年までのおよそ20年間は木村時代だが、戦後、塚田が最強だったときもあった 塚田時代と言われないのは倒した相手(木村)に巻き返されたからにほかならない 木村時代のあとは大山時代でこれも1952年から1971年まで20年間の長期に亘った 途中、升田が最強と言えたときもあったが、升田時代という区分がされないのは塚田と同じで、升田も倒した相手(大山)に巻き返されたからにほかならない 大山時代のあとは中原時代で1972年から1992年の21年間に及んだ 期間は大山より長いが名人戦の開催がなかった年があり名人通算15期で大山名人の通算18期にはあと一歩届かなかった これは、途中加藤一二三が1期、谷川が4期名人だったからで、加藤最強が1年、谷川最強が4年あったわけだが、後世に谷川時代と称されないのはやはり谷川も倒した相手(中原)に巻き返されたからにほかならない すでにタイトル戦での活躍は谷川が中原を凌駕していたが、思考時間が十分にあれば谷川より中原が強いことは変わらなかった 中原時代のあとは羽生時代となるわけだが、途中群雄割拠時代となり時代区分がボヤけてしまっている なぜかというと、羽生は持ち時間の長い将棋で中原より強いことを一度も証明することなく名人になり、名人になったあとには中原より弱かった谷川の挑戦を受けて負けてしまった そのあと、巻き返して名人になれず、谷川のあとは佐藤康光2期、丸山2期と変遷して、結局中原にも谷川にも持ち時間の長い将棋で自分のほうが強いことを証明できなかった なんと、26歳から36歳の11年間で獲得は1期だけで登場回数も4回(谷川に0-1、森内に1-2)に終わっている 棋士の最強期といえる10年間にたったの1期であるから、ほかのタイトル戦での活躍があったにせよ羽生時代とは呼べないだろう 羽生時代と呼べるのは名人3期の1994-1996の3年間しかなく、その後は群雄割拠時代と森内時代に区分できる 森内時代は2002年から2013年の12年間で名人を8期獲得した 途中2008-2010の3年間は羽生が最強だったが、そのあと巻き返している 持ち時間が長い対局で最強者を決めるのは将棋の伝統で、その最高の舞台が名人戦である 思考時間が十分にあっても勝てなくなったときに一つの時代が終わる 名人戦での木村時代の終焉は47歳、大山に1勝しかできなかった 大山時代の終焉は49歳で、中原に3勝した 中原時代の終焉は45歳で米長に1勝もできず、その後は一つもタイトルを獲得することがなかった 森内時代の終焉は43歳で、羽生にストレート負けを喫してやはりそれ以降のタイトル獲得はなし 羽生は巻き返して名人に復位したが、天彦に2勝しかできずに47歳で陥落した >>384 訂正 羽生は巻き返して名人に復位したが、天彦に1勝しかできずに45歳で陥落した 年度勝率ベスト30 1 中原 誠 0.8545 47 08 1967 2 中村太地 0.8511 40 07 2011 3 藤井聡太 0.8491 45 08 2018 4 大山康晴 0.8438 27 05 1941 5 羽生善治 0.8364 46 09 1995 6 藤井聡太 0.8356 61 12 2017 6 木村一基 0.8356 61 12 2001 8 桐山清澄 0.8261 38 08 1968 9 近藤正和 0.8222 37 08 2004 10 中原 誠 0.8205 32 07 1966 11 羽生善治 0.8197 50 11 1987 12 大内延介 0.8182 27 06 1966 13 藤井聡太 0.8125 52 12 2019 14 久保利明 0.8095 34 08 1994 15 芹沢博文 0.8065 25 06 1960 16 深浦康市 0.8000 44 11 1994 16 羽生善治 0.8000 64 16 1988 16 永瀬拓矢 0.8000 36 09 2018 16 渡辺 明 0.8000 40 10 2018 20 森内俊之 0.7975 63 16 1991 21 丸山忠久 0.7969 51 13 1994 22 木村一基 0.7966 47 12 1999 23 菅井竜也 0.7963 43 11 2014 24 佐藤天彦 0.7955 35 09 2010 25 大山康晴 0.7941 27 07 1961 26 大橋貴洸 0.7931 46 12 2017 27 山崎隆之 0.7925 42 11 2004 28 森安秀光 0.7925 42 11 1977 29 佐藤紳哉 0.7872 37 10 2005 30 永瀬拓矢 0.7857 44 12 2012 30 福崎文吾 0.7857 33 09 1979 年齢別勝率 1 藤井聡太 0.9688 31 01 14歳 2 中原 誠 0.8697 40 06 19歳 3 藤井聡太 0.8500 51 09 17歳 4 羽生善治 0.8354 66 13 18歳 5 藤井聡太 0.8333 50 10 16歳 6 森内俊之 0.8310 59 12 20歳 7 中村太地 0.8269 43 09 23歳 8 近藤正和 0.8261 38 08 33歳 9 大山康晴 0.8235 28 06 37歳 9 渡辺 明 0.8235 42 09 34歳 11 羽生善治 0.8153 53 12 17歳 12 桐山清澄 0.8095 34 08 20歳 13 丸山忠久 0.8070 46 11 24歳 14 久保利明 0.8000 40 10 19歳 14 中原 誠 0.8000 48 12 20歳 14 青嶋未来 0.8000 44 11 21歳 14 菅井竜也 0.8000 44 11 22歳 通算120勝時の成績 120勝20敗(0.8571)藤井聡(16) 120勝28敗(0.8108)中原(21) 120勝31敗(0.7947)大山(23) 120勝32敗(0.7894)羽生(17) 120勝43敗(0.7362)佐藤康(20) 120勝44敗(0.7317)深浦(22) 120勝45敗(0.7273)千田(22) 120勝46敗(0.7229)菅井(21) 120勝46敗(0.7229)豊島(21) 120勝46敗(0.7229)大橋(27) 120勝48敗(0.7143)加藤(19) 120勝48敗(0.7143)永瀬(21) 120勝48敗(0.7143)近藤(22) 120勝49敗(0.7101)丸山(22) 120勝49敗(0.7101)増田(20) 120勝50敗(0.7059)佐々木大(24) 120勝50敗(0.7059)木村(27) 120勝51敗(0.7018)久保(21) 120勝52敗(0.6976)行方(23) 120勝52敗(0.6976)斎藤(23) 120勝52敗(0.6976)宮田(24) 120勝53敗(0.6936)渡辺明(19) 120勝53敗(0.6936)森内(20) 120勝53敗(0.6936)先崎(20) 120勝53敗(0.6936)糸谷(21) 120勝53敗(0.6936)堀口(24) 120勝54敗(0.6896)谷川(18) 120勝54敗(0.6896)佐藤天(23) 120勝54敗(0.6896)片上(26) 人外じみてるという点では藤井かな 妖怪じみてるのは大山 そら、中原さんよ。 羽生の頭脳は時代遅れになりつつあるけど 中原世代が確立した矢倉の理屈はいまでも通じるもん 全盛期の谷川将棋は羽生が人間消えてるって絶句してた 実戦中に盤上で超難解な長手数詰め将棋を作成する 今はもうできなくなったけど あれは谷川にしかできない将棋だった 余談だけど藤井七段は谷川型って言われるけど 本質は中盤じゃないのかな 形成判断がずば抜けている 将棋の最強棋士の見分け方 @5歳の頃に将棋に出会っている A誰もが認める将棋の天才 詰将棋を解くのが際立って速いとか昇級昇段のスピードが早いとか B将棋だけでなくとにかく頭脳ゲームに強い チェスだけでなく、囲碁とかバッグギャモンとか異分野の頭脳ゲームにも才能がある C全タイトルを2期以上連続防衛している 今のところ@からCのすべての条件を満たしているのは大山のみである @は最強棋士の必要条件だ Aに該当する棋士は多いが、将棋との出会いが遅いと最強棋士にはなれない B将棋の天才は他の頭脳ゲームをやらせても強いが大人になってから始めたのでは一番にはなれない 木村、升田、大山、中原いずれも囲碁も強かったが大人になってから覚えたのではプロの囲碁棋士には及ばない チェスなら大山や羽生のように大人になってから始めても日本チャンピオンぐらいにはなれる しかし、世界チャンピオンにはなれない 多くの棋士がマージャンも強いし、森内や森九段のようにバッグギャモンで才を発揮している棋士もいる もし、それぞれの分野で早くに始めていたら十分に世界一レベルになっていたことだろう このように頭脳ゲームは将棋にかぎらず「出会いが早い」が史上最強に欠かせない条件だ 大橋六段は将棋を覚えて1年でアマ五段になった 如何せん将棋を覚えたのが小4のときと遅きに失した もし、5歳で将棋に出会っていたら藤井七段のような中学生棋士になっていたかもしれない もし5歳で将棋に出会っていたらと思える天才棋士は大橋だけでない 新四段の服部は小3で将棋覚えて18歳で三段リーグを14勝4敗で抜けてプロになっている 森内は服部と同じ小3で始めて16歳でプロになったが、森内は三段リーグ発足前のいいとこ取りの13勝4敗で四段になった最後の棋士であるから、服部の将棋を覚えてから四段昇段までの早さは森内と遜色ないといってよい 天才性は羽生より森内で森内が羽生のように小1で将棋を覚えていたら力関係は逆転していたはずだ 20歳過ぎてから四段昇段してタイトルを獲った棋士は、高橋道雄、藤井猛、大内延介、森けい二、木村一基しかいないが、彼らには「将棋を覚えたのが遅い」という共通点がある なかでも最も遅かったのはバッグギャモンやマージャン大会で優勝したことでも有名な森九段で16歳のときに覚えてわずか半年でアマ三段になっている 彼らが早くに将棋を覚えていたら羽生を越えていた可能性が高い しかし、5歳で将棋を覚えた大山や藤井七段の域に達することはないだろう 藤井七段は大山に並ぶ最強棋士になるだろうが、そのためにはCの全タイトル2期連続防衛が最低のノルマになる 名人戦の歴史 大山15世名人 0勝3敗 中原16世名人 中原16世名人 2勝1敗 谷川17世名人 谷川17世名人 1勝0敗 羽生19世名人 森内18世名人 5勝4敗 羽生19世名人 佐藤天彦名人 2勝0敗 羽生19世名人 羽生は史上最弱の永世名人は確定いたしております www 現役の120勝未満では片上大輔以上の逸材がいないんだから 困ったもんよ 鈴木大介九段の四間飛車本に 「大山先生は9対1で勝っているところをわざと6対4にしてから勝つ」 「結局強いから勝つのでどっちにしても大山先生にとっては同じこと」 みたいに書いてたのが、すごいなと思いました。 羽生九段のファンが、羽生九段が大事な勝負で負けるたびに 「羽生さんは大事な勝負で遊ぶからな」などと言っていたのは正直負け惜しみの域を出ていませんでしたが 大山15世はガチで力が飛び抜けていたのがよく分かります。 (成績から見ても、明らかなことではありますが) 藤井七段の200勝間近ということで、達成年齢など達成速度などが話題になるとは思いますが そんなのは時代が新しくて対局数の多い時代ほど有利な指標なのは当たり前なので ここでは勝ち星の質について見てみようかなと思います。 藤井聡太 182勝時点(2020-07-09時点) 17歳11か月20日 順位戦31勝 竜王戦24勝 王将戦17勝 王位戦14勝 棋聖戦19勝 棋王戦12勝 王座戦9勝 ※7大タイトル関係126勝 叡王戦7勝 ※8大タイトル関係133勝 朝日杯16勝 銀河戦14勝 NHK杯6勝 新人王戦8勝 YAMADAチャレンジ杯3勝 加古川青流戦2勝 日本シリーズ0勝 ※一般棋戦関係49勝 羽生善治 200勝時点(1989-11-24) 19歳1か月27日 順位戦32勝 竜王戦16勝十段戦1勝 王将戦9勝 王位戦4勝 棋聖戦21勝 (年2回開催時代) 棋王戦17勝 王座戦14勝 ※7大タイトル関係114勝 天王戦17勝 NHK杯16勝 新人王戦14勝(ほか、プロ入り前に1勝) 全日本プロ9勝 早指し戦8勝 若獅子戦8勝 オールスター勝ち抜き戦7勝 早指し新鋭戦5勝 名将戦2勝 ※一般棋戦関係86勝 中原誠 200勝時点(1970-11-27) 23歳2か月25日 順位戦45勝 十段戦25勝 王将戦13勝 王位戦19勝 棋聖戦41勝 (年2回開催時代) ※5大タイトル関係143勝 王座戦21勝 連盟杯11勝 最強決定10勝 古豪新鋭戦8勝 NHK杯3勝 東西勝継戦3勝 共同1勝 ※一般棋戦関係57勝 大山康晴 200勝時点(1951-12-09) 28歳8か月26日 名人戦4勝 順位戦47勝 名人挑戦8勝 名人予選10勝 昇降段戦38勝 名人九段戦6勝 九段戦7勝 王将戦3勝 ※3大タイトル戦等・昇段関係勝ち星123勝 山陽新聞22勝 東西対抗勝継戦8勝 朝日番附7勝 三社三番6勝 全日本選手権2勝(非タイトル時代) 王将戦2勝(非タイトル時代) 産業経済2勝 読売夕刊(九段戦?)2勝 中部日本2勝 朝日2勝 大阪新聞2勝 読売臨時2勝 毎日東西対抗2勝 富士2勝 NHK1勝 ラジオ将棋1勝 新大阪1勝 大阪1勝 大阪新世界1勝 大山会1勝 中国民報1勝 中日新聞1勝 夕刊新大阪岡山1勝 特別戦1勝 坂田三吉追善会1勝 将棋世界1勝 席上手合1勝 ?1勝 ※一般棋戦関係77勝 4連投おじさんリアルでその将棋見てないの確実 だから何も伝わらない 200勝時点 藤井(182勝時点) ・8大タイトル戦関係で133勝(73.1%) ・一般棋戦「NHK杯」「朝日杯」「銀河戦」「日本シリーズ」の4つと すでに卒業した「新人王戦」 羽生 ・7大タイトル戦関係で114勝(57%) ・一般棋戦「NHK杯」「天王戦」「全日本プロ」「名将戦」「早指し戦」 「オールスター勝ち抜き戦」「早指し新鋭戦」「若獅子戦」「新人王戦」と4者で最多 中原 ・5大タイトル戦関係で143勝(71.5%) ・一般棋戦は「NHK杯」「連盟杯」「最強決定戦(現・棋王戦)」など少なめ 大山 ・3大タイトル戦、昇段関係(現順位戦C級やB2に相当)関係で123勝(61.5%) ・現在の一般棋戦と言えるようなものはまだ存在せず、新聞社や雑誌の単発企画(公式戦扱い)が多い 大山、中原は200勝時点ですでにタイトルを獲得しております。 羽生はしておりません。 藤井は獲得しているかもしれません、現在182勝です。 勝ち星の質としては羽生九段が最も悪いと言えます。 タイトル戦に関係するものではなく、比較的どうでもいいところで勝っているということになります。 一般棋戦は持ち時間の少ない早指し将棋などが多く、羽生九段はそこで質の低い勝ち星を重ねたのです。 羽生九段はキャリア通じてそのような傾向になります。 見かけ上の勝ち星数字は大山中原より上ですが、名人獲得数は大山中原よりだいぶ下です。 「羽生九段は勝ち星の質が低い、質より量の棋士」ということになります。 中原16世の時代は200勝のうち多くがタイトル戦絡みとなっており、藤井七段もその状況に近いです。 大山時代は棋戦も少なく、200勝達成年齢や達成までの速度は当然最も高齢、遅いということになります。 どうでもいいところで稼いだ勝ち星が少ないかわりに、タイトルにつながる勝ち星が多い特徴があります。 そして 藤井七段の時代は、最新の時代ですが、実は羽生九段の時代より勝ち星を稼ぎにくくなっています。 一般棋戦が減っているからです。 オールスター勝ち抜き戦や早指し戦などのたぐいがなくなっています。 藤井七段も銀河戦で1日2勝しましたが、短時間将棋はこのように負担少なく勝ち星を増やせます。 「藤井時代は羽生時代より勝ち星を稼ぎにくい」 この事実はしっかり記憶しておくべきでしょう。 例えば今後。藤井七段の勝ち星積み上げペースが、羽生九段の勝ち星積み上げペースに劣り始めたときに 「羽生のほうが強いからだ」とやるのは頭の悪い思考なわけで(羽生オタはこれをやりがち) 「藤井時代のほうが勝ち星を稼ぐ機会が減っているからだ」 「藤井はもうタイトル戦に出まくっている、予選での勝ち星が減っている」 といったところに気づけるかどうかが重要になります。 藤井ファンはごまかしに合わないように気を付けてください。 藤井、羽生時代は環境が最も近いので比較してみましょう。 藤井聡太182勝時点 羽生善治200勝時点 順位戦 藤井31勝 羽生32勝 竜王戦 藤井24勝 羽生17勝(十段戦の1勝含む) 王将戦 藤井17勝 羽生9勝 王位戦 藤井14勝 羽生4勝 棋聖戦 藤井19勝 羽生21勝(年2回時代) 棋王戦 藤井12勝 羽生17勝 王座戦 藤井9勝 羽生14勝 叡王戦 藤井7勝 藤井はあくまで182勝時点でこれからまだ増えるでしょうが。 順位戦はいくら勝っても1年に戦える対局数が決まってますから、そこまで差がついていません。 2日制タイトル戦関係は藤井七段のほうが順調、 1日制タイトル関係は羽生九段のほうがいいペースのようです。 羽生って数字稼ぎにくい時代の大山や中原と比べてダントツと言われすぎたせいで スゲー過大評価になってるからな 同じように数字稼げる次の王者藤井がでてきたらすでにそちらのほうが成績いいというね 笑 羽生時代が最も数字を稼ぎやすい ごまかしは受け付けない 詳細データ乙 こうして見ると中原時代もほとんど一般棋戦なかったんだなあ 藤井100勝達成のときだっけ?100勝時点で中原は棋聖戦番勝負戦ってたと聞いて驚いた記憶 よく考えてみると、羽生の若いころにあった棋戦って 羽生世代が全盛期のころにどんどん消滅していったんだな 「過去の大名人たちは絶対的に強かった」 木村 名人5連覇(10年連続) 在位13年 ※32歳から名人戦参加のハンデ付き記録 大山 名人13連覇 在位18年 中原 名人9連覇(10年連続) 在位16年 「女流の世界でも王者は最古タイトルを手放さない」 里見(将棋女流) 女流名人11連覇中 「同じ七冠王とは言うものの質の差は歴然」 井山(囲碁) 将棋界の名人にあたる本因坊9連覇中(現役で26世本因坊名乗る権利を手に入れた) 将棋界の竜王にあたる棋聖8連覇中 「平成の大王座」 羽生 名人3連覇 在位9年 竜王2連覇 在位7年 さて藤井は 大山も中原も羽生よりかなりプロ入りが遅いんだから勝ち星の質が高くて当然。藤井がぶっち切りですごいことになるが。 大山 ジャック・ニクラウス 中原 アーノルド・パーマー 羽生 タイガー・ウッズ 藤井 謎の宇宙人 康光や森内は奉行所のつまんないカシラ的キャラ 南や久保や二上が昼行灯を決め込んだ藤田まこと的キャラ 高橋はオンナ好きの骨つぎ 豊島はオンナに縁がない棺桶屋 中村はお喋りの瓦版屋 大山中原のほうが羽生より名人獲得数多いんだから 勝ち星の質が高いのは当然 羽生時代は全てがヌルいよ全てが 谷川将棋は語り継がれるだろうね 生まれたタイミングが悪かった 中原ともう5歳離れていたら…… 正直名人9期程度の雑魚を18期に必死に張り合わせる意味が分からない 羽生と谷川足しても中原以下という現実は忘れないほうがいい 藤井名人10年以上在位で名人在位一桁は谷間扱いで終わるのだから 大山の時代は66歳でタイトル挑戦できるぬるい時代とかホザイていた羽生オタがいたな それ、大山の時代でなく羽生が19歳で竜王になった年なんだが ちなみに66歳の大山は羽生を本戦決勝で破って棋王戦に挑戦した 40代中盤〜50代前半の米長と22局12勝10敗の時点でヌルいよ羽生は 藤井が佐藤康光相手にそんな状況になったら鬼の首取ったように暴れてるだろ 羽生オタが もし谷川が中原ともう5歳離れていたら、羽生世代の突き上げも5年早くなるのでタイトル数はほぼ間違いなく今より少なかっただろうね 谷川や55年組から見て5歳程度年下の森下がちょうどいい例だ そもそも谷川は生まれたタイミングがむしろ良かった棋士だよ 谷川や55年組らへんの棋士は衰えが早かった中原と羽生の登場前という谷間の低レベル時代にタイトルを稼ぐことが棋士達だから 言っちゃ悪いが55年組なんかが台頭してた頃の棋界のレベルは歴代最低だろう 羽生世代の時代になった途端、30代前半の指し盛りにも関わらず、タイトルどころかA級すら摘み出された南なんかが7期も取れた時代だから もし谷川が中原や羽生と同世代なら米長や康光森内ポジションになって実績は一段落ちただろうし、 最悪、無敵時代の大山時代と重なってたら二上ポジションになった可能性もある 谷間の時代に27期稼げた谷川は生まれた時代に恵まれた方 中原(1947年生まれ)と羽生(1970年生まれ)の間の世代 主な棋士 1957年04月29日生まれ 田中寅彦 1タイトル 1959年12月06日生まれ 福崎文吾 2タイトル 1960年04月23日生まれ 高橋道雄 5タイトル 1962年04月06日生まれ 谷川浩司 27タイトル 1962年11月07日生まれ 中村 修 2タイトル 1963年02月19日生まれ 島 朗 1タイトル 1963年06月08日生まれ 南 芳一 7タイトル 1964年11月16日生まれ 塚田泰明 1タイトル 田中 福崎 高橋 中村 島 南 塚田 1988(昭和63)年07月29日 第52期棋聖戦 田中寅彦 31歳 3-2 南 芳一 25歳 1986(昭和61)年12月19日 第25期十段戦 福崎文吾 27歳 4-2 米長邦雄 43歳 1991(平成03)年10月14日 第39期王座戦 福崎文吾 31歳 3-2 谷川浩司 29歳 1983(昭和58)年09月27日 第24期王位戦 高橋道雄 23歳 4-2 内藤國雄 43歳 1985(昭和60)年08月21日 第26期王位戦 高橋道雄 25歳 4-0 加藤一二三 45歳 1986(昭和61)年08月21日 第27期王位戦 高橋道雄 26歳 4-0 米長邦雄 43歳 1987(昭和62)年03月23日 第12期棋王戦 高橋道雄 26歳 3-1 谷川浩司 24歳 1987(昭和62)年11月26日 第26期十段戦 高橋道雄 27歳 4-0 福崎文吾 27歳 1986(昭和61)年03月14日 第35期王将戦 中村 修 23歳 4-2 中原 誠 38歳 1987(昭和62)年03月18日 第36期王将戦 中村 修 24歳 4-2 中原 誠 39歳 1988(昭和63)年11月17日 第01期竜王戦 島 朗 25歳 4-0 米長邦雄 45歳 1988(昭和63)年01月12日 第51期棋聖戦 南 芳一 24歳 3-0 桐山清澄 40歳 1988(昭和63)年03月25日 第37期王将戦 南 芳一 24歳 4-3 中村 修 25歳 1989(平成01)年02月22日 第38期王将戦 南 芳一 25歳 4-0 島 朗 26歳 1989(平成01)年03月28日 第14期棋王戦 南 芳一 25歳 3-2 谷川浩司 26歳 1990(平成02)年03月09日 第15期棋王戦 南 芳一 26歳 3-0 大山康晴 66歳 1991(平成03)年03月12日 第40期王将戦 南 芳一 27歳 4-2 米長邦雄 47歳 1991(平成03)年07月31日 第58期棋聖戦 南 芳一 28歳 3-2 屋敷伸之 19歳 1987(昭和62)年10月21日 第35期王座戦 塚田泰明 22歳 3-2 中原 誠 40歳 谷川以外の棋士たち。 彼らは上世代の強豪たちがおおむね、40代に突入したところをカモったのがよく分かります。 あとは同世代での争いが多く、下にはほとんど対抗できていません。 やはり前王者中原の衰えが早かったことが原因でしょう。 中原が30代にして衰え、30代後半40代の米長加藤が対抗できるようになり、 その状況からさらに数年経ち 中原が30代後半になり、米長加藤が40代前半後半に入っていくところでさらに一段階劣化があるのです。 超人大山康晴も60代に突入しています。 彼らはその時期に出てきて隙間をうまくついた感じです。 谷川は彼らの中ではナンバーワンでしたでしょうが、米長加藤の全盛期と比べてだいぶ強かったのかというと そうでもない。取りこぼしが多かったです。 谷川が五年遅い場合、 谷川は二日制では羽生と互角、 順位戦でも羽生より上だったから 一方的になるとはかぎらないよ 佐藤森内とも同程度に衰えていくから終始谷川が上でしょう 升田が引退後に唯一棋譜を取り寄せていたのが谷川 「中原米長加藤は加齢による衰えだった(中原はちょい早いが)」 にも関わらず 「中原米長加藤が力を維持していたのに、それを倒した谷川や55年組」 という見方をされたのがまず、間違いだったのではないかと思います。 「若い力が出てきて、その実力に対抗できない旧世代」 新しい世代が出てくるとどうしても、そういう見方をされやすい。 (今の藤井くんはそれで、間違いなく正解だと思うのですが。) 55年組が次々とタイトルを奪取できたのは「旧世代の衰え」が主因と思います。 実力を維持したままの旧世代を55年組が倒し その55年組を寄せ付けない羽生世代 というのは羽生オタが好むストーリーなので、設定が維持されたと思うのですが それがガチだとすると羽生が高齢の大山米長によく負けた事実と反します。 加齢で実力を落とした旧世代(中原米長加藤)を55年組が倒し その55年組を倒した羽生世代 とすると 中原米長加藤全盛期と羽生世代はそう実力が離れていないことになるので 羽生が衰えた米長大山にちょくちょく負けるのはそうおかしなことでもなくなります。 同様に、中村太や斎藤慎、高見などが続々タイトルを取れたのは 羽生世代の衰えが原因と思います。 ドサクサに紛れて渡辺の活躍を羽生世代の衰えとする手口もありますが 彼は元々羽生世代のほとんどより強く、羽生渡辺の三冠決戦などもあったのですから 言うほど恩恵は受けていません、元々強いのです。 渡辺ではなく高見中村といったあたりがタイトル取れたのが羽生世代衰えの恩恵であります。 渡辺、豊島は羽生世代と同等の強さはあります。 それを圧倒しつつある藤井くんは羽生含む羽生世代より頭1つ上と見たほうがいいと思います。 そういうレベルにあったのは過去大山15世だけと思います。 彼も実力が抜けていたので50代60代になって段階的に力を落としても米長加藤ら相手に優位であったのです。 元の実力が違う、エンジンが違うというやつですね。 過去、実力が飛び抜けていたのは大山15世しかおらず そういう棋士の実績はどうなるのかというと 「どのタイトルも万遍なく取る」ということになります。 ポイントはここだと思います。 藤井くんがそうなるかを見ればいいわけです。 中原16世(20代)は長時間2日制では絶対的であったが1日制での取りこぼしがちょくちょくあった。 30代になるとさらに劣化して2日制でも負けるようになり、1日制での取りこぼし頻度が増えた。 羽生九段は1日制将棋では勝ちまくったが2日制将棋でライバルたちによく負けた。 王座24期に対して名人9期竜王7期という得意不得意が反映されたアンバランスな実績となった。 で、強ければどれも勝ちまくると思うのです。 いくらか相性の問題で実績が伸びない棋戦があったとしても(たとえば棋王獲得数だけ伸びないとか) 総じてみれば決定的な苦手というものが見えない実績となると思います。 中原20代以降そういう存在は将棋界にいません。 囲碁界では井山さんが勝ちまくるというのに近い存在だと思います。 7タイトルの獲得が9期、8期、8期、6期、6期、6期、5期ということで極端な成績にはなっていないようです。 (彼の場合は9期が最古タイトル本因坊、5期が序列最下位十段というのも王者として良いと思います) 加藤一二三にしても50歳以降は谷川に3勝14敗と大差をつけられたが、初対局が37歳のときで49歳までは13勝16敗、44歳時点で7勝8敗なので、実力互角 そして谷川との最後になった61歳A級順位戦では加藤が意地をだして勝っている その加藤が全盛期の大山には勝率3割しかなかった 競技は違いますが、ともに若いころから7冠時代を生きた者同士比較してみましょう。 羽生九段の記録はほんとうにアンタッチャブルなのか? 今後の藤井七段を考える上でも参考になると思います。 羽生(31歳11か月まで) 51期 名人 3期 竜王 5期 王将 6期 王位 9期 棋聖 6期 棋王 12期 王座 10期 井山(31歳2か月まで) 48期 棋聖 8期 名人 6期 本因坊 9期 王座 6期 天元 8期 碁聖 6期 十段 5期 井山が5〜9期の範囲に収まり、大タイトルの獲得数がタイトル総数を牽引しているのに対して 羽生は3〜12期と大きなばらつきがあり、軽いタイトルがタイトル総数を牽引している違いがあります。 年齢差を考えたら米長加藤には谷川側が当然のように勝ち越してるはずなんだが 谷川は米長が最晩年になるまで負け越しだった(通算でもほぼ指し分け 谷川33-31米長) 加藤にはさすがに勝ち越している(谷川30-16加藤)が、これは加藤が年齢的に衰えて以降の期間が大半を占める 米長加藤が衰える前の43歳までで見ると米長には1986年度まで谷川10-20米長、加藤には1983年度まで谷川5-6加藤 対戦成績で見ても谷川は米長加藤の全盛期と比べてそこまで強かったとはあまり思えないね 二上は9歳年長の大山に圧倒されてしまったが、「次は自分の時代が必ずくる」と棋力には自信があった その証拠に8歳下の加藤一二三を相手に49勝45敗と勝ち越している 当然二上も谷川と遜色ない棋士だった 谷川の光速の寄せというがその対戦成績でわかるように谷川の終盤力は二上や加藤一二三と変わらない もちろん大山にはかなわない 実際、二上は谷川と47歳から56歳まで9局対局して4勝5敗という成績を残している 大山の前の王者の話でスレチだが、「常勝将軍」ってのは改めてすごい名前だよな 大きな勝負でほぼ負けなかったのだろう 大山もまあ、常勝将軍と言えるだろうが、羽生には間違っても常勝将軍の名は与えられないな 多勝将軍ではあっただろうが、常勝将軍ではなかった 実績を比べると谷川が二上や加藤に抜きん出ている 実力が同じなのにこれだけ差がついたのは、谷川のほうがぬるい棋士を相手に活躍できた何よりの証拠なのだ 谷川 タイトル戦登場回数:57回 獲得:27期 優勝回数:22回 加藤 タイトル戦登場回数:24回 獲得:8期 優勝回数:22回 二上 タイトル戦登場回数:26回 獲得:5期 優勝回数:5回 >>443 加藤一二三の優勝回数は谷川より一つ多い23回なので訂正しておく 加藤の優勝回数が多いのは40歳すぎても優勝しているからだ NHK杯は41歳のときと53歳のときにも優勝している 早指し選手権優勝は44歳のときに三度目の優勝、JT杯は47歳のときに二度目の優勝、42歳ときに名将戦で優勝、45歳のときに第1回天王戦で優勝した これもひとえにあとの時代の棋士がぬるかった何よりの傍証だ 大山が60越えても何でA級にいられるのかって質問されて 「今ほどトップのレベルが低い時代はないから」って答えてたねw ちなみに60歳A級やった有吉は 羽生と棋戦決勝やってる こういう人がA2級だったのが大山40〜50代 二上、加藤が谷川と遜色ない棋士なのに谷川ほどの実績を残せなかったのは、大山があまりにも強かったからにほかならない つまり、大山は中原や羽生より格上の棋士なので、大山と戦うことは谷川が中原や羽生と戦うことより大変なことだったのだ なお、米長は二上、加藤、谷川よりワンランク上の棋士なので、米長が谷川と同年の棋士だったら羽生の七冠は阻止されていた 将棋通なら羽生の七冠はその程度でぐらついてしまう代物だったと理解できるはずだ まだ30代前半の指し盛りだったにも関わらず、羽生世代が来た途端、誰一人としてタイトルに絡めなくなった 55年組なんかが台頭してた頃のレベルは相当低いとは思ってた(敢えて言うなら一応高橋は羽生世代の時代になってもA級等粘ったが) とはいえ、やはり素人の意見ではやはり説得力がない プロの証言が欲しかった 大山先生が言うのなら間違いなく正しいのだろう 大山先生の60代と言ったらまさに谷川や55年組が台頭してた時代 大山〜中原〜羽生〜藤井まで それぞれの打ち立てた記録を目の当たりにして 当時自分がどう感じたかの記述は皆無 結局みんなの本心は藤井一強 1940年代生まれのA級棋士 1940 加藤一二三 板谷進 1941 大内延行 1943 米長邦雄 1946 森けい二 勝浦修 1947 石田和雄 中原誠 桐山清澄 1949 森安秀光 1950年代生まれのA級棋士 1950 淡路仁茂 田丸昇 1952 真部一男 1953 青野照市 1957 小林健二 田中寅彦 1960年代生まれのA級棋士 1960 高橋道雄 1962 谷川浩司 1963 島朗 南芳一 1964 井上慶太 塚田泰明 1966 森下卓 1967 阿部隆 1969 村山聖 佐藤康光 1960年代の棋士にタイトル獲得やA級になった棋士が多いのは、レベルが高いからでなく、その前の10年間に先輩棋士の加藤、米長、中原に並ぶ棋士が現れなかったため楽に追い越すことができたから しかも、谷川以外は谷川に勝率3割台の棋士だったことからわかるように羽生世代の台頭は約束されたようなものだった 羽生の最初のタイトル獲得が竜王は島から、棋王は南から、王座は福崎から獲得したチャラいものだったことがすべてを物語っている 大山と藤井で人外頂上決戦っすね 最終的にどっちが上に行くか楽しみ 1949年生まれ森安 タイトル2期 1950年生まれ〜1956年生まれ タイトルなし(7年間) 1957年生まれタナトラ タイトル1期 1975年生まれ久保 タイトル7期 1976年生まれ〜1983年生まれ タイトルなし(8年間) 1984年生まれ渡辺 タイトル25期 中原>米長加藤>桐山森大内>1950年代生まれの棋士(福崎タナトラほか) って感じ 相当レベル低い 55年組は桐山森よりやや弱いくらいじゃないかな 大山康晴対戦成績 15 局 7 勝 8 敗 高橋道雄(タイトル5期) 37歳年下 11 局 5 勝 6 敗 塚田泰明(タイトル1期) 41歳年下 6 局 5 勝 1 敗 中村修(タイトル2期) 39歳年下 >>452 1995年は55年組が30歳前後の指し盛りだったわけだが、49歳の森がトーナメント戦を勝ち上がって羽生王座への挑戦者になったり、55歳の加藤だけでなく60歳の有吉もまだA級だった 加藤が格上棋士なのは当然として明らかに有吉>森>55年組だね >>450 一時代を画する棋士には、まず、同輩との昇級昇段競争に勝ち、先輩を退けて名人となり、後輩の追撃を振り切って名人を守り続けることが求められる これを見事に成し遂げたのが大山で、中原は後輩の追撃を振り切ることができなかったので評価は一つ下がる 藤井は同輩との昇級昇段競争に勝ち、渡辺か豊島を倒して名人になるところまでは確実に進むだろうし、後輩の追撃を振り切って大山が進んだ道を歩むだろう しかし、17歳年少の加藤一二三になるかもしれぬ相手はまだ生まれたばかりであり、24歳年少の中原となると生まれてくるのが7年後の話だ 9歳年少の二上ですらまだ8歳で奨励会にすら入会していない どんな後輩が出てくるのか今から楽しみでならないが、藤井七段がそうした長いスケールでも無敵でいられると思える棋士であるのは間違いない >>413 女流棋界の絶対王者は里見じゃなくて西山でしょうが 里見は西山が出場出来ない女流棋戦で勝ってセコセコとタイトルを稼いでいるだけ 西山は自身が出場出来る女流タイトル戦を全制覇してるからね 西山が女流になれば女流七冠はほぼ間違い無いんじゃないか? 西山の活躍はまだほんの1年程度のお話 里見ははるか前から勝ち続けている >>67 羽生の肩を持ちたいからといっていい加減なことは言わないほうがいいよ 羽生の名誉のためにも ある程度強くなれば指し手を見て凄い棋士かどうかの見当はできる まして、プロが認めているのだから大山が強かったことは間違いないんだよ ◯二上:中原名人は強いです。しかし大山先生の全盛期にはまだまだ及びません ○内藤:ぼくは大山さんを将棋史上最強の棋士じゃないかと思っている ○米長:史上最強は誰かと聞かれれば「大山康晴」と答える ○加藤一二三:大名人といえる棋士は大山先生です 最盛期の大山康晴十五世名人が相手なら藤井七段も苦戦すると思います ○中原:(加藤さんのように)大山先生ともっと早くに対戦しなくてよかった ◯河口:将棋史上、一番強いのは大山康晴だ ○谷川:大山、升田は時代を超えて偉大な棋士 ○羽生:将棋史上最強の棋士は大山康晴十五世名人 10代のとき実際に対局してみて、位置取りのすごいうまい将棋なんですよね 独特の強さを感じました ◯森内:序盤技術が進歩しているのに69歳までA級を維持されたのも凄い。第一線であそこまでやれる棋士は今後現れないと思います ○先崎:大山先生は史上最強に将棋が強い人 ◯藤井:升田先生のすごいところですか。うーん……。いやあ、升田ファンには大変申し訳ないのですが、僕は修業時代からずっと大山(康晴十五世名人)派でした ◯鈴木大介:史上最強の棋士は大山先生 ○渡辺:升田先生と大山先生は人間の限界のレベルに達していた棋士 谷川「大山先生が40〜50歳になってもタイトル争いをしている姿を見て、歳は関係ないものだと思っていましたが、その歳になってみて大山先生が特別だったのだと気付かされました」 アマトップの発言の数々 ○いまでも『大山康晴全集』 を並べます ○あと角の使い方が上手くなったような気がする。大山の角の使い方は天下一品で歴史上一番上手いんじゃないかと思う ○大山先生の将棋は凄まじく忍耐強く読みが深い。他の棋士とは明らかに違う。 ○この読みに対する自信が、受けに回った場合の大山さんの武器になっている ○普段の勉強は棋譜並べと詰将棋を中心にして、ソフト(技巧・elmo)も使っています。『大山康晴全集』をよく並べていて、その手厚い指し回しや受け方が、ときに感動的でとても勉強になります ○大山全集を最近また見直して並べているが藤井七段と見間違う棋譜があって 新鮮な発見がある 将棋は深淵で面白い 大山先生の棋譜を並べると感動する 面白い手が多い、ロマンがある 盤全体が生かされている 藤井七段の将棋に通じるものがある (山根ことみ) 棋譜を並べてどんな感想を持ちましたか 自分ならこう受けたいなと思うところで大山先生も同じ手を指されていましたので自信になりました(永瀬拓矢) 修業時代に影響を受けた本は? 奨励会のころ、途中から大山全集を並べていて、非常に重厚な熱のこもった将棋が多くて勉強になりました(藤井聡太) 大山先生は本当にすごいんですよ!あの時代にとてもたくさん雁木を指されているんです!しかも、今流行してるのと同じ形で…… 大山先生は現代将棋の先を行っておられました。今の将棋の感覚にとても近い。玉を固めるのではなく、バランスを取っておられるんです (斎藤慎太郎) 居飛車穴熊相手でも平凡な銀冠に組みひたすら受けに回って自陣飛車を打ったり、竜を引き付けたりして相手の攻めを根絶やしにしてしまう この大山流をまねして勝った棋士はいない これで勝つのはけた違いの受けの力が必要だと思う (藤井猛) もし時間をさかのぼって対局できるとしたら誰と指してみたいですか? これは大山先生ですね。全盛期の、無敵時代の大山十五世名人(渡辺明) 大山は才能なら藤井と羽生に並ぶレベルかもね ただ、将棋の強さでは藤井と羽生には及ばない 今は90手台まで研究だったりするから、流石の大山でも時代のハンデを埋めるのはむずかしいと思う 『将棋世界』のイメ読みで大山の受けの神技32桂がテーマ図に取り上げられたときの話を紹介しよう 局面は形勢互角の中盤で高島八段の攻めに対して大山の次の一手を問うものだった(1950年A級順位戦) ここで、大山が指した32桂をあてた棋士は一人もいなかった ここでは何通りか有力な手はあるが、いずれも難解で形勢は互角、大山が選んだ32桂もそうした手の一つで決して好転を約束する手ではなかった ここで重要なのは大山の指し手が「意表を突く手」だったことだ 読んでない手を指されたら動揺するし、最初から読み直さなければならなくなる これが大山の勝率が高い要因になっている 例えば、テーマ図で大山の手が32桂だったことへの渡辺の反応は「△32桂は疑問、大疑問でしょう。本譜は▲45桂が悪手で▲24歩としておけば結構うるさいと思う」 ソフトで解析すると▲45桂は最善手で渡辺の▲24歩だと後手有利がハッキリする このように相手に間違えさせる魔力が大山の受けにはあるようだ 羽生 実戦は△32桂?ほー、桂ですかぁ。(実戦の手順を聞いて)それで受かるのかぁ。指したのは誰ですか?大山先生?ふーん、そうなんですかぁ。△32桂かぁ。指せない手ですね。△32桂は打てない。これは指せません。いやぁ、打てない。△32桂は相当打てない。 ・・・ちょっと思い浮かばない。今のプロで指す人はいないでしょう。 佐藤 実戦は△32桂?はー!スゴイ手ですねぇ。考えないなぁ。 (実戦の手順を聞いて)それがいい手なんですか。すると指したのは大山先生ですね。こんな手を指せるのは大山先生しかいない。 そうか、凄いなぁ。受けとはそうやるものなのかなぁ。しかし、考えないな。まさに、大山流ですね。うーん。しかし凄い手だ。 森内 実戦は△32桂?ほー。大山先生ですか。 うーん。考えても指せない。指せない手ですねぇ。それを指して勝つのは凄いことです。 谷川 実戦は△32桂?はー受けの勝負手ですね。大山先生ですか。ここで△32桂。それで受けきるかぁ。凄いですねぇ。 藤井 指したのは大山先生?そうかぁしかし、僕には△32桂は指せない。後手を持ったら、もう負けたと思うもん。△32桂は大山先生ならではの手ですね。並の棋士がここに桂を打って切らすのは無理です。 これも「イメ読み」に出てたテーマ図で1972年の内藤と大山のA級順位戦から紹介する 内藤が45桂打とした局面だが、ここで次の一手を問われれば俺でも分かる しかし、数手後の44銀打まではまったく読めなかった プロ棋士は読めるのか? 佐藤 次の一手はこれ以外浮かびません。ただ、あとの手順は難しい。実戦はそこで44銀打?ほー。 ・・・それにしても△44銀打はすごい手ですね。こんな受けをするのは大山先生じゃないですか? やっぱり、そうか。うーん、受けの感覚はさすがですね。 森内 (実戦の手順を聞いて)その指し方には意表を突かれますね。はあ、そうか!そのあとの△44銀打も気づかない手ですね。大山先生ですか。なるほど!。 谷川 後手がいいとは思うけど、攻めの振りほどき方が分からないなあ。 ・・・なるほどねえ。それにしても△44銀打はいい手ですねえ。 そのほか、渡辺、藤井も次の一手を当てたが、読みが△44銀打まで到達した棋士はいなかった 羽生だけが次の一手も読めなかった どうやら大山ともっとも相性が最悪なのが羽生なのかもしれない 検索すりゃすぐ解かるけど、これ全部過去スレからのコピペだから スレごと「あぼーん」するのがオススメ >>468 大山には数多くの自戦記があるが、七世名人伊藤宗看の棋譜を解説した著作もある その中には「今の将棋感覚からすれば」とか「序盤は今の目をもってすれば拙劣」とか「この辺の指し方を見ても、現代の作戦がどんなに進歩しているかわかる」といった解説が随所に見られる しかし、評価のポイントはそこではなく、「中盤で捌く芸は惚れ惚れとする」「大局観に明るく、力強い攻めと、素早く鮮やかな寄せの技術は迫力があり華麗である」とその技量の見るべきところを心得た解説をしている 大山には木村将棋を解説した著作もある これを読めば、大山が定跡の変遷や最新定跡(当時の)について精通していることがわかる その語り口は簡潔で分かりやすい 渡辺明にも言えることだが、頭のなかがキチンと整理できている人の記述になっている 居飛車の将棋も相掛かりから角換わり、矢倉、横歩取りすべての基本を身に付けている 大山の技量ならソフト時代の最新定跡の研究などわけないことであり、現代に大山がいたら大山がこの著作で語っているように「勝率や成功率が高い戦法」駆使していたに違いない >>471 羽生は大山に相性が悪いの、わかる気がする 大山ー谷川は谷川の圧勝なのに 大山ー羽生はそこまでいってない >>472 不都合な真実というヤツかな 残念ながら、出所はすべて将棋板で過去に触れたことだが、コピペでないんだな 自分で入手したり、調べたり読んで得た感想を過去に投稿した本人様だよ 「不都合な真実」を忌避しない人にとっては別にコピペでもかまわないだろうけどね >>474 谷川は大山に圧勝していないよ 58歳〜60歳の大山と4勝4敗だね 谷川は19歳から21歳だから、今の藤井聡太と同じで昨日そこらにプロになった棋士でなく(20歳名人)、この対戦は年齢的に谷川が有利なのにこの結果だから 61歳以降は確かに谷川の10勝2敗(不戦勝の2勝は除く)で羽生の5勝3敗より対大山の成績がよいが驚くことではない 20代後半の谷川は四冠まで登り詰めた最強期の谷川だよ 脳が老化すると将棋のような精密な読みが必要なゲームでは出来不出来の差が大きくなる 負けるのは当たり前だから勝つことがあるかで往年の棋力の一端が知れるわけだ 68歳最後の大山は森内(勝ち抜き戦)に勝ち、羽生(天王戦)に勝ち、米長(順位戦)、谷川(順位戦)にも勝った まぐれの1勝とは違う!これが大山だ! 「最後に本気を出されてしまいました」(谷川) プロは、五段くらいになると、技術的なことでは八段や名人ともさして変わらない。ただ、持っている力を何パーセントくらい出せるかということで勝負が決まる。 常に九十パーセントの力を出せる人と、八十パーセントくらいは出せる人がいる。百の力も出るが五十のときもあるという人もいる。 将棋の知識は同じであっても、常時、持てる力をフルに発揮できる人と、そうでない人とで、八段とか五段という段差が出てくる。そういうものである。 (大山康晴) 年齢的に峠が過ぎると、常時、九十の力を出せていた人も八十に減り、やがて五十の力しか出せなくなってしまう。 それが衰えということであろう。 羽生信者は羽生だけでなく谷川も過大評価する傾向がある 羽生七冠の最大のライバルだったからね 強い棋士に勝ったことにしたほうがタイトルの価値が上がるわけだ 谷川には七冠を達成した1996年の竜王戦では4-0のストレートで、その半年後には2-4で名人戦で負けて いる つまり、谷川が大したことがないと羽生も大したことがないことになるからなおさらだ ところが、ここにも不都合な真実がある 谷川の強さを認めると58歳から60歳で谷川に互角だった大山の強さを認めることになるからだ 同時に大山との比較で羽生の弱さが際立ってしまう 大山58歳○−●谷川19歳(七段) 大山59歳●−○谷川20歳(八段) 大山59歳○−●谷川20歳(名人) 大山59歳○−●谷川20歳(名人) 大山59歳●−○谷川20歳(名人) 大山59歳●−○谷川20歳(名人) 大山60歳○−●谷川21歳(名人) 大山60歳●−○谷川21歳(名人) 羽生47歳●−○藤井15歳(五段) 羽生49歳●−○藤井17歳(七段) 羽生49歳●−○藤井17歳(七段) 羽生49歳●−○藤井17歳(七段) この惨めな結果を否定するためには、藤井七段は谷川名人より強い棋士であるから羽生の全敗もやむを得ないと主張するしかない すると、羽生七冠も藤井七段からしたら大したことがない棋士だったと認めるしかなくなる 実際その通りで、藤井七段は谷川名人や羽生七冠より強いのは間違いない 当然60歳大山よりも強い しかし無敵時代の大山より強いかは断言できないのが大山の凄さだ 大山が凄いのは当然の事だけど今と昔じゃ全然時代が違うからな ソフトが無い時代なら羽生は藤井にも勝ち越していたと思うぞ >>479 ソフトを使いこなすのも棋力のうちじゃないのかな 時間は藤井より羽生のほうがあるわけだし もっとも敗因はソフト力ではなく研究から逸れた局面からの読みの力や形勢判断力の差だけど 羽生ヲタはなぜか大山が現代で通じないことにしたいようだけど、環境に恵まれた羽生が戦争のあった昭和時代で登り詰められたとは思えないんだよな。 たしかに 羽生が大山と同じ時代に生まれたら戦死しているかもしれないね 現に大山時代も出廷した棋士の半数が死んだらしい その中に羽生クラスの逸材がいたかもね 関口って言うみたいだね 実はこの人が大山や升田を倒す大器かもしれないと言われていたらしい >>481 それって、 史上最強の棋士がついに決定した https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1584608972 に書き込んでいるエビデンスゼロのデータだよ 突っ込まれて5/27を最後に公開をやめているから 208 名無し名人 sage 2020/05/27(水) 08:28:36.51 ID:68zLkQOe *豊島、永瀬を追加 「レート測定エンジン ELQを使って君も棋力解析をしよう!」 qhapaq.hatenablog.com/entry/2017/07/19/232527 ELQで行った対藤井仮想対局(100万局)の勝率と それを基に計算した推定レート 以下省略 >>4 に同じ 209 名無し名人 sage 2020/05/27(水) 09:31:02.99 ID:cYOcCf4A 何で藤井と同じ2019年で調べないの? 210 名無し名人 sage 2020/06/01(月) 00:32:57.95 ID:oOIUNVdc 計測自体の信憑性を図るために 一回だけ同一年度でA級全員とか調べた方が良い円 211 名無し名人 sage 2020/06/01(月) 17:06:17.23 ID:H/GEJlBa 同一年度全棋士でテストしないと信憑性は生まれないよ >>484 思い違いしてないか 戦前から強かった棋士は木村で、木村に匹敵する実力をつけて名人18期の実績を残したのが大山で、その木村、大山と比べると羽生は物足りないというのがスレの流れだよ 関口が生きていればどの位置に格付けできるかとかスレチもいいところだし、戦後の将棋界に羽生がいたとしたら大山以下なのは変わらないよ >なぜかというと、羽生は持ち時間の長い将棋で中原より強いことを一度も証明することなく名人になり、名人になったあとには中原より弱かった谷川の挑戦を受けて負けてしまった そのあと、巻き返して名人になれず、谷川のあとは佐藤康光2期、丸山2期と変遷して、結局中原にも谷川にも持ち時間の長い将棋で自分のほうが強いことを証明できなかった なんと、26歳から36歳の11年間で名人獲得は1期だけで登場回数も4回(谷川に0-1、森内に1-2)に終わっている 棋士の最強期といえる10年間にたったの1期であるから、ほかのタイトル戦での活躍があったにせよ羽生時代とは呼べないだろう 羽生時代と呼べるのは名人3期の1994-1996の3年間しかなく、その後は群雄割拠時代と森内時代に区分できる 森内時代は2002年から2013年の12年間で名人を8期獲得した 途中2008-2010の3年間は羽生が最強だったが、そのあと巻き返している >>383 森内は小3で将棋を始めたが、もし羽生と同じ小1で始めていたらタイトル獲得数が逆転していた可能性すらある 夭折した人物には誇張ぎみな評価も付きまといがちな事に注意したい 村山聖も小説等の影響で「羽生に匹敵する大器」のような扱いをされることもあるけど もし彼が夭折しなかったとして、タイトル数期は取れたかもしれないが 生前の実績を見る限り羽生級の器とはさすがに言い難いし しかも経歴のはっきりしない昔の人間だと余計評価は揺れる 関口も詳しい記録が分からないので昇段年齢くらいしか推し量る材料がないんだが 昇段スピードを見る限り、彼は確かに有望株だったんだろうが、大山を倒せるほどの大器とはさすがに言えない気もするね 大山の昇段ペースは当時としては最速だよ 早逝した棋士で生きていれば歴史に名を残すほど強くなりそうだったのは伊藤印達くらいだろうな。 >>487 木村の方が早いんじゃないの? 木村は20歳で八段に上がれたんでしょ(本人が断ったけど) >>491 大山も早過ぎるという理由で昇段を見送られている。 藤井という規格外の人物が出てきたとき羽生はたいしたことないと判明してしまったな 実際には大山というとんでもない記録を超えるかどうかということに棋士もファンも注目している 藤井の注目される手って、後々効いてくるような渋い大山的な手なんだよな 谷川光速の寄せとか羽生マジックとかとは >>491 大山に近い世代は戦争の影響を受けてるから昇段が遅れるのは仕方ない 関口あたりを含め(昇段中に戦争の影響を被った)近い年代の中では最速 升田幸三は五段六段は大山とほぼ同じ年齢で昇段してるけど、それ以外は大山の方が早い それと木村名人の年齢についても数歳逆サバ説もあったりするが 別に羽生の信者でもアンチでもないけど、 中原が満場一致の歴代4位という風潮が悲し過ぎる 誰か中原が歴代1位という理屈は持ってないものかね 中原が羽生より明確に勝ってる部分もあるので言う程満場一致でもないと思うぞ 名人を重視するなら中原>羽生になるだろうし あと藤井七段を大山中原羽生の系譜に入れるのにまだ違和感持つ人もいそう 成長段階の現時点で既にタイトル複数冠持てるほど強い人外だし、将来的にはほぼ間違いなく系譜に入る存在になるだろうが 実際問題として実績に関してはまだこれからなので SSS大山 SS該当なし S中原、羽生 藤井はSS以上確定 大山と並ぶかそれ以上かはまだ分からない 年齢 大山 中原 羽生 藤井 17-18歳 0/0 0/5 0/7 0/7 18-19歳 0/0 0/5 1/7 0/7 19-20歳 0/0 0/5 1/7 0/7 20-21歳 0/0 2/5 1/7 21-22歳 0/1 1/5 3/7 22-23歳 0/0 2/5 5/7 23-24歳 0/0 3/6 7/8 24-25歳 0/0 4/6 7/7 25-26歳 0/1 3/6 5/7 26-27歳 0/1 4/6 4/7 27-28歳 1/2 4/7 4/7 28-29歳 1/3 4/7 4/7 29-30歳 2/3 4/6 5/7 30-31歳 2/2 5/7 4/7 31-32歳 2/2 5/7 3/7 32-33歳 1/2 2/7 2/7 33-34歳 1/3 2/7 4/7 34-35歳 1/3 2/7 3/7 35-36歳 2/3 2/8 3/7 36-37歳 3/3 2/8 2/7 37-38歳 4/4 2/8 4/7 38-39歳 4/4 2/8 3/7 39-40歳 4/5 1/8 3/7 木村の時代は、棋界全体が弱かったといえる。 相対的に木村が圧倒してたが、人外とまでは言えないと思う。 69才で死ぬまでA級にいた大山こそが人外と言える。 中原も谷川も年老いてからは、弱くなった。 羽生も最近弱くなったようにみえる。 これからが正念場だな。 藤井7は、今のところ人外候補と言える。 若すぎて判断出来ない。 >>499 大山中原羽生の系譜というのに違和感を覚える。大山中原は大名人だけど羽生はそうではないから。木村大山中原の系譜ならしっくり来る。 家元制が崩壊して技術の継承が途絶えた明治期の棋界のレベルは確かに低いと言われてる あと初期の名人戦挑決リーグは土居、大崎、金、木見、坂田など指し盛りを過ぎてる年代の棋士が半数を占めてるのでそういう意味でもレベルは低い ただ塚田大山升田を相手に44歳〜46歳で名人獲ってる木村の実力もやはり別格だと思う 逸話レベルだけど生涯勝率8割とかだっけ?全盛期は香落ちですら滅多に負けず、大駒落ちでもしばしば勝ってたとか あの時代にそんだけ強い棋士がいたらそら無双するわ 藤井聡太(2002年7月19日生まれ) 17歳 通算1期 18歳 通算7期 19歳 通算14期 20歳 通算22期 21歳 通算30期 22歳 通算38期 23歳 通算46期 24歳 通算54期 25歳 通算62期 26歳 通算70期 27歳 通算78期 28歳 通算86期 29歳 通算94期 30歳 通算102期 >>501 微妙に違うぞ 今の8大タイトルは続くのか分からんから?にした 年齢 大山 中原 羽生 藤井 17-18歳 0/0 0/5 0/8 1〜4/8 18-19歳 0/0 0/5 1/8 ?/8? 19-20歳 0/0 0/5 1/8 ?/8 ? 20-21歳 0/0 2/5 1/8 21-22歳 0/1 1/5 3/8 22-23歳 0/0 2/5 5/8 23-24歳 0/0 3/6 7/8 24-25歳 0/0 4/6 7/7 25-26歳 0/1 3/6 5/7 26-27歳 0/1 4/6 4/7 27-28歳 1/2 4/7 4/7 28-29歳 1/3 4/7 4/7 29-30歳 2/3 4/6 5/7 30-31歳 2/2 5/7 4/7 31-32歳 2/2 5/7 3/7 32-33歳 1/2 2/7 2/7 33-34歳 1/3 2/7 4/7 34-35歳 1/3 2/7 3/7 35-36歳 2/3 2/8 3/7 36-37歳 3/3 2/8 2/7 37-38歳 4/4 2/8 4/7 38-39歳 4/4 2/8 3/7 39-40歳 4/5 1/8 3/7 中原時代 棋聖年2回開催で年6タイトル取れるけどB級以下は名人取れない→5 羽生時代 棋聖年2回開催で年8タイトル取れるけどB級以下は名人取れない→7 藤井時代 8冠時代だけどB級以下は名人取れない→7 >>507 ゲーム脳w 現実が見えないキッズの思考ってこんなもんだろうな ま 屋敷みればわかるが将来はわからんよ 少なくとも過去の中学生棋士で大名人になれたのは 一人もいないからね 加藤 は 史上最年少で名人に挑戦したが大山にボコられて タイトル戦1勝7敗 谷川は 史上最年少で名人に就いたが中原に 1勝2敗で 名人戦負け越し 羽生は高校生棋士の森内に4勝5敗で名人戦負け越し 渡辺は未だに名人0期だからね 藤井君もこれからだよ www 屋敷だって成長して羽生をボコってるじゃん 羽生オタの願望が見苦しい >>513 言われてみればそうだ どうしてなんだろう? 珍しく羽生ヲタがそれなりに説得力のある論を展開しているな まあ最低線でも名人10期は取るだろうけど 将棋界の新陳代謝はスポーツと比べると遅いので10年連続在位or通算15年在位くらいしないと大名人感が出ない そしてそれだけの実力を持った者が今まで木村大山中原羽生藤井しかいない 木村は現代の基準だと15歳四段で中学生棋士だが義務教育の無い時代なのでそう扱われない 大山は16歳四段(当時としてはかなり速い)。だが彼はそもそも中学校に通ってない 戦前の木村・大山の時代は初段でプロ扱いなので現代とは基準が違う 中原は一時は中学生棋士になれるチャンスもあったが当時の三段リーグが現代より競争率が高い(年2,3人しか四段になれない)事もあって躓く 羽生は中学生棋士で一日制の実力は申し分なかったが二日制に脆い欠点を露呈し大名人になれず 藤井は可能性の塊 羽生マジックって終盤を複雑にさせて相手を間違わせるってものだけど 実は相手が正しく応対すれば勝てる局面で出されるんだよね つまり中盤で悪くしまってる だから、相手がたっぷり時間が使えると通用しないんで、二日制や順位戦では谷川とも互角以下だった。 で、ここで一つ仮説。木村将棋は中盤が強いことにあった 大山も序盤は普通なのに中盤でグチャグチャするのがすごく強い 中原も中盤の構想が秀逸 なのに羽生は中盤が卓越してたわけじゃないんで ライバルを完全に圧倒できたわけじゃなかった どうだろう NHK杯>>>名人戦>>>棋聖戦 羽生>>>大山>>>藤井 「今から突撃しますよ〜」と留守電に残した人もある意味人外 もう藤井が歴代最強なのは確定。羽生オタも大山オタも見苦しいよ。 ヤムチャと天津飯どっちが強いかで争ってる奴らがいたら見てて滑稽だろ?そういう事だ。 来年死ぬかもしれないのに何ほざいてんだ まだタイトル一期だ w 将棋オタはリアルヘタレの陰キャの癖してネットだけでイキルのが3割はいる 10年くらい前に煽りやマウント取り多いから指すの辞めたね。皆も無駄な時間費やすことは辞めるべき。PC未満の糞ゲーに未来はないし指してるのも変なのばかりだから レーティングてのは藤井くんだけ独走して3000とかいけるもんなのかな その他の棋士が2000以下だとしても >>529 400だろ 実際はシーソーだから200上がれば相手棋士は200下がるからそれ以上は上がらない つまり対抗棋士に今より強い棋士が現れない限り200あがってそこで頭打ちになる 8−8 レート差 0〜21 7−9 レート差 22〜65 6−10 レート差 66〜112 5−11 レート差 113〜162 4−12 レート差 163〜221 3−13 レート差 222〜292 2−14 レート差 293〜394 1−15 レート差 395〜596 0−16 レート差 597〜 大山の最盛期でもいまの奨励会員にフルボッコされるのが明らかなくらい現在の将棋は進歩 している だからといって先人の業績に異をとなえるこ とはしない >>532 藤井聡太の棋譜をいくら研究しても藤井聡太に勝てない 昔より序盤の研究が進んでも大山に勝てるのは大山以上に将棋の才能がある棋士だけ 木村義雄の通算勝率が7割1分半ばだって、昔の何かの本に書いてあったんだよなあ。 何の本だったんだろう。 無敵将軍としての、とてもリアルな数字に震えが止まらなかったのを覚えてる。 何十年も指した上での生涯8割は非現実的に過ぎる。 >>534 昔は香落ちも多く指されていたからな 平手だけなら通算勝率8割以上というのもありだろうな 第一期名人戦の成績 1935年(木村30歳) @全八段の先後2局の特別リーグ戦 13勝2敗(0.867) A一般棋戦(対八段・七段戦) 27勝7敗(0.794) ※七段とは香落ちの手合 スレ見返してたが 結局ハイセイコーは誰になるんだよ 木村義雄の業績 ・戦績面……実力制名人創設から10年間名人の座を保持して常勝将軍の異名を取る ・戦法面……角換わり腰掛け銀木村定跡、木村美濃、木村雁木囲いなどその後定番となった戦法・定跡を確立 ・普及面……羽生の頭脳が出版されるまで60年以上定跡書のスタンダードとなっていた名著『将棋大観』を執筆 ・育成面……弟子6人をプロ棋士に育て上げ現在も木村の弟子筋の現役棋士が藤井聡太を含めて19名もいる ・政治面……名人僭称問題で追放されていた坂田三吉との和解を実現して連盟に復帰させたり升田幸三が対局を拒否して理事からタイトル剥奪と出場停止処分が下された陣屋事件で升田と理事を和解させて処分を解除して円満解決させるなどリーダーシップをみせて剛腕ぶりを披露 ・人気面……『強い男』の代名詞として相撲の双葉山と並んでよく知られた国民的英雄だった 大山は棋力や育成面政治面では文句ないが、人気に関しては華のある升田と比べてそれほどでもない 中原は30代以降の棋力が微妙だし、後年の突撃事件で人望もなくなった 羽生は弟子を一人も育てず、理事職にも関わらない等、普及面でも政治面でも欠ける(ビッグタイトルの名人竜王がイマイチなので棋力も微妙かも) 棋士としてのありとあらゆる全ての要素を完璧に備えた超人となると木村名人が一番の人外な気がする それと木村名人以来の盤上盤外の傑物ぶりには藤井君に期待だな 圧倒的才能に加え、この子にはどことなく華もあるし、(東海地区にタイトルを持って帰る発言等)将棋の普及にも関心持ってそうだ 藤井君の知名度人気なら名古屋に将棋会館を引っ張ってきてくれるかもしれない うーん、将棋で生涯8割は非現実的だと踏まえた上で、 木村義雄が生涯7割1分超えだとしたら、それは「とんでもなく」凄い数字で、 この数字なら無敵将軍であったのも不思議でないと言いたかったんだが 何かかみ合わんな ん、ほぼ噛み合ってるように見えるぞ 木村が「香車を落とす側」のハンデつきなのに7割勝ってんだから ハンデなしの平手ばかりなら8割勝ってたかもな、という話から始まり 木村のすさまじさを語るレスばかりじゃないか まあ、大山中原と違うのは 木村は50代以降の成績が生涯成績に反映されていない、というところは得だろうがな 40代後半で引退してるから全盛期より負けまくる50代60代の成績は反映されていない 大山だって木村の年齢のときには通算勝率7割を優に超えていた。しかも50期連続タイトル戦に登場するなどしてこの数字。50代での勝率も6割3分以上と他の追随を許さない。強さの面では木村と大山が同格、二段くらい落ちて中原と羽生の争いだと思う。 大山も勝率が7割切ったのは49歳 で、勝率が下がり始める40代になってから対局数増加 木村時代のような対局数だったら 大山も木村と同様に49歳時点で7割以上あっただろうね 藤井が18〜25歳が自分の全盛期といったのは興味深いな。 羽生が7冠とったのが25歳で、その後の羽生の棋譜は藤井の目からは、衰えて見えるのだろう。 大山って羽生と比べてそんなに抜けてたのかな? 俺の親父にどっちが強かったか聞いたら、うんうん唸ってから羽生って言われた。 終盤力が大山と比べてもおかしいって。 ちなみに江川と松坂だとノータイムで江川といわれたw >>545 最近のインタビューでは訂正して24〜30がピークだと言ってるよ 藤井棋聖はずっと八割台で行くんじゃないかな 木村名人が七割というのなら大山と同じだから驚かないが、やはり平手局勝率八割あったと思うから藤井棋聖が生涯八割でも驚かないよ >>547 オルの聞いたインタビューでは その頃の発言は若かった ずっと強くなってくとか言ってた 挑戦争いがなくなって、力が下の棋士との対局が少なくなると、勝ち星を稼ぐチャンスが減って 勝率も伸びなくなるので。 藤井棋聖がタイトルを保持しまくったときにどうなるか、ってことでしょうね。 八冠全て保持していると考えると、稼げる勝ち星は 名人戦4勝 竜王戦4勝 王将戦4勝 王位戦4勝 叡王戦4勝 棋聖戦3勝 棋王戦3勝 王座戦3勝 NHK杯5勝 銀河戦5勝 朝日杯4勝 JT杯3勝 で、合ってますかね?46勝ですか、最大で。 46勝8敗で、勝率85%。 46勝11敗で、勝率80%。 達成できそうな気もしますね。一般棋戦全て優勝ってのがちょっと理想的すぎますが。 番勝負で合計10敗程度に抑えれば、しばらくは8割キープできるかもです。 羽生時代と違ってオールスター勝ち抜き戦みたいな勝ち星いくらでも稼げる棋戦がなかったり 一般棋戦が少ないので勝ち星稼ぐチャンスは少ないと思います。 強くなりすぎると、勝ち星を稼ぐ機会は減っていきますね。 王位リーグ戦って王位戦7番勝負、 竜王戦トーナメント勝ち上がって竜王戦7番勝負、 順位戦を戦う、 などなど、自然と勝ち星増えるんですが 本当に極まってしまうと、タイトルのリーグやトーナメントがなくなり、防衛戦のみになる。 全盛期の大山名人のように。 藤井棋聖は強くなるペースが速いので、勝ち星を多く稼げる段階も早めに卒業してしまいます。 新人王戦の卒業も早かった。 王位リーグや棋聖戦トーナメントも来年からは卒業でしょう。 王将リーグも卒業するかも。 だから生涯勝ち星ペースでは羽生さんに抜かれるかもしれないんです、おかしな話に聞こえるかもだけど。 >>545 計算力などのピークの話で、棋力のピークを語ったんじゃないよ 「高校は15歳から18歳の3年間になりますけど、18歳から25歳が流動性知能(注:思考力・計算力などを指す知能で、対する概念として経験を基とする結晶性知能がある)のピークのようで大事な時期なので、難しい選択になるかなと思います 棋力なら20代から40代前半までピーク期が続くからな 大山も羽生もコンスタントに勝率7割だったのが何よりの証拠 >>550 ほぼタイトル戦だけになっても七番勝負4-1、五番勝負3-0なら7-1で勝率0.875だからね 負けが1つ増えて7-2でも0.778だから十分可能だね >>553 早指し戦も勝ち抜き戦も羽生時代にはあったけど現在はなくなってしまった棋戦 特にいくらでも勝数を増やせる勝ち抜き戦の存在は大きい 羽生が対局数&勝数の年間記録を作った2000年は勝ち抜き戦だけで何と17対局&16勝もしてるから 藤井がいくら勝ちまくっても現代の環境で羽生の対局数&勝数記録を抜くのは至難だと思う 対局数&勝数に関しては羽生の時代が一番恵まれてる >>553 羽生九段が今の藤井棋聖と同じ17-18歳の年度(1988年度)に出場した一般棋戦 NHK杯 全日本プロ(現朝日杯) 天王戦 早指し将棋選手権 オールスター勝ち抜き戦 新人王戦 若獅子戦 早指し新鋭戦 ※出場していないが、もっと強ければ出場できたはずの現JT杯も存在 ※棋聖戦は年2回 羽生時代が一番、棋戦の数は多いです。 「藤井八冠」になると、年間の勝ち星数は30勝台になるんじゃないかなと。 思います。 羽生さんのように名人を持っていないと、A級順位戦を戦い、そこでプラス6勝7勝8勝できたり さらに王将も持っていないとリーグ戦で4勝〜6勝できたりして 上積みができるんですけど。 だから8冠保持より、3〜6冠のほうが勝ち星は上積みできる感じがします。 一般棋戦が少ないので、藤井棋聖が勝ち星伸ばしやすいのはそのパターンです。 >>558 勝数かタイトル数かなら間違いなくタイトルのほうを選ぶべきだな。 タイトルを獲り過ぎたことによる勝数の低下は問題ない。 その結果、勝数で誰かに負けたとしてもそれはむしろ誇るべき事だろう。 羽生と違って大山の場合は出れない棋戦もあった その例が最強者決定戦で名人を除く棋士のトーナメント戦なので大山は出場できなかった そこで、優勝者と名人の模範対局が組まれたわけだが名人が後手と決まっていた 名人はタイトルの一つにすぎないのではなくて、その権威を守ることは名人になった者に課せられた使命だった 手を抜かないときの大山の強さは優勝者を相手にして12勝1敗という成績によく現れている 敗けは弟子の有吉に敗けた1敗だけだった 中原に名人が移った72年と73年は準優勝者との記念対局となったが2局とも勝っている 奇しくも73年は大山と同年同月生まれの原田康夫が優勝して中原名人との模範対局にも勝利した これをもって、最強者決定戦は終了となった その後身としてできたタイトル棋戦が棋王戦だった 比較 大山の前後の10年間(a) 中原の前後の10年間(b) 谷川の前後の10年間(c) 羽生の前後の10年間(d) プロ棋士になった人数 a 39 b 27 c 45 d 51 A級棋士になった人数 a 18 b 10 c 13 d 17 10年以上A級棋士の人数 a 6 b 3 c 3 d 6 C級止まりの棋士の人数 a 9 b 8 c 22 d 27 一度も昇級できなかった棋士数 a 1 b 3 c 17 d 16 A級昇級率 a 46% b 37% c 29% d 33% C級止まりの率 a 23% b 30% c 49% d 53% 谷川時代の10年間(前5年,後5年)のレベルが最も低く、次に羽生時代、中原時代、大山時代の順になる >>560 50歳の原田が最強者決定戦で優勝し、中原名人との模範対局(持ち時間7時間)にも勝利 これが大山時代のA級棋士の底力 比較 大山の前後の10年間(a) 二上の前後の10年間(b) 中原の前後の10年間(c) 谷川の前後の10年間(d) 羽生の前後の10年間(e) プロ棋士になった人数 a 39 b 29 c 27 d 45 e 51 A級棋士になった人数 a 18 b 11 c 10 d 13 e 17 10年以上A級棋士の人数 a 6 b 5 c 3 d 3 e 6 C級止まりの棋士の人数 a 9 b 10 c 8 d 22 e 27 一度も昇級できなかった棋士数 a 1 b 6 c 3 d 17 e 16 A級昇級率 a46% b38% c37% d29% e33% C級止まりの率 a23% b34% c30% d49% e53% 羽生前後は10年間で51名のプロ棋士が出たが、その53%がC級止まりの棋士だった 二上前後は10年間で29名しかプロになれなかったが、5名の10年以上A級棋士を輩出し、C級止まりの棋士は34%にすぎなかった もちろん、二上前後の上には大山前後の棋士がいて、下には中原前後の棋士がいたから、その大変さは計り知れない 各棋士区分(プロになった年) 前後5年にプロになった全棋士を代表する棋士で棋士区分 右の数字は10年以上A級棋士の人数 大山前後(1940年) 6名 二上前後(1950年) 5名 中原前後(1965年) 3名 谷川前後(1976年) 3名 羽生前後(1985年) 6名 渡辺前後(2000年) (1) 藤井前後(2016年) (0) カウントされていないが、大山前後の松田辰雄と二上前後の山田道美、羽生前後の村山聖は早死にしてなければ間違いなく10年以上A級だった棋士 二上前後の棋士は中原前後の棋士を上回るレベル 大山前後の棋士のレベルが最も高い 大山は、大山前後のみならず、二上前後、中原前後のトップ棋士にも勝ち越したトンでもない棋士 50代に中原以外の20代トップ棋士にも勝ち越した 大山の前後5年間に四段に昇段した棋士 番号 棋士 四段 17 小堀 1936年 26 大山 1940年 42 加藤 1944年 計39名中、下記の棋士は棋士番号なし 松田辰雄、松浦、藤川、金高 京須、橋爪、野村、間宮、村上 大和久、鈴木禎一、小泉、飯塚 なお、花村は五段でプロ入り 最高到達クラスと在位期数 A級 18名 村上(2)、松田辰(5)、小堀(2) 升田(36)、高島(9)、荒巻(1) 北楯(2)、松田茂(10)、松浦(3) 小泉(1)、大山(44)、板谷(3) 高柳(4)、広津(2)、原田(10) 南口(2)、花村(16)、加藤博(10) B1 6名 岡崎(2)、金高(5)、京須(8) 山本(1)、本間(15)、北村(1) B2 5名 大和久(9)、飯塚(1)、富沢(23) 山川(20)、佐瀬(17) C1 8名 加藤(9)、藤川(17)、橋爪(8) 野村(3)、間宮(7)、山中(37) 吉田(2)、星田(6) C2 1名 鈴木(7) その他 永沢(戦後すぐ引退) 二上の前後5年間に四段に昇段した棋士 番号 棋士 四段 昇段方式 43 丸田 1946年 57 二上 1950年 69 関屋 1955年 奨励会規定 計29名中、山田道美、市川伸は棋士番号なし 最高到達クラスと在位期数 A級 11名 丸田(24)、灘(17)、五十嵐(8) 熊谷(5)、二上(32)、山田(7) 関根(3)、大友(1)、加藤一(36) 有吉(26)、芹沢(2) B1 6名 清野(13)、下平(5)、北村(17) 佐藤庄(3)、宮坂(11)、長谷部(7) B2 2名 二見(2)、神田(6) C1 4名 木川(15)、津村(4)、市川(1) 関屋(5) C2 6名 平野(10)、佐藤豊(8)、西本(9) 増田(9)、浅沼(7)、橋本(17) 中原の前後5年間に四段に昇段した棋士 番号 棋士 四段 昇段方式 80 木村嘉孝 1960/10 東西決戦 95 中原誠 1965/10 東西決戦 106 佐藤義則 1981/12 A組優勝 計27名 最高到達クラスと在位期数 A級 10名 板谷進(6)、米長(26)、大内(6) 木村義(1)、中原(29)、桐山(14) 勝浦(7)、石田(4)、森安(6) 森(10) B1 3名 高島(8)、西村(12)、田中魁(3) B2 6名 山口千(14)、桜井(20)、滝(8) 山口英(5)、野本(9)、佐藤義(8) C1 5名 木下(10)、高田(10)、河口(19) 若松(11)、坪内(22) C2 3名 木村嘉 (29)、田辺(26)、池田(21) 谷川の前後5年間に四段に昇段した棋士 番号 棋士 四段 昇段方式 109 田丸 1972/4 東西決戦 131 谷川 1976/12 奨励会規定 153 室岡 1981/12 奨励会規定 計45名中、田丸以外の棋士は奨励会規定による昇段 最高到達クラスと在位期数 A級 11名 田丸(1)、真部(2)、淡路(1) 青野(11)、小林(4)、田中(6) 谷川(32)、高槁(13)、島(9) 南(9)、塚田(7) B1 6名 前田(4)、小野(3)、福崎(20) 鈴木(1)、中村(11)、神谷(6) B2 6名 土佐(20)、東(17)、脇(22) 児玉(14)、泉(22)、西川(18) C1 5名 宮田(15)、伊藤(18)、菊地(8) 武者野(6)、室岡(19) C2 17名 小阪(35)、椎橋(21)、飯野(30) 桐谷(20)、沼(28)、有野(14) 酒井(19)、森(24)、中田(17) 大島(28)、松浦(24)、青木(12) 栄作(18)、瀬戸(10)、依田(13) 植山(21)、武市(26) 羽生の前後5年間に四段に昇段した棋士 番号 棋士 四段 昇段方式 147 南 1981/1 奨励会規定 175 羽生 1985/12 奨励会規定 197 杉本 1990/10 三段リーグ 計51名中、森内までの37名は奨励会規定による昇段 最高到達クラスと在位期数 A級 13名 南(9)、塚田(7)、井上(3) 森下(10)、阿部(1)、羽生(27) 村山(3)、康光(24)、森内(22) 先崎(2)、屋敷(6)、丸山(14) 郷田(13) B1 7名 神谷(6)、浦野(1)、富岡(4) 中田宏(3)、中川(5)、杉本(4) 畠山鎮(13) B2 4名 西川(18)、有森(7)、畠山成(25) 佐藤秀(10) C1 11名 室岡(19)、堀口(16)、小野(7) 日浦(32)、小林宏(13)、所司(15) 中田功(19)、石川(18)、長沼(16) 神崎(16)、小倉(12) C2 16名 植山(21)、武市(26)、大野(21) 加瀬(15)、飯田(11)、神吉(17) 達(22)、伊藤(16)、関(12) 本間(7)、安西(19)、櫛田(8) 野田(15)、木下(21)、藤原(28) 高田(20) 渡辺の前後5年の10年間の棋士でA級に昇級した棋士はたったの5名 木村(5)、阿久津(2)、渡辺(10)、橋本(1)、広瀬(7) 不作だったことがA級棋士の数にも現れている このままだと、10年以上A級棋士は1~2名だけに終わりかねない 羽生が一番だよ。 特筆すべきは波乱が起きやすいと言われる NHK杯で圧倒的な実績を残したこと。 それだけ短い時間で確実に正解に辿り着いていたということ。 藤井はまだその域に達していない。 >>572 短い時間だから、怪しげな手を指して勝つんだよ。短時間では通用しても長時間では通用しない。 >>572 羽生は60歳でNHK優勝できるだろうか >>572 波乱が起きにくい名人戦や竜王戦の番勝負は当然勝てたんだよね? まさか通算で5割しか勝ってないなんてないよな? 試行回数を増やした方が結果の偏りがなくなる 短時間より長時間の方が読み抜けがなくなる 総じて1発勝負の早指しより2日制7番勝負の方が「紛れ」がなくなり実力上位者が勝つ確率がより上がるのは自明 にも関わらず名人戦や竜王戦で不甲斐なかった羽生善治は本当に不思議な棋士だよ >>576 実力などという抽象的なものが先にあって勝敗が決まるのではなく、 勝った将棋によって「実力」というものが仮定されるだけ 確かに羽生は1日制ほどの実績を2日制では残せていないが、だから何? だから大山の方が強いと言いたいんだろうけど、それは論理の飛躍というもの 大山の方が突出度が高いのは事実だし化け物のような棋士だけど、 時代が異なる棋士を比較するには論理が足りていない >>577 同意 大山の時代は対戦相手のレベルが現代とは大きく異なるので比較すべきではないと思う 名人獲得前年度の対戦相手と戦績 https://i.imgur.com/lIW5sV2.png >>579 大山の対戦相手は全員名人かA級棋士じゃん 羽生の対戦相手とは大違いだね 1993年羽生が名人になる前は羽生世代に名人経験者はまだ一人もいないし、その後に名人経験者が増えたのは羽生が弱かったせいだしね 当時の名人経験者といっても加藤、米長、中原は疾うに全盛期を過ぎている棋士だよ タイトル経験者数は、そもそもタイトル棋戦の数が違う アホなことで比較しなくとも、その時点のA級棋士の比率や年齢構成の違いで1993年羽生の対戦相手のほうがレベルが低いのは明らかだろ https://i.imgur.com/tJSnvl2.png https://i.imgur.com/1sqdW6b.png 大山の対戦相手で1951年度にA級棋士でなかったのは次の2名 頭の数字は通算のA級在位期数 2 松下力(39歳) 9-3でA級に昇級 8 五十嵐(27歳) 7-5でB1残留 *金子九段との対局は引退記念対局 羽生の対戦相手で1993年度にA級棋士でなかったのは次の15名 3村山(24) 7-4でB1残留 0福崎(34) 5-6でB1残留 11青野(41) 5-6でB1残留 22森内(23) 8-2でB1昇級 24康光(24) 6-4でB2残留 0小野(36) 5-5でB2残留 0泉 (33) 4-6でB2残留 13郷田(20) 8-2でC1残留 6屋敷(22) 7-3でC1残留 0伊藤(43) 6-4でC1残留 0畠山(24) 5-5でC1残留 0神崎(30) 9-1でC1昇級 10深浦(22) 9-1でC2残留 2先崎(23) 9-1でC2残留 0豊川(27) 6-4でC2残留 羽生オタはほんとオツムが弱いね でなきゃ羽生オタしてないか プレーオフの相手が31歳谷川でそのときの名人が米長50歳 というのと、 プレーオフの相手が34歳升田でそのときの名人が木村47歳 ここのところでレベルの違いが出ちゃっている話だな 大山が名人に挑戦した1951年度の大山の対局相手で、すでに名人経験者だった棋士は木村(47)、塚田(37)、升田(34)で、 対局比率は14/34(41%) 一方、羽生が名人に挑戦した1993年度の羽生の対局相手で、すでに名人経験者だった棋士は加藤(54)、米長(50)、中原(46)、谷川(31)で、 対局比率は24/63(38%) 大山のほうが対局比率が高い上に相手棋士のレベルも高い 少なくとも羽生の加藤(54歳)との4局(3-1)は除外だろ すると、名人経験者との羽生の対局比率はさらに下がって20/63(32%) 別に18歳の羽生が負けてもおかしくないと思うのだが、相手が65歳の大山だというのが面白くないらしい だから、1988年の王将戦(持ち時間5時間)で負けたのは大山の盤外戦術のせいということに羽生オタの間ではなっているらしい これって、負けてはいけない相手に負けたという認識なんだな 「負けるはずのない65歳の大山に負けた」のなら「65歳で勝った大山は強い」と何で素直になれないんだろう このあとも何度も負けているんだから、認めてもよさそうなものだよね >>583 確かに、谷川と升田じゃあ、残念ながら勝負ありだ タイトル獲得数に差があり過ぎるのは如何ともし難い事実だ >>579 これは比較しちゃダメだわw と言うか、藤井棋聖の報道を見ても触れられていないし 皆、自然と理解できてるのだと思う A級でありさえすれば、いつの時代であろうとも、レベルが高い みたいなアホな理屈を本当に信じているのだろうか? もしそうならば、かなりのバカとしか思えん 二上の1953年以前の成績データは残ってないみたいだね 順位戦データーベースだと 1951年 20歳 C2 8-4 昇級 1952年 21歳 C1 12-0 昇級 1953年 22歳 B2 7-2 昇級 1954年 23歳 B1 9-4 残留 1955年 24歳 B1 10-1 昇級 25歳からA級で升田との順位戦での成績は 升田38歳〜51歳まで ●○○●●●●●● 升田52歳〜57歳 ○○○○ さすがに升田のほうが強いね その二上は谷川と47歳から56歳まで9局対局して4勝5敗の成績、加藤一二三は43歳まで谷川と5勝5敗だから実力が同じ 実力が同じなのに実績で谷川と差がついたのは、谷川のほうがぬるい棋士を相手に活躍できた何よりの証拠だな 谷川 タイトル戦登場回数:57回 獲得:27期 優勝回数:22回 加藤 タイトル戦登場回数:24回 獲得:8期 優勝回数:23回 二上 タイトル戦登場回数:26回 獲得:5期 優勝回数:5回 >>587 大山なんて初タイトルが「27歳」という超遅咲きなので藤井君とは比べようもなくて当然 棋界がまだ「人間力」で支配されていた前時代の棋士だ 女流にたとえると、大体こんなとこ 木村 蛸島 塚田、升田 林葉、中井 大山 清水 二上、加藤 矢内、千葉 里見からは別次元も同然 だから誰も比較しないだろ? >>591 女流棋士は戦後ゼロから始めたので子供の頃から将棋を指す人口が増えてきて年々レベルが上がってきた プロ棋士は逆で、子供の頃から将棋を指す人口が年々減ってきてレベルが下がってきた 会長時代の大山が新四段のレベルが年々落ちてきていることに危機感を抱いて将棋の普及に力を入れたのは有名な話 そのために各地での子供参加の将棋祭りと女流棋士の育成を手掛けたんだよ レス流しウザい 再掲 579 名前:名無し名人[sage] 投稿日:2020/07/26(日) 10:41:54.67 ID:LAE1J9RH >>577 同意 大山の時代は対戦相手のレベルが現代とは大きく異なるので比較すべきではないと思う 名人獲得前年度の対戦相手と戦績 https://i.imgur.com/lIW5sV2.png プロ将棋の界隈で若いときから名人級の棋士と太鼓判を推された棋士の間隔が長くなってきている 木村(6期)、塚田(7期)、升田(6期)、大山(6期)、二上(5期)、加藤(4期)、中原(4期)までは間隔が短かった *期数は四段からA級八段になるまでに要した期数 升田と大山は戦争での足踏みがあったので年数から2を減じて期数とした 中原のあと15年が空いて谷川(5期)、羽生(7期)となったわけだが、棋界では羽生より森内(7期)を推す声のほうが多かった そのあとなぜか名人の呼び声がかかる棋士が出ていない そのわけは順位戦での昇級スピードで目を見張る棋士が出現しなかったからにほかならない 渡辺(10期)、天彦(8期)、豊島(10期、菅井(10期)、斎藤(8期)、 もっとも、谷川と羽生の間には谷川と昇級スピードが同じ南もいたが名人の声はかからなかった 棋士のレベルが落ちているなかでの昇級だったため大きく評価されることはなかったようだ 近年で昇級スピードが注目されているのは近藤誠也(23歳)で5期でB1まで昇級してきた そして、近藤と同じスピードの4期でB2まで昇級してきたのが藤井棋聖(18歳)で、もちろん、名人の呼び声が高いのは藤井棋聖だ 羽生のあと30年も間が空いたことになる このように、若くして名人の声がかかる棋士が出現する間隔が長くなっていることがレベル落ちの何よりの証拠といえる 大山は盤面の前に居る時間が無いくらい忙しいのに勝てるのはマジ人外 中原でさえ成績が大幅に落ちて何かの陰謀ではないかと将棋世界で語っていた 中原は20代で副会長やらされた しかも時期が将棋会館建て替えの募金活動 その後は名人戦移管+余波で順位戦凍結 大山はスレタイから外すべきだったな 谷川や渡辺の方が明らかにレベルが高いわけだし 米長邦雄 「史上最強の棋士は誰かと聞かれれば『大山康晴』と私は答えることにしている。実績において大山を破る者があるとすれば羽生善治だろうが、それでもまだ今後の活躍次第と言っていいだろう」(2012年遺稿) 羽生は米長の期待を裏切ったな 棋聖となった藤井聡太七段をワイドショーが話題にしようとするとき、悩ましいのは、その強さ、凄さをうまく伝えられないことだという。なにしろ、若い制作スタッフや出演者は将棋を指したことがなかったり、駒の動き方も知らない人がほとんどだから、「藤井七段のこの一手で局面が逆転しました」なんてしゃべっていても、どう逆転したのかが説明できない。ひたすら「最年少」を強調して、凄いを連発するしかない https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200726-00000005-nkgendai-ent 駒の動き方も知らない 指すでなく打つと言う こんな時代に天才棋士はそうそう出ない 木村大山時代は天才棋士で溢れかえっていたのにな 棋士は棋譜を見れば自分より強いかどうかわかるからね >>459-467 >>469-471 次は1997年 A級に昇級してきたのはなんと高橋九段と井上慶太七段 井上七段は34歳で初めてA級昇級を決め八段になったわけだが、意外なのは羽生世代 27歳になっているにも関わらずA級棋士なのが羽生、森内、康光の3人だけであとは高橋や井上に遅れをとっていた この年、米長が降級となりフリクラ宣言をしたわけだが、54歳で4-5は立派 というか、谷川世代、羽生世代ってどうなのよ?と疑問をもつに十分な話題だろ いやいや、米長は強くて別格な棋士だから、というのなら、その米長をして「あの人は本当に将棋が強いおじちゃんだった」と言わしめた大山はどうなのよとなる https://i.imgur.com/A0OG2R7.png https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1593892393/186 前期は久保九段が44歳でA級から陥落し、前々期は深浦九段が47歳で陥落した 今期は47歳になる三浦九段がいろいろ陥落かと予想されている このように加齢による衰えは非情でトップ棋士の中でも50歳過ぎてなおかつA級に残れる棋士はほんのわずかしかいない また、残ることが史上稀なトップ棋士の証しになっている タイトルとなると、さらに過酷な現実が待っている 中原の最後になったタイトル戦は46歳のときの王将戦で、それ以降は一度もタイトル戦に登場することなく表舞台から遠のいてしまった タイトル獲得は44歳のときの名人が最後だ 谷川は44歳のときの名人戦が最後のタイトル戦で、獲得となると41歳の棋王が最後であった 羽生も例外ではない 最後のタイトル獲得は47歳のときの竜王で、最後のタイトル戦はその1年後の竜王戦だった その後、タイトル戦登場なしが2年近く続いている A級在位年齢(69歳)、タイトル獲得年齢(59歳)、タイトル戦登場年齢(66歳) 、どれをとっても大山は桁違いのトップ棋士だった 升田も同時代に大山がいたため、タイトル獲得は40歳のときが最後になってしまったが、最後のタイトル戦になったのは53歳のときの名人戦であり、やはり別格の棋士であった 二上も三期連続棋聖を獲得したのが49歳のときで、最後のタイトル戦は50歳での棋聖戦となった 加藤一二三は44歳のときの王位が最後のタイトル獲得でタイトル戦の登場は翌年度45歳での防衛戦が最後だったから、谷川より持ちこたえたが中原には届かなかったことになる ここに取り上げた棋士は、全員が50歳過ぎてもA級棋士であった いうまでもなく、塚田、丸田、花村、原田、有吉、内藤、森、青野、高橋もそうだ 彼らの多くに共通するのは一度とならずB1に落ちてからA級に復帰していることである それは何を意味するか A級に残れるということは、自分より若い棋士が先にA級から落ちているということだし、A級に復帰できるということは、自分より若いB1棋士を相手に1,2位の成績を収めることができたということなのだ つまり、10年後輩、20年後輩、ときに30年後輩のレベルが高くないか、30年間の棋士の中でのベスト3に入るような棋士であるかのいずれかということであろう 今、B1棋士13名の中には8名の元A級棋士がいる 若手棋士のレベルが高ければ40歳後半の元A級棋士がA級に戻ることは二度とない まして、50歳過ぎて戻ることは普通ではあり得ない 前期昇級したのは若い菅井と斎藤だった 今期は永瀬、千田、近藤が控えている 順当ならこの3棋士の昇級争いになる 過去にそのようにならなかった時期もある 大山前後5年のA級棋士のレベルは高く、強靭なA級棋士が揃っていたので加藤一二三は何度もB1に陥落した ところが加藤は1993年53歳で谷川前後の10年間の棋士を押し退けてA級に復帰すると、羽生の前後の10年間の棋士とのA級残留争いにも勝って61歳までA級棋士だった 加藤は一つの例だが、20世紀を半世紀で分けると、永世名人の数は同じたが50歳過ぎてA級だった棋士の数に大きな違いが生じる可能性がある 上半世紀 木村、塚田、升田、丸田、花村 大山、原田、二上、有吉、内藤 加藤、米長、中原 下半世紀 青野、高橋、谷川、康光、羽生 (渡辺)、(広瀬)、(豊島) >30年間の棋士の中でのベスト3に入るような棋士である というのは大げさだったが、50歳過ぎてA級の実績があれば少なくとも20年間のベスト10に選ばれるような棋士であるし、60歳までA級棋士なら30年間でベスト10に入るような棋士に違いない 大山はそのような棋士の内、木村から谷川までを相手に、名人戦で、あるいはA級順位戦で戦った その棋士数16名は他を圧倒している しかも、先輩棋士とは木村名人とですら18歳しかはなれていなかったし、9名は自分より若い棋士で、谷川との年齢差にいたっては39歳差だった 羽生の場合はどうかを見てみるがいい 大山ほどハイレベルな棋士との戦いをくぐり抜けてきた棋士はいない >>604 あまり知られないが、升田53歳の名人戦、最終第7局は升田勝ちの順があったが、 升田はそれを指せなかった。 >>606 勝ちの順は言い過ぎた。勝勢になる手としておく >>604 に名前をあげた棋士で青野九段だけがタイトル獲得の実績がない 1989年に中原王座に挑戦した翌年には自分より先輩のA級棋士だった大山、有吉、内藤、米長の全員に黒星を喫してA級から落ちている その青野がA級に復帰したのが10年後の1999年、47歳のときで、南、中村、福崎といった10歳ほど若い後輩棋士に勝っての昇級だった そこから4期51歳まで、田中寅彦、島、加藤一二三、先崎、森下、郷田との残留争いに勝ってA級を務めている このように、青野九段は>>604 で触れたところの後輩棋士のレベルが高くなかったためにA級に復帰でき、かつ50歳過ぎまでA級に残れた棋士といえるだろう 20世紀生まれの50代A級(生年順) 1901年度〜1950年度生まれ 大野、塚田、花村、升田、丸田、原田、大山、二上、有吉、内藤、加藤、米長、森、中原 1951年度〜2000年度生まれ 青野、高橋、谷川、佐藤康、羽生 どう考えても1951年度〜2000年度生まれで14人もいかないよな >>609 大野もいたか 木村名人は該当しないけど47歳名人陥落後に引退だから、50歳以上A級棋士は楽にクリアできる棋士だったわけで よって、上半世紀は15人と数えても文句は出ないよね 今のB1に40代後半の棋士がゴロゴロいるんで、誰かは星集めて50歳A級いきそうな気もするけどね A級クラスの若手も千田永瀬藤井聡で一旦打ちやめだろうし 今の若手棋士も人材豊富ではないからね 50代でA級に昇級する元A級棋士も何人か出てくるかもね 広瀬、豊島あたりが50歳になるのは15年以上先のことなので、これは予測できない 自分より20歳以上若い棋士がA級に昇級してきても勝てるか、ということだから、かなり高いハードルを越えないと残れない 升田はあれだけ休場しまくっていながらペナルティなしで60代A級扱いはさすがにモヤモヤするし 塚田も最終戦で降級の危機があった時、「名人経験者をA級から落とすわけには行かない」と芹沢が片八百長した逸話がある (芹沢には後年「順位戦全敗宣言」の逸話もある) あと今年からC1・B2も昇級枠が3つに増えたけど昔はC2の昇級枠も2つしかなかった 当然現代よりも気鋭の若手と老いたロートルの新陳代謝が少ない 昔の高齢A級にはこういう部分もあったのでそこらへんは公平な目で見ないと 現代で50代以上A級が減るのは仕方ない なぜ、大山前後の棋士のレベルが高いのか なぜ、名人・A級棋士の権威が高かったのか (1)まず、出生数が違う>>321 (2)持ち時間7時間が標準対局だから昇級昇段の棋力の判定が正確 (3)論より証拠>>563-571 羽生の前後の10年間を見ると、プロ入り後、一度も昇級できずフリクラまたは引退した棋士が16名 最高クラスがC級止まりの棋士は27名で谷川の前後10年間の22名よりも増えている プロ棋士の数が倍になっても増えたのは万年C級棋士やフリクラ棋士の数で、大物棋士(10年以上A級棋士)の数は増えていない それぞれの棋士がプロ棋士になった年の前後5年で整理するとこうなる 右の数字は10年以上A級の棋士数 大山前後(1940年) 6名 二上前後(1950年) 5名 中原前後(1965年) 3名 谷川前後(1976年) 3名 羽生前後(1985年) 6名 渡辺前後(2000年) (1) 藤井前後(2016年) (0) カウントされていないが、大山前後の松田辰雄と二上前後の山田道美、羽生前後の村山聖は早死にしてなければ間違いなく10年以上A級だった棋士 二上前後の棋士は中原前後の棋士を上回るレベル 大山前後の棋士のレベルが最も高い 大山は、大山前後のみならず、二上前後、中原前後のトップ棋士にも勝ち越したトンでもない棋士 50代には中原以外の20代トップ棋士にも勝ち越したからそのレベルの高さは疑いようもない 羽生藤井が10代の頃から頭角を表していたのに比べると、 大山中原はちょっと遅いね ただ大山は爺さんになってもA級だったりタイトル挑戦していたから、そこは凄い 羽生は60代でタイトル挑戦とかできるかな、流石に厳しいのでは 大山は順位戦ができたのが23歳の時で2つ目のタイトルができたのは27歳の時 中原の時代は年に2人か3人しかプロになれない旧三段リーグの時代 タイトルをたくさん作ってもらえて将棋会館も作ってもらえて環境が整った時にデビューできたのが羽生 大山中原の時と今は環境が全く違うんだよ >>616 大山は指し盛りの20代に戦争があったりして、そこはかわいそうだけど 10代の頃はパッとしなかったでしょ 中原も10代の頃から期待されていたけど足踏みしていた そもそも10代なんて脳も完成してない時期なんだから それで棋界トップに立つ羽生藤井が化け物すぎるんだよ >>617 羽生の10代は回りがスカスカだっただけだよ >>618 谷川がいて、中原米長が最後の頑張りを見せていて、 大山もまだ現役だったのに周りがスカスカは失礼すぎるだろ なんやかんや1番純粋な棋力が出るのは早指し、シード無しのNHK杯だからやっぱ羽生は突出してるよ 今後藤井君がNHK杯を何回取れるかね? 昔と今では将棋の学習環境が違いすぎる。 聡太クンが早熟になるのは当たり前。 もっと将棋に人気があった頃の子供達に、現在の聡太クンと同様な学習環境を与えていたら 聡太クンを軽く超えるような人材がゾロゾロ出てきていただろう >>619 全盛期は43歳までだから 44歳からは弱くなる一方だよ まあ豊島筆頭に藤井以外の若手の終盤力が怖くない現状考えると そもそもの素の知能が劣ってるのは間違いないな マンパワーこそ正義だよ、教育の質上げるより人口政策やったほうが効果あんだよ イチロー、羽生、武豊が最強世代 >>619 わからないなら羽生が17歳のときの対局相手を全部書き出して17歳の藤井と比べてみるといい あまりの違いに藤井棋聖を引き合いに出すのはそれこそ失礼だったと分かるから >>621 世代的な早熟度だと羽生世代が圧倒的でしょ あまりにも若い棋士が強すぎるから、今後将棋界の名人はどんどん若くなっていって 最終的には中学生の名人が出てくるんじゃないかとか言われてた だが、結局は羽生世代が突然変異だっただけで、 その後20年近く彼らに将棋界は支配されていたんだから そもそも、将棋ソフトの恩恵受けてるのは藤井だけじゃないし、 全体的にレベルが底上げされているんだから 藤井以上の高勝率で早すぎるという理由で昇段を保留されてる大山の10代を「パッとしなかった」は流石に無知が過ぎるね >>617 大山の十代は対局が少ないだけで、勝率は歴代ナンバー1だよ。 大山の十代の頃の勝率ってそんな高かったのか それは失礼しました >>625 圧倒的なのは前後の棋士のレベルが低いからだよ 同じ年頃の棋士だけが強いというのはそういうこと 天才棋士なら同年の棋士を寄せ付けないぐらい強くないとおかしい 圧倒的に強い棋士が揃っていたのなら50歳まではA級棋士なのが当たり前なのに羽生と康光しか残っていないのも話が合わない >>629 いや、それはおかしいでしょ 羽生世代という強力な集団に上が弾き飛ばされたというのが正しい 上の世代で一人気を吐いたのが谷川だが、 そもそも谷川の棋力は半端ない、それが最強クラスの1人の棋士として埋没してしまったという事実がやばい そして、羽生世代より下の世代、久保木村深浦も強かったが羽生世代全盛期には弾き飛ばされてしまった それより下の世代も、ここ5年までは唯一対抗できたのは渡辺明ぐらいだった 凄まじい層の厚さだよ羽生世代は >>630 だったら、まだ全員A級に残っていないとね 谷川は羽生世代が台頭する前から 人外基準で言うと微妙すぎたけどなぁ 55年組と勝ったり負けたりでモタモタしてるうちに 羽生が来ちゃった感じ >>614 戦後で手薄になった時代の将棋界がレベル高かったわけないだろ 層が薄いから上位層が固定化されてただけ 今は全体的なレベルが上がってるから年齢による衰えの影響を受けやすくなってる 高齢でもA級で踏ん張れてた大山は凄いけど、羽生とは世代が違い過ぎて比べようがない 谷川、渡辺世代と比較すると羽生と少し下の世代は圧倒的に層が厚くてレベルが高い 藤井は絶対的にも相対的にも実力が突き抜けそうだから、年下からの突き上げがないと凄いことになりそう >>620 大山と中原の時代のNHK杯は名人は後手という決まりがあった 二人とも大名人だから常に後手のハンデでNHK杯を戦っていた >>630 フルセット最終局の勝敗 谷川 3勝12敗 87棋王(高橋)○ 88王位(森け)● 88棋王(南)● 90王位(康光)○ 91王座(福崎)● 92竜王(羽生)● 92棋王(羽生)● 93棋聖(羽生)● 94王将(羽生)○ 98名人(康光)● 98王座(羽生)● 99名人(康光)● 00棋聖(羽生)● 00王位(羽生)● 01名人(丸山)● 渡辺 8勝2敗 03王座(羽生)● 04竜王(森内)○ 06竜王(康光)○ 08竜王(羽生)○ 13王将(羽生)○ 14王将(郷田)● 16竜王(丸山)○ 16棋王(千田)○ 17棋王(永瀬)○ 19王将(広瀬)○ >>634 同世代の棋士を相手に無双できなかったことを、羽生世代は強かったからというのはおかしい 前後の10年とか20年というタームでふるいにかけると強豪と呼べる棋士は何人も残らない 渡辺と羽生世代を同格扱いするのは渡辺にも失礼 羽生世代でなく、数えるべきは谷川、羽生、森内、康光、渡辺の5棋士のみ 渡辺の成績 対羽生善治 38-40 0.487 対森内俊之 20-17 0.540 対佐藤康光 26-21 0.553 対丸山忠久 20-12 0.625 対郷田真隆 24-14 0.631 なお、羽生がプロ棋士になる直近5年間の先輩棋士でA級棋士になったのは5名 南、塚田、井上、森下、阿部 たしかに彼らと比べたら羽生世代のレベルは高いが、だから何なのという話になる それと、藤井猛、深浦、三浦、久保、行方のA級棋士5名は、羽生から6年以上遅れてプロになった後輩なので、羽生は追い付かれずに勝って当たり前の立場だった そして、この5棋士をもって層が厚いというのは勘違い 彼らはA級棋士としては標準的な棋士といってよい 彼らより、二上、加藤一二三、米長のほうが格上 したがって、加藤一二三ですら何度もB1落ちしたように大山が全盛期だった時代のA級棋士の層は厚かった >>634 >今は全体的なレベルが上がってるから年齢による衰えの影響を受けやすくなってる これも間違い 50歳過ぎまでA級に残れないのは全体のレベルが上がったからではなく、残れるほど強い棋士でなかっただけのこと 現に羽生と康光はまだまだA級に残れるはず タイトル獲得プラス棋戦優勝の合計回数を調べて見ればわかる 50歳過ぎまでA級に残れる棋士は実績からして違うことがわかる とくに、昔は棋戦数が少ない上に木村、大山、中原が君臨している時代だった それにも関わらず実績があった棋士が残っている 大野、塚田、花村、升田、丸田、原田、大山、二上、有吉、内藤、加藤、米長、森、中原 >>620 羽生ヲタさんに賛同してこれから 羽生大NHK杯と呼ぼう 大山の奨励会時代は初段の対局でも持ち時間が7時間だった 目一杯使うと終局するのが深夜になるが感想戦をやっていると朝になるので始発の電車に乗れるから丁度いいということで持ち時間が7時間に決まったらしい 6時間だと終電に間に合わなかったりするので都合が悪かったという もっとも大山は持ち時間を4時間、5時間残して勝ってしまうので朝帰りにならなかったのだが、師匠は時間を残すようでは大成しないという考えだったのでよく叱られたらしい どっちにしても対局相手は7時間考えることができるのだから時間攻めは通用しないし、取って置きの新戦法を披露しても惜しみなく時間を投入して対策を練ることができるので、結局、読みの力がある棋士が勝つというのが昭和初期の将棋だった したがって、当時は終盤が弱いようでは絶対にプロになれなかった 昭和の後期から平成の将棋は、持ち時間3時間の対局で勝たないとプロになれないので、研究の比重が高くなっている そのため、終盤に難点があっても研究熱心な人間ならプロになるチャンスが生まれるようになった その結果、総じて終盤に甘いプロ棋士が増えている それが最近になって是正されはじめたようだ 序盤の最新形はソフトで簡単に研究できるようになったので、終盤に強い棋士でないとプロになれなかった昭和初期に戻りだしているのだ 戦型もバランス重視で深い読みが必要とされるようになった 実にいい傾向だと思う >>641 >昭和の後期から平成の将棋は、持ち時間3時間の対局で勝たないとプロになれないので、研究の比重が高くなっている 訂正 >昭和の後期から平成の将棋は、持ち時間90分の対局で勝たないとプロになれないので、研究の比重が高くなっている 5リーグ制になってからA級に昇級するまでに負けた回数 羽生 9敗(7期でA級昇級) 谷川 7敗(5期でA級昇級)※最小敗戦記録 藤井 1敗(現在B2 順位戦通算32勝1敗) 藤井がダントツ。 他の人たちが弱く見えるようになってしまった。 評価は同じくらいの状況になってからじゃないと無理だろ 連盟会長やりながらとか七冠持ちながらとか 体力だって評価基準のひとつだろ 大山の10代は対局数が少なすぎる上に対局相手の平均レベルも低かった。 その頃の勝率を藤井の記録と同列に扱うのは流石に無理がある。 すでにオンリーワンであって 過去の偉人と比較して評価するような棋士じゃないと感じるけれどなぁ ま 中学生棋士は大名人にはなれないの ジンクス打ち破れるかどうかが楽しみだね www 環境が違いすぎるから難しいよね 今の藤井と大山がやったら10勝0敗で藤井の勝ちだろう だけど大山が現代に生まれて現代の将棋を学んだら? それはわからない 結局議論するだけ無駄 大山、中原までは参考にできる資料以上のレベル以上になれた。この二人は傑出していて人外だったと言える。 羽生は参考にできる資料以上の力を身につけたがソフトに抜かれた 藤井は最初からソフトという参考書があるが、それに互せるかはわからない その時代で人外かどうかで見ればいいだけだからな 15世名人18期 16世名人15期は人外 17世になれたのに19世どまりで名人9期は到底人外ではない 初代永世竜王になれたのに3連勝4連敗食らって逃したオマケつき 羽生は凡の範疇 藤井が名人竜王取りまくったら人外 平成令和でナンバーワンがほぼ確定するから 棋士はいつ全盛期を迎えるのか? 棋士によっても見解は違うが、かつて森下九段は「棋士の全盛期は25歳」とあり得ない発言をして物議をかわしたが、真意を確かめたら「棋士が最も長時間研究できるのは25歳の頃になるという考えで言った」ことらしい 加藤一二三は「30代はまだ成長期」と発言していて、こっちのほうが説得力がある 例として、自分が名人になったのは42歳のときだったことや、升田が三冠を達成したのは39歳のときで「たどり来て未だ山麓」と名言を残したことをあげている 加藤は、升田九段が61歳で引退した直後に対局したそうで、自分の全盛期(39歳)だったが負かされたという それだけスゴい人だったが、その経験から個人差はあるが40代を全盛期にすることは十分可能で、羽生九段もまだまだ踏ん張れる年齢だと考えている その加藤一二三自身、59歳のときに29歳羽生に、60歳のときに16歳渡辺に、61歳のときに39歳谷川に勝っている したがって、50歳で「馬力」を出せないわけがないと説いている 「大山先生は空前絶後の棋士で真似できるものではないが、少なくとも三十代のうちは誰でも成長していく」 『天才の考え方』(共著)より 加藤って大山の一番のひがいしゃだけど 実は意外に大山リスペクトしてるんだよね 大山も加藤が不調の時は発破をかけてたみたいだし 不思議な関係 >>653 神武以来の天才と呼ばれ、二十歳で名人挑戦した自分が子供扱いされたのだから、天狗の鼻を折られると同時に、「こんな凄い棋士がいるんだ!」と畏怖のようなものを感じたからじゃないかな。 全盛期の強さと長さ、そして69歳で亡くなるまでA級。藤井の今後がどうなるかは分からないが、現時点では大山がずば抜けて人外だと思う。 石田和雄九段、藤井棋聖について語る すごい大天才が現れまして……天才と言われた棋士は今までいっぱいいるじゃないですか。それが不思議なことに凡才に見えてきますね。すごい。その一言であります。 大山、、、消えたんか、、藤井にやられてるやん、、、 大山を持ち上げる人がいるが、大山が強かった頃、将棋の人気があまりなかったんだよ。 大山の将棋は、アマチュアには難し過ぎた。 特に終盤は難しいモノとされていた。 受け将棋なのも不人気の理由だろう。 派手な将棋を指す升田の方が人気があった。 中原が若き太陽と言われたのは、暗い大山時代を終わらせると見られていたからだよ。 中原はどちらかというと攻め将棋だから。 藤井≧大山>>>中原≧羽生>>谷川>森内 こんな感じじゃないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる