2月22日は師匠の“記念日”らしい。
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田丸 雑学堂 @NoboruTama0505
田丸にとって2月22日は、棋士として第ニの誕生日でもあった。昔の奨励会では東西の三段リーグの優勝者同士が対戦し、勝者が四段に昇段して棋士になった(年間で2人)。世に言う「東西決戦」だ。1972年2月22日、田丸はその大一番で関西の酒井順吉と対戦した。当時の状況を改めて振り返ってみる。
午前10:52 · 2025年2月22日

田丸は1970年2月にも「東西決戦」に臨み、関西の坪内利幸に敗れて四段昇段を逃した。ただ19歳と若かったので、チャンスはまた来ると思った。その後、青春を謳歌しすぎたのか成績低迷が続いた。7期目の三段リーグを迎えた71年の秋、このままでは棋士になれないと痛感し、将棋に打ち込む生活に改めた。
午前11:00 · 2025年2月22日

田丸は1971年度後期の三段リーグでは、原点に戻るつもりで中学時代の学生服を着て対局に臨んだ。すると奇跡的な逆転勝ちが何局もあり、不思議なツキを感じた。6勝1敗で迎えた第8戦は、早朝に二度寝して遅刻し、持ち時間を1時間も引かれたが何とか勝った。そして11勝1敗で関東リーグで優勝した。
午前11:16 · 2025年2月22日

田丸は若い頃、クラシック音楽に傾倒していた。ベートーベン、モーツァルト、ショパンの曲が好きだった。新宿駅近くの名曲喫茶「ランブル」によく通い、試聴室(声を出せない)で聴いて堪能した。「東西決戦」の前日には、ベートーベンの交響曲「運命」、ピアノソナタ「熱情」を聴いて戦意を高めた。
午前11:24 · 2025年2月22日

1972年2月22日。田丸と酒井順吉の「東西決戦」の対局は、東京の旧将棋会館(木造)で行われた。普段は奨励会員にいばっていた棋士も、この日は神妙な様子だった。盤駒は公式戦用が用意された。中盤では田丸が有利だったが、緊張感から弱気な手を指して形勢が逆転した。そこで開き直って王手した……。
午前11:33 · 2025年2月22日

田丸は▲2ニ飛(1図)と王手して「金を合駒しろ」と念じた。秒読みの酒井は慌てて△3ニ金と打ったが、△5ニ銀と引いて勝ち筋だった。金を持っていれば、次の△3九歩成が△7八銀打以下の詰めろになる。実戦は▲2一飛成△8八銀成▲1一竜△3九歩成▲6四香(2図)の痛打で、田丸が優勢になった。
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午前11:50 · 2025年2月22日

1972年2月22日17時7分。7時間の激闘は終わり、田丸は「東西決戦」に勝って四段に昇段した。写真(「将棋世界」より転載)左は田丸。夢心地と半信半疑が交錯したような表情だ。現代では奨励会幹事らが四段昇段者を祝って食事するが、当時は何もなかった。田丸は自室に帰って独りで祝杯を上げた。
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午後0:01 · 2025年2月22日

田丸は「東西決戦」の終局後、旧将棋会館から母親に電話して勝利を伝えた。小声で話したので「私を喜ばせるためのウソでしょ」と言われた。「周囲に人がいるから」と弁解したが、悪夢を見たような思いから素直に喜べない心境だった。母親には物心両面で心配をかけていたので、とにかく安堵したものだ。
午後0:10 · 2025年2月22日