■ 昨日のブログ更新情報。
☆ ケンタッキーフライドチキン 港北ニュータウン北山田店 訪問レポート 〜 横浜市都筑区 北山田駅近くのお店 - No Second Life
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■ 今日ちょっと思ったこと
来月人前で歌を唄うことになりました。
母が経営している音楽教室のイベントにお手伝いで僕も参加するのですが、
その際に僕も他の生徒さんに交ぜてもらい2曲唄うことになりました。
母がピアノを、そして母の友人のプロのミュージシャンの方たちがバックバンドで生演奏をしてくれ歌うので、なかなか本格的です。
場所も関内にあるライブハウスを貸切にして行うので、ちょっと楽しみです。

母の伴奏で歌うのは30年ぶり以上だと思います。
今はちょこちょこ練習していますが、楽しいものですね。
声を出すのは鬱のリハビリにも良さそうです。
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■ 麻布は良くない土地だった?
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母と暮らすようになって、食事時などに色んな話しをしているわけですが、
僕がとっくの昔に忘れていたエピソードなどが話題に出ることがあります。
そんな感じで昨日話題に出て思い出したことがあります。

僕は生まれてから4歳の終わり頃までは杉並区浜田山という場所にあった父の実家に住んでいました。
母は一人っ子なので、母がお嫁に行ったあと、母の実家があった港区西麻布には祖父母と曽祖母が暮らしていました。
ところが曽祖母と祖父が二人揃って病気がちで祖母は音楽教室の仕事をしながら2人の面倒をみるのが大変で、
僕の両親は祖母のサポートのために、ちょくちょく西麻布の家に行っており、僕も一緒に行ったり来たりして、ほとんどデュアルライフ状態でした。

そのころ父は良く僕に、「今日はこれから『青山のおばあちゃんの家』に行くよ」と話していたんです。
さっき書いたとおり、母の実家は西麻布であり青山ではありませんし、
青山の一番端にある青山墓地の入口まででも徒歩10分くらいはかかるので、「青山のすぐ近く」という訳でもありませんでした。
当時はまだ子供だったので特に何も考えていなかったですが、今考えると変な話しですよね。
渋谷に行くのに「原宿に行くよ」とは言わないし、恵比寿に行くのに「広尾に行く」と、わざわざ隣町の名前に言い換えたりしません。

この話しが母との会話で話題になって、母が言ったのが、「あなたのお父さんは麻布が良くない場所だって思ってたのよ」とのことでビックリ。
まあ確かに、バブル期より前の麻布には貧しい人が固まって住んでいた地区が複数あり、
郷土史を調べると、いわゆる貧民窟や被差別部落も存在していたことが分かります。
小説家の永井荷風はエッセイの中で、「東京の三大貧民窟」について書いており、
その3つの大貧民窟の一つは麻布の一部の地区である、と紹介していました。
そういった話しは大人になってから知ったわけですが、僕の実家があった地区は当時も高級住宅地ではないけれど、
ごく普通の家が並んでいて、決して貧民窟でも被差別部落でもありませんでした。

でも父からしたら、「嫁の実家が麻布」というのはイメージが悪いと思い、「青山」と言い換えていたみたいです。
今のハイブランドな麻布のイメージとは大きく違いますよね。
でも森ビルが集中的に再開発を行った地区も、その前はまあまあ貧しい地区だったのは確かで、
そうやって率先して負の歴史を土地から消していくんだな、と思いました。