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川端康成総合スレ2@文学板
0003やれやれ、僕は名を失った垢版2010/09/10(金) 20:58:40
私がお訪ねしたときにトーストと牛乳が出た。行儀のわるい癖で、トーストを牛乳に浸して
たべてゐた。すると川端さんがちらと横眼でこちらを見て、やがて御自分もトーストを
牛乳に浸して口へ運ばれだした。別段おいしさうな顔もなさらずに。

三島由紀夫「現代作家寸描集――川端康成」より
0004やれやれ、僕は名を失った垢版2010/09/11(土) 00:11:07
「学習院の連中が、ジャズにこり、ダンスダンスでうかれてゐる、けしからん」と私が云つたら氏は笑つて、
「全くけしからんですね」と云はれた。それはそんなことをけしからがつてゐるやうぢやだめですよ、と
云つてゐるやうに思はれる。
川端氏のあのギョッとしたやうな表情は何なのか、殺人犯人の目を氏はもつてゐるのではないか。僕が
「羽仁五郎は雄略帝の残虐を引用して天皇を弾劾してゐるが、暴虐をした君主の後裔でなくて何で喜んで
天皇を戴くものか」と反語的な物言ひをしたらびつくりしたやうな困つたやうな迷惑さうな顔をした。
「近頃百貨店の本屋にもよく学生が来てゐますよ」と云はれるから、 「でも碌(ろく)な本はありますまい」
と云つたら、 「エエッ」とびつくりして顔色を変へられた。そんなに僕の物言ひが怖ろしいのだらうか。
雨のしげき道を鎌倉駅へかへりぬ。

三島由紀夫「川端康成印象記」より
0006やれやれ、僕は名を失った垢版2010/09/12(日) 12:30:11
川端氏は僕の吹く勝手な熱をしじゆう喜んでニコニコしてきいてくれた。おしまひには僕が悲しくなつて了つた。
僕の生意気な友人たちだつたら、フフンと鼻の先であしらひさうなこんなつまらない笑ひ話や、ユーモアのない
又聞き話が、どういふ経緯で川端氏の口に微笑を誘ふのだらう。
しかしかうして一人で喋つてゐるうちに、だんだん僕が感知しだしたのは僕の孤独ではなくて、むしろ川端氏の
孤独なのだつた。ひろい家の中には夕闇がよどんで来た。ひろい家のさみしさが身にしみる時刻だ。

平岡公威(三島由紀夫)昭和22年「会計日記」より
0007やれやれ、僕は名を失った垢版2010/09/12(日) 12:32:07
川端氏とのさびしい夕食、川端氏のかへつてゆく一人の書斎、僕は僕の行方にあるものをまざまざと見る気がした。
名声とは何だらう。このひろい家によどんでくるどうにも逃げようもない夜のことなのか?否しかしなほ僕は
名声を愛してゐる。なぜなら名声でやつとたへられるものが僕の中にあるからだ。
名声とは必要不可欠な人間にだけ来るものだ。さうして名声があるために、ある人の慰めになる不幸があるものだ。
こんな孤独の実質を名声は少しもかへえないが、名前と形容詞だけは支へてくれる。
文学の仕事、それが形容詞の創造であるとするなら、かうして形容詞の冷酷で花やかな報いをうけるのは当然だ。

平岡公威(三島由紀夫)昭和22年「会計日記」より
0008やれやれ、僕は名を失った垢版2010/09/14(火) 00:02:28
川端さんへは又いつかの機会に御一緒にまゐりませう。
あの眼だけでも見ていたゞきたいと思ひます。酷薄さと温情がいりまじつた鋭い眼、あそこに川端さんの文学の
象徴があります。川端さんといふと、芸だの感覚だの抒情だのといふ言葉しか知らない批評家に憤慨して、
川端康成ノートを作つてゐますが、二、三年たつたら書けると思ひます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年7月25日、徳川義恭への書簡より
0009やれやれ、僕は名を失った垢版2010/09/14(火) 00:03:34
この間川端さんが、睡眠薬の服用を急激にやめられたことから、禁断症状の発作を起され、東大病院に御入院中で、
面会謝絶と知りつゝ、強引に押し込んで御見舞をしましたところ、もう相当御元気で一安心しました。
「睡眠薬遊び」はもうお懲りになつたでせう、と諫言しましたら、苦虫を噛みつぶしておいででした。

三島由紀夫
昭和37年2月27日、中村光夫への書簡より
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